2017年10月 5日 (木)

胸に手を当てる話

   どんな話の流れだったか、例の「春暁オフ」の皆さんで今度はアニソン限定カラオケにでも行きましょうかという話になって、休憩時間にそのラインの画面を見ておかあさんにたにたしていたら。

   「どーしたの早乙女さん、すっごい嬉しそうなかおして」と、管理者のゴローマル様(仮名)。アラサーだと思ってたら意外やかなーり大きいお嬢さんいらっしゃるそうです……。
   「今度カラオケ行くことになって。『人目を気にしないでアニソン熱唱』カラオケオフ!」
   「ナニソレ、早乙女さんアニソンなんて歌うんだー?」
   おお、ゴローマル様そんなでかい声で! やめて!
   「実はアニソンしか歌えません」
   ダメじゃんおかあさん。そこは
   「ブラームスは心の愛唱歌ですが、モーツァルトもいけます」ぐらい言おうよ!
   「えーっ、早乙女さんって、……変な人なのは知ってたけど、そんな人だったんだ」
   「……必死に隠していたんです」
   「もっと出そうよ!」

   いやほんと勘弁してください。

   って逃げ出したら、帰りに別の熟女に捕まりまして。
   「やーだ、早乙女さん、さっきの聞いたわよ、アニソンなんか好きなんだーじゃあ昨日の番組見た? アニメの歌手の人、水なんとかさんが出てたわ、60幾つですって!」
   「……みてないです」
   「マジンガーZ歌ってたわ」
   「……水木一郎ですか」
   「そう! やっぱり早乙女さんもああいう曲好きなの? ロボットの出てくる元気な歌」
   「いえそうとは……」
   「じゃあ、どういうの? サザエさん? サリーちゃん? キューティーハニー?」
   それって昭和の曲じゃん! そんなの歌わねーよ!!
   「ガンダムとか? ……エヴァンゲリオン?」
   「知らないわーそういう曲。子供が大きくなったらアニメなんかうちでは見ないし」
   ガンダムやエヴァも知らないのか、リア充は。困ったな。なんだったら知ってるんだよ。
   「ええと……」
   「うふふ、早乙女さんってそういう人だったのね……アニメの歌なんか歌っちゃうの?」

   もう電車の中で大きな声で、思いっきり正直に思ったことを言われてるだけなんだろうけどほんと煽られたというか全力で削られた感じ。

   「もうやめて! おかあさんのライフはZEROよ!

   じゃーどういう曲を歌うつもりなんだよ。
   おかあさん熟女と別れてから泣きの涙で次のオフで歌う曲を選曲し始めました。

   ……おかあさんが人様とのカラオケで歌うようなアニソンって……うーん。「幽遊白書」の曲か? 「最遊記」? 「イナイレ」? どれもみんな古いじゃん。
   ネタとしてよく入れるのは「キン肉マン」と「キテレツ大百科」いやコロッケじゃなくて「スイミン不足」の方。あとは「いなかっぺ大将」あれ天童よしみだから。

   ……ネタに走りすぎじゃあないかな?
                              おかあさん胸に手を当てて考え込んだ。

   とりあえず人様にお聴かせできるように曲を練習して行きましょう。
  それじゃあ、とむ影さん、波多利郎さんよろしく! 

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2015年11月 7日 (土)

メイ曲アルバムプーランクの「スターバト・マーテル」 軽さってのはこういうものよ

   この怒りをドコへ持っていったらいいのか。

   ええと、怒濤のご申請ラッシュも終わり、チェリースタッフサービス(仮名)のオペレーション・ルームも閑古鳥が啼いております。どのご申請者様もみんな審査に通ってぶじ補助金が下りるといいですね。暇になるとみんな悪いことを思いつくものです。修羅場を経験して仲間意識の芽生えたオペレータさんたちはみんなろうにゃくにゃんにょ(おかあさん噛んでます)、無駄話に花を咲かせて入電(お電話の着信)のない時間を過ごしております。向こうでは就職が決まって暇なマーチのイケメン4年生が友人共々水道を止められてさらに友人宅に揃って出かけてもらいシャワーした話をしてうならせたかと思えば、こちらでは地味にお嬢様な熟女がお稽古ごとを幾つさせられてたか語って廻りをどん引きさせたり。マネジャさんからは、
   「野暮は言いたくないんで、弁えた音量と内容なら多少は」と黙認されてます、そこはね。

   「あーおれこの件でマスコミからの入電取ったことあるよ」ヒソッ。
   ヴェテランのマーレさんはシニカルで面白い男性です。
   「まーどんなでした?」
   「西日本タイムスとかいったかなー(仮名)全然自分で調べる気ないっぽいの。なんか制度についてかるーく教えてくれって、それで投げてこられても」とニヤニヤ。
   ヴェテランだけあって核心に迫る発言はないマーレさん。おかあさんも相手するのが面倒になって、切り上げることにしましたよ。

   「解った、西日本タイムス(仮名)はクソ!

   折悪しく入電が止んでオペレーションルームはつかの間の静寂が支配していました……。

   「さっおっとっめっさんッ!」

   マネジャすっ飛んできておかあさん怒られましたよ。    
   過去の入電についてバラしたのはマーレさんじゃないかよ。さすがにヴェテランは怒られない加減を解ってる。

   しよーがないからパソ上の個人メモを開いて、昔採った貝塚、レクィエム固有文とかミサ通常文とか覚えてる限り黙々と書いてみましたよ。クレドが全文そらで言え(書け)なくなってて、そりゃ20年くらい歌ってないもんなあと悲しい気持ちになったり。 どうしても思い出せなくなって唸ってる最中に入電して慌ててメモ閉じちゃったり、
   「何やってるんですか?」と隣から声を掛けられてごまかしたり。
   ミサもレクィエムも穴あきながらなんとかこなしてスターバト・マーテルなんかやってみたりして。もうボロボロで、脳内で何度も再生を繰り返してやっと最終連まで書き出しましたけど、いやー長いねこの曲。AAB CCB……と美しい韻を踏んで進行するところもすっかり思い出しましたけど。懐かしくって、週末はこれ聴いて過ごそうと思いましたのよ。

   「立ってる母は嘆いてる」なんて、語呂はいいけど格調高くない。もっと格調高くええと、「立ちたる母は嘆きたり」? キリストが十字架に掛けられたその場に居合わせた聖母マリアの様を描き、共感しつつも救いを求める歌なんですが。けっこーいろんな人が作ってるみたい、ユーチューブで「stabat mater」で検索したら目指す曲以外ばっかり引っかかって困りました。

   わたしが過去にやったのはヴェルディのスターバト・マーテルと、プーランクのもの。今回はプーランクが先に引っかかったので、そっちから攻めるか、なんて開けて聴き始めたら、違和感バリバリ。最初の暗いイントロからしていろが違うカンジで。え? なんでなんでってなりましたよ。そんなに聞き慣れた演奏者のがよければCD聴けよって、例によって引越のどさくさでCDどっかにいって聴けません。ユーチューブで幾らでも探せると思って、真剣に探す気がなくってね。

   でも聞き進めていくうちにもうなんじゃこりゃ状態で、ふつうに予想している演奏ならそんまま誰が指揮してようがどこが歌ってようが聞き流して調べもしないのに、いったいドコがやっとるんじゃ、発音からヤベえよこれドイツ人か子音の目立つことってキャプション見たら「Monteverdichor Würzburg Matthias Beckert (cond.)」って。うわーおれもとうとう指揮者がどうとかなんとかフィルはどうとか理屈をこねるクラッシック・オタクになったかよ。指揮者のベッケルトさんはこのモンテヴェルディ合唱団の専属なんだか、けっこーグーグルではヒットがありました。近現代ものが好きみたいね。それでかよ(プーランクもフランスの
現代作曲家、この曲が1950年の作品というぐらいには)。

   なんかさー暗いのよ。

   この曲は、若かりし頃のまいねさんが
   「こんなえっちな曲を若人がやっていいのかーッ!?」NHKのスタジオの廊下で休み時間に絶叫したぐらいおフランスのエスプリ過剰な曲で、後半に行くにしたがってもう濃厚なエロスがぐわ~っとあふれ出て、湿っぽい不道徳さは、
   「なんか仏領インドシナなんですよ! 孔雀の羽根の扇でふわ~んってオリエンタルな匂いが漂ってくる感じで!」とわかんないなりに力説させるナニモノカがあったんです!

   その、ハープ乱れ撃ちないやらしい雰囲気が……固い。ハープの聴かせどころもプラスチック棒をパキパキ折ったような鳴りっぷりで。いやそうじゃなくて。確かにこの曲不協和音が凄くて音取りにくいけど、そういうんじゃなくて、多少怪しくてもいいから雰囲気だしてよう。強弱も、もっと、寄せては返す海の感覚が欲しい! ああ、わたしのいつも聴いてたやつは巧かったんだ!

   昔の「花とゆめ」でやってたフラメンコ漫画で、家庭に恵まれなかったヒロインが「楽しい」という感覚がわからなくて明るい曲をどうしても明るく踊れなくて、
   「そうじゃない、激しく踊ればいいってものじゃないんだ」といわれて、だってわたしの人生には楽しいと思える経験がなかったと行き詰まるエピソードがあったんですが、この曲にもそういうところがありました。軽やかに、「ここは尼さんが駆け回るイメィジで」と指示された辺り。軽いっていうのはスピーディってことじゃないんです、心が弾んでいる、延ばしていても、その音の中にビートを感じている、そういうところ。歌詞は「いざや、御母、愛の泉よ、我にもその哀しみを感じさせ共に悼ましめよ」と言ってるので、そうそう明るくする必要もないのですけれど、こんな歌詞でも軽やかにリズミックなのがまたフランスのエスプリなのね~と、解らないなりに解ったつもりで、暗さまっしぐらの曲の中で変化を付ける意味もあって、かろやかに歌っていたところを、一本調子に固く歌われてしまって、あーだめだこいつら野暮天だ、とわたくしそう思いましたね。ハーモニーの広がりはあった感じだけどね、心浮き立つスイングがなかったよ。
   そのあとの無伴奏の部分「我が心を神なるキリストへの愛へ燃やしその御旨にかなうものとせられたし」はもう手を触れるのももったいない感じの荘厳さはあったけどなあ。最後の「勝利の栄誉」とか、「天国の栄光」とかいう勇ましくも華々しい言葉についた妖しくも麗しい響きがぜんぜん消化不良で表現し切れてなかったカンジでしたよ。

   やっぱドイツ人にフランスものは無理だったのか(決めつけ禁止!)。

   なんて偉そうに思って、いろいろ聞き比べるのは大事なことなのねーってそう思いましたです。それを考えたら、やっぱりあのジャケット(?)の美しいステンドグラスに魅せられたわたくしの愛聴盤はいい演奏だったんですねえ(今ざっと見たところによるとグラモフォンによる小澤征爾のCDらしい)。

   ここまでけなしておいてリンクを張るのは可哀相かしら。最後の理性でリンクを張るのはやめときます。そして、50を前にやっと演奏者によって曲の雰囲気が変わるということにきづいたおかあさんでした。おせーよ。

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2014年12月10日 (水)

あの日々はなんだったのかと

ま   引越が決まっててんてこ舞いの早乙女家であります。ねーイーヴィヒベルクの町内の資源ゴミ回収って昨日じゃなかったの? みんなしてうちじゅうの雑誌類まとめて玄関先出しといたのに誰も出してなくて、そんでもって取ってって無かったよ。虎美帰ってきて徒労感に絶望して今日起きれなくてさぼったの。出席がマジあぶない虎美ちゃんは高校卒業できるのでしょうかおかあさんちょっと心配。

   さて、作業用BGMにパヴァロッティのコンサートの動画をユーチューブで拾って聞き始め、結局洗濯物畳んだだけの午前中だったのでしたが、最後数分でわたくし目がカッ!
<・> <・> これね。

   曲はオペレッタ「マルタ」の「夢のよう」、イタリア語訳版の歌詞から、「マッパリ」とも呼ばれる名曲だそうです。暇な宮廷生活に飽きて下々の生活を試してみたいと「マルタ」を名乗って求人市場に紛れ込んだヒロインとヒーローが恋に落ちるラヴコメ・オペレッタらしいです。「マッパアリー ドォルテアモー」となんか牧歌的な出だしがほんとシンプルで可愛い曲でした。ま、テノールだし。ぼくの心はあなたが持ってってしまったよ、あなたが消えたらぼくは焦がれ死にだよと歌詞が全然哲学的じゃないのはラヴコメだからね。
   それから、「マルタ」と、関連画像で同じ曲を歌ってたジーリという20世紀初頭のオペラ歌手を検索し(肖像がハンサムだった!)、そこからまたマリオ・ランツァという歌手に行き、そんでもって関連から「ジョコンダ」というオペラの「時の踊り」という曲へ飛び、そんでもってそれがリメイクされてヒットしたという「レモンのキッス」とか小柳ユキまでいって、もう、ママン、能率低いよ、なにやってんの! という時間の使い方をしました。ああ、せっかくのお休みを……。

   そんで、最後に拾ったなんとかいうオペラ歌手の「誰も寝てはならぬ」を聴いたら、なんとやつは最後の「♪vincero~ vincero~(わたしは勝つ!)」をヴィン「ケ」ロと歌いやがったのでありました。オイオイ。イタリア語で「ce」は「チェ」だろ。「家畜智恵子」と覚えたよ。ca,ci,cu,ce,co は、それぞれ カ、チ、ク、チェ、コ と読むんです(イタリア語はほぼローマ字読みでいけるんだけど、カ行というかcだけイレギュラーなので敢えて)。智恵子さんごめん。東京に空がないようにまいねには遠慮がないとでも思ってください。

   大学の頃、マトモに外国語を耳にする機会がほとんどない身として、さまざまな書物に当たってこれこれこうの時この文字列はこう読む、だからこの歌のこの歌詞はこう読むのが正しいなんて調べて、得意になって発表して、それを団員に強いていたという恥ずかしい過去を持つわたしですが、こうどーどーと、ネイティヴではないといえプロの歌手が「間違った」発音で歌を歌ってたのを聴きますと、ほんと、あのこだわりはなんだったんだろうと思いますね。ヨーロッパは結構人の行き来が自由だったので、あーこの歌手イタリア訛りで歌うんじゃねーよでもチクショウいい声だ、なんてのはクラッシックではごくふつうな感覚なのかもしれないです。じゃーあのころのわたし達も、ちょっとあやしい発音でも、曲さえちゃんとしてたらちゃんと評価されてたのかなと今となっては思ってしまいます。キリスト教徒じゃなくて、うちにはクラッシックのレコードなどなく、西洋音楽は学校へ行って習うものとして極東からおそるおそるクラシックに触ってみている身としては、せめて調べられるところは全部調べて、というアプローチをしていたのでした。
   今の人はいろんな曲を情報からではなく演奏されたものとして接することができるから羨ましいです、ホント。そんでもって、伝説の名歌手の歌にも手軽に触れられるしね。お昼からいろいろ聞き比べましたが、マリオ・ランツァの伸び伸びした歌い方が好きかなあ。それから、ミスター・ヴィンケロはBjoirling ユッシ・ビョルリングというスェーデンの歌手でした。メットの看板テノールとして活躍し、1960年没。スェーデンじゃあなあ。1回目はちゃんとヴィンチェロと言ったのですが、声を張り上げる2回目でうっかりケロって言ってました。なお悪いわ。いや、ここはしょうがないか。それが死んでも残って、永遠に「こいつw」ってされると思うと、ネット動画時代もいろいろ大変ですね。

   まあそういう優雅なことをしておる早乙女の師走は大変ということで。またもご無沙汰してしまいますが元気にやってます。年が明けたらまたよろしく。

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2014年7月20日 (日)

メイ曲アルバム 「ゴールドフィンガー'99」 リゾラバでノリノリ

   やっぱ夏になると聞きたくなりますね。郷ひろみの「ゴールドフィンガー'99」。あのアチチ・アチというサビのかけ声は一世を風靡しました。そーいえばこれ、誰かのカヴァーだったよなと調べて原曲をユーチューブで呼び出して聴きましたよ。リッキー・マーティンの「Livin' La Vida Loca」だそうで。若いわ。向こうの人の逆三角形にかぱっと笑う「少女漫画の口」にちょっと引きながら見入ってしまいました。ダンスは郷ひろみの方がキレがあるし振り付けも(あの手の振り以外も)カッコイイと思いましたけど。

   原曲の「Livin' La Vida Loca」ってクレイジーな生活を送るって意味らしいです。じゃあ「ゴールドフィンガー」ってのはどこから来たのよ? 今回の疑問はそこかな。

   調べると、そういう洋楽の歌詞を翻訳して紹介してくれるサイトってのは結構あるもんで、いろいろ見比べると情熱の赴くままにえいやっとやってくれてるというのがモロ解りだったりして、じゃあおかあさんがクラシックのマイナー曲の歌詞を痛々しい語学力で訳しているのもあながち電脳資源の無駄じゃないのかもとヘンなところで自信を持ちました。ものがマイナーだけにほんと藁にもすがる的需要があるかもしれん。すいません、頼れる藁になります。どうぞご利用下さい。

   そんでもって歌詞の内容は……ええと、ファム・ファタール的彼女にいかれてしまって、雨の中マッパで踊るようなことさせられるかもよ、お水なんか飲まないんだ、いちいちシャンパン頼まないといけなくなる……と心と生活をかき乱させられるたとえが次々続き、ひろみヴァージョンのサビにもあるとおり、「upside inside out」身体の中と外がひっくり返される状態、クレイジーな生活に引き込まれてしまうのさ、と歌うのでありました。
   こりゃ、向こうの恋の歌にはありなのかもね。
   「Killer Queen」もそんな感じじゃなかったですかね? 彼女と付き合ったら大変カモよって。
   リッキー版の歌の中盤の決めぜりふ、「ドタマに弾丸ぶちこむみたいに」と、危険な彼女の魅力にくらくら(でも嬉しそう)と歌い上げているのがラテン・テイストってところなんでしょうかね。発売は4月だし、とくに夏っぽいところはありません

   それが、ご存知ひろみ版だと、日本語版歌詞は康珍化、たしかに男の方もノリノリで口説いてますが、彼女の魅力に狂わせられるってことはない。自分が理性を失っていく描写はあるにせよ、それは特定の彼女の独特な魅力のせいではなく、「夏の太陽がさせたことだよ」と、夏というシーズンのせいにしている。リゾート地の一夜限りの恋。「♪夏のこーいはまやかしー」って、リゾラバかい。全部嘘か。とりあえず、原詞の内容を少しでも再現しようとしているところはありません。世界観だけでも出してみようという雰囲気も感じ取れない。まるきり別ノリですね。
   あとはまあ、日本語は1文字1音節なんで、同じメロディのフレーズでも入れられる歌詞=内容が少なくなるので歌詞を書き出して内容を見比べて吟味すると……内容の薄さにがっくり来ますね。まあ、訳詞という形態上、「彼女はクレイジーな生活を生きている」てな感じで固い文になるせいかもしれませんが。日本語の相当部分が「感じたんだろうか」じゃあ、あまりにも感覚的、断片的で、雰囲気だけ、別物なら別物で全体を統一して流れる思想てのが感じられないんだなあ。流行歌にそんなの要らない? そうですかね? いい曲は時代を超えて、なんかドラマ的流れ、作品の世界とかあった気がしますけどね。

   そんでもって、原曲を見ると絶叫したくなるのが、あの「だろうか」「だろうか」というサビの脚韻部分が、原曲のタイトルで、サビでも繰り返される「Livin' La Vida Loca 」の(ヴィ)ダ・ローカの空耳を意識していたということですね。そんな小技いらない。いやここがニヤリポイントなのかな。どうでしょう?

   そうそう、原曲では「dancing in the rain」と、雨の中踊るって言ってるのに、ひろみ版では同じところで「ダンシン イン ザ サ~ン♪」と高らかに歌ってて、おいおい、雨はどこへいったとおかあさんは突っ込みたいです。向こうは雨の多い日本とは違って、雨の中踊るってのにこちら以上の非日常感があるんでしょうかね? とりあえずrain も sun も1音節なのでフレーズ的にはちゃんと乗ってます。じゃあべつにwind でも snow でもいいわけだ、ははッ(やめとけ)。

   いい男のノリノリの曲を代わる代わる聴いてノリノリのおかあさんでした。さあ、明日も仕事です。はりきって行ってこよう!

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2013年11月 8日 (金)

メイ曲アルバム ヴェルディのレクイエムを演歌に

   昨日の現場は寒くって、風邪をぶり返してしまいましたよ。おまけに、帰りのバスを真剣にダッシュして追ってしまったので(一緒にいたお嬢さんに脚速いんですねと言われた。ありえない!)、朝は内股の筋肉がつって眼を覚ましました。要するに一日寝てました。明日も寝て体力回復に努める模様。ほんと大変。

   ヴェルディのレクィエムをやったのは学生時代でした。あの先帝陛下不予の自粛の秋で、これを練習しても果たして発表会は開けるのかすっごく不安だったことを覚えています。ヴェルディは立派なイタリアーノでしたので、ほんと泣かせる曲づくりで、やってる間はとても楽しかったですけどね。ああいう大曲は、とくにヴェルディのは、合唱パートだけで盛り上がる部分と、ソリストが頑張る部分とが交互にあるので、練習は飛び飛びでやっといて、最終局面のリハーサルでソロの曲を聴いてへえこんなのあったんだ、と思うこともあります。モーツァルトのレクィエムは、当時お金が無くてCD買えなくて、全曲聞いたことがない状態でやってたんでコレに該当します。今でもソロ部分はおぼつかないです(オイ)。ヴェルディの方はまだ、自分でCD聴いて練習もしてたんで、ソロパート歌える方かも知れません。

   そう、歌えるんだ、ソロも

   本来のパートはアルトなんで、覚えるべきはアルトなのかも知れませんが、ヴェル・レクのアルトソロなんて地味なところなんで。そりゃ歌えと言われれば歌いますが、ソプラノや合唱部分との掛け合いを楽しむ曲作りの所なんじゃなかったかな、1人で歌っても面白くないです。歌えるのはテノール・ソロ。

   Ingemisco の部分はもうそらでいけますね。

   続唱と呼ばれるレクィエムの華の部分、最後の審判の日がやってくるぞ、神様スゲー! 悔い改めますからお許しを、というような歌詞が続いてソロも大活躍する部分のクライマックス、テノールが悔い改めるところです。

   わたしは自らの過ちを嘆き……とはじまり、多少神をヨイショしながらわたしを地獄に落としたりしないでネとお願いする実にキリスト教らしい歌です。これがまた、オペラアリアばりに朗々とやってくれるので、聴きながらいつも突っ込んでやりたいと思いつつうっとりしてます。

   これに、演歌のような歌詞をつけちゃう。だいじょうぶ、ヴェルディ節だから。けっこうフィットしました。

   言ってみれば、たやすいこと
   終わった恋など 胸の奥心の内 洗い流すさ

   夏の夜 眠れぬままに 白むまで語り明かした
   時は秋 熱は去り 呼び返せぬあの思い出

   長い夜 持てあまし 温もりの記憶は薄れ
   切なく 夜を過ごす

   忘れようとしても 忘れられぬ その瞳 そのしぐさ
   今あなたにもう一度 夢の中でも逢いたい
   あの思い出胸に返せよ

   口では軽く 言ってはみても 忘れられぬあの女(ひと)

   最初強がってはじまっても、どんどん崩れてゆくところがヘタレ。たいして悩まないで歌詞を振れたのは、身に覚えがあったからでしょうか、覚えてないわーたしか銀行の合唱団の頃には宴会芸として歌ってたから、その頃には歌詞は固まってましたね。こんなものを宴会芸にするな(いや、結構宴会でクラッシックを変な歌詞で歌うってのやってたかも、あの頃)。

   「なーあぁつーのーよー眠れぬーまーまにー」のところ(原詞ではQui mariam absolvisti,)では小節を回して欲しいし、 「時はー秋、熱はー去り」と上がって下がる上昇音型からすこーんと抜ける高音部(同, Mihi quoque spemdedisti~ )、これは氷川きよしに歌って貰いたいなーと常々思っとります。「あーのおもーいでー」からのクライマックスは高いソ (G) まで持っていくのでホント楽しみです (statuens in parte Deus)。いや、きよし以外にはやってほしくない。

   いやほんとどう見ても演歌だよこれ。
   ああ、「きよしとこの夜」があったら一度お願いしたかったのに。惜しい番組を無くした。意外と平原綾香が既に歌詞を付けてアルバムかなんかに入れてるかも知れませんけど(彼女も「木星」に限らず適当にどのクラシックにも歌詞を付けちゃう人らしい)。

   続く「Conftatis maledictis~」は、もう20年思い出しては頑張ってるけど気の利いた歌詞がいかないので、ほんとこれは出会いのものだと思います。元の歌詞でちゃんと歌えるようになってないからなんでしょうか。これはバリトンソロなので音域的にわたしはきついです。

   「つーみの重さに怯ーえ 伏ーして控える我を 主ーは許し給ーうや?」と、ターンタタッカタッカターンターン♪ というこの付点のリズムは王の登場を表わすお約束なんだそうで。そういうあたりも解って聴くとおもしろいですが。頑張っても豪傑訳にしかなりませんでした。もう日常にロマンスが足りないのかしら?   

   

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2013年8月17日 (土)

実録ブラバン甲子園 2013 

   「甲子園の応援の曲で今年はどういう曲がトレンド入りしているのかね?」
   「そんなに毎年違った曲が入るってわけじゃないよ。同じやつ」
   「ふむ、そうか」

   なんて会話をこないだ家族内で交わしたと思ったら。

   「今の攻撃で『あまちゃんのテーマ』がかかった!」と旦那様が書斎を飛び出てくるし。
   「りんごっこ」で今年の目玉となっておる青森の高校は「りんごの唄」のマーチアレンジだし。「♪りんご~かわ~い~や~かわいやりんご~」最後まで唸り終わってからタイトル思い出して吹き出しちゃった。

   なかなかやるではないですか。

   って、更新しようと思ってパソ開けてる間に今やってる徳島鳴門高校は当然、「阿波踊り」だ!

   日本の高校の吹奏楽って実はレヴェル高いのでは……?

   「『潮騒のメモリー』のサビはゆっくりしているから無理かのう? 『しィおーさいッのッメッモリー♪』」と思いついたのに、
   「無理でしょ」とおにいちゃん。
   「じゃあ、『きぃ~てよその火を飛び越え~て~♪』の部分は?」
   「ダメ」
   やっぱ高校野球のコンバットマーチになるのは紅白に出るより難易度が高いみたいです。とりあえず、「潮騒のメモリー」には次の選抜の入場行進曲を目指してもらいたいものです。

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2013年4月28日 (日)

メイ曲アルバム 「ここに輝かしい日がはじまって」

   こないだの週末にTVでやっていた「テルマエ・ロマエ」、映画館に見に行けなかったのでありがたく視聴しましたが。確かに、最初はかぶりつきで「1巻のあのエピソードだぜ!」「アレか? 次はアレ来るか?」とゴキゲンだったのですが、オリジナル展開になった後半は下向いてそこら辺のお掃除はじめてたりして。まあいい。
   おかあさんががばーっとTVにかぶりついたのはBGMが変わったとき。
   「ドン・カルロだぜ! よぉーくやった!」
   あの映画なんでBGMどれもこれもオペラからとってきてたんでしょうね?
   確かに壮麗な感覚は近いものがあるかも知れませんけど、この「ドン・カルロ」にしても「蝶々婦人」にしても、じゃあ最後は来るなと思っていた「アイーダ」にしたって、近代の作品じゃないですかよ。アイーダはエジプトの話しだし、時代もローマよりうんと昔だよ(たぶん)。「ドン・カルロ」は無敵艦隊の頃(エリザベス朝としてもざっと徳川家康と同時代)だし、「蝶々夫人」なんか幕末~維新の頃じゃん! ローマ帝国最盛期、チーム・ゴケンテイのセンター、ハドリアヌスの頃からは1000年以上も離れてますよ! 
   ……野暮を言うな。

   それにしても、大昔オペラの合唱曲集のCDで聞いてからわたしの心を燃えたたえせ続けている「ドン・カルロ」の合唱曲、ええと、2幕めだったり3幕めだったりヴァージョンによって違うみたいですけど、異端審問がはじまるぞーって群衆が集まってくる「ここに輝かしい日がはじまって」に久々出会えて嬉しかったです。この曲マイナーでさ。
   オペラの曲の呼び方ってのは、多分頭からの通し番号もあると思いますけど、普通に「何幕何場の誰それのアリア・二重唱・合唱……その他イロイロ」っていう客観的な表現と、「女心の歌」とか、「闘牛士の歌」みたいに、曲に端的なタイトルがついてる場合(超有名な曲ね)と、その曲の出だしをマンマ言っちゃう場合、「恋の悩み知る君は」とか、「思いよ黄金の翼に載って」とかがあります。これは3番目のパターン。一番客観的と思われる何幕何場っていう表現も、オペラは時々編集されたりして幕数変わったりしますんで(この作品がそうだ!)え? このオペラ3幕まであったっけ? とか齟齬を来たすこともありますんで、難しいですね。歌詞で言おうとしても、日本語訳で言っても海外のファンには通じないし。訳者によって微妙に揺れがあるし。うちのお義母様も「それは Voi che sapete?」と原語で聞き返してこられて、こっちは絶句。ほんと悩ましい。

   で、この「ここに輝かしい日がはじまって」は、チャン、チャララン、チャン、チャララン、チャッチャッチャ、チャララ~♪ とファンファーレが鳴り響くなど文字通り輝かしく始まって、それまで「どれもこれもよく解らん……」と眠くなりながら聞いていたまいちゃん@おちこぼれ新入社員の目をこじ開けてくれた名曲なのです。しばらくはこれをカセットテープにダビングしてお目覚めタイマーで流しながら起きていたと思います。うん、スッキリ起きられましたよ。「こ~こにはーじまるー輝くー日はとてもとてもとてもとてもす~てき♪」って適当に歌詞を付けましたが、往年の近藤真彦のようにギンギラギンにはじまって、たゆたうようなメロディを弱い音で唱える部分を経て、抑えつけたパワーをゆっくり盛り上げていってもう一度最初のテーマを繰り返し、次から今度はお坊さんの恐ろしい異端審問の合唱。なんか転べ転べとも言ってるようだし(切支丹じゃあるまいし)。また盛り上がったところで今度はファンファーレのあとお説教パート(これはメロディはなく語り、異端の人々を弾劾しておるらしい)を経て盛り上げ返してまたテーマで三度盛り上がってエンディング(異端の人達は処刑されるらしく連行される)。カッコイイ曲なんですが。なんでマイナーなんだろう。どうマイナーかと具体的に申しますと、たとえばアイーダの「凱旋」、「大行進曲」とも言いますが、ユーチューブを開けて、検索の箱に「アイーダ」と「凱旋」と入れれば、直ちに目指す曲がいろんな指揮者、オペラハウスで引っかかります。ところが、「ドン・カルロ ここに輝かしい日がはじまって」と入れても、「検索の結果はありません」って……。しくしく。「ドン・カルロ 合唱」と入れてもいろいろ二重唱が混ざって現われ、それを取捨選択してやっと引っかけたのがこれ。http://www.youtube.com/watch?v=R9jmAuVAbGQ

    原語のタイトル判ったらそれを入れると次からは簡単かも知れません(クラッシックの検索の裏技)。

    なんでこの曲マイナーなんだろう(後年自分でCD買おうと思ったらもうなかった)と思ってたら判った。このオペラ自体がマイナーなんだよ。

    歌劇「ドンカルロ」はヴェルディ作曲のグランドオペラです。作品№でいくと25って中期ぐらいかな、後期に入るんでしょうか。もともとフランス語台本らしいですがそれじゃ難しいのでイタリア語ヴァージョンもあるとか。原作はシラーさんなら原本じゃドイツ語なの? 向こうの人って語学が堪能じゃないと仕事できませんね。
    なんでマイナーかというと以下調べた上での私見を箇条書き。

    1。純粋に長い。 オリジナルヴァージョンだと5幕、4時間。付き合えません。カットしたヴァージョンがいくつもあって、決定版がないというのもあるかも。
    2。配役が派手すぎて歌手を揃えられない。 オペラってなソプラノとテノールが恋仲で、それに悪玉のメゾソプラノとバリトンが横恋慕して割り込んで悲劇になるもんだそうな。これがまたヴェルちゃん気合い入りすぎて、題名役のカルロ王子に相手はエリザベッタ王妃(親父の後妻)、息子の婚約者を奪ったクソ親父がフェリペ2世の親父の愛人のくせしてカルロに横恋慕するエボリ姫がそれぞれ難しくていい曲を割り振られているので、どれもそこそこの歌手を必要とするらしいんです。「カルメン」はカルメンとホセにエスカミーリョいればいいし(ミカエラなんて一瞬だ!)、「トスカ」なんてトスカとスカなんとか(スカルピアね)さえしっかりしてればいいんだけど、これは4人がフルに大物じゃないと無理。そんでもって異端裁判長なんてじいさんも必要だし、カルロの親友がまたいい役だし、この派手な合唱を支える群衆役も数必要だ!
    ……マネジャーさんの苦労が知れるよ。
    3。宗教的にヤバイらしい。 フェリペ2世の頃のスペインって、アレよ、宗教戦争。勝ったもんの歴史観から語りますと、スペインはインジュンコソクな旧教国ということになっております。カソリック教会なんかに牛耳られておる「遅れた」、真面目な新教徒の商工業者を弾圧する「悪」の大帝国。フェリペ2世はその親玉。どうりで息子の婚約者を奪ったうえに二股。最低。いやそうじゃなく。世界史的にもフランドルとか、ネーデルラントとかの新教を信じる住民の多い領地を差別して弾圧したことになっております。そういう嫌な親父を描くにあたって、作中も「たとえ王でも教会の権威には逆らえない!」とか坊さんに絶叫させてます。
    なんか、この辺? 初演の時ナポレオン三世の奥方が遺憾の意を表して退席したらしいですな。これは、セレブとしてはアリな対応みたいです。当時はツィッターも試写会のあとのワイドショウ向けのインタビューもありませんから、「この作品糞だわ」と思った場合、セレブは途中で退席するのがお作法だったみたいよ。他の作品でも、ウィキペディアとか、別のメディアででも調べると、「貴婦人が退席するということがあった」ってスキャンダルの記録がありますから。……まああのひと(ウジェニー皇后)お里がスペインらしいし。
    4。物語として意味不明。 これが大きいと思う。わたしバブルの頃NHKBSオペラアワーでこれ眠い目擦りながら見てましたが、最後、カルロ王子謀反の罪を着せられ処刑寸前、エリザベッタが隠れて会いに来て、「2人の恋はあの世で結ばれる」と涙の別れをしていて(なんか「アイーダ」と被ってるんですけど)と思ってたら、墓がぱっくり割れて、ご先祖様の霊が出てきてカルロを墓に連れ込んで終わっちゃった! なにこのスペクタクル! 笑えばいいの? 糞親父に制裁は!? 納得行かん!

    ……書いてきたらこれは受けなくて当然って気がしてきました。ご先祖様の霊が進退窮まったカルロを神隠しにして、どこか遠くでこっそりフランドルの民のために活躍できるようにしてくれたんならまだいいけど……(「サラディナーサ」河惣益巳のアウストリア公ドン・ファンのエピソードはこれに拠っているらしい?)どうもそういうんでもないらしくて。「ドン・ジョヴァンニ」のラストの、ドン・ジョヴァンニが騎士団長に地獄に連れ去られるようなもんで、トラブルメイカーはあの世に去ったよ、めでたしめでたし……てな感じなのかも、酷すぎる。

    ……オペラの傑作って、天の時地の利人の輪じゃないけど、いろいろ揃わないと成立しないもんなんですね。そこんとこが、「カルメン」や「トスカ」と「ドン・カルロ」やその他マイナー作品との差なんでしょうか。
    でも、「ここに輝かしい日がはじまって」はいい曲(異端のやつには死の裁きをって言ってるかもだけど)ですから、これだけでも聞いてみませんか?

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2013年2月22日 (金)

ブラヴォーは一拍待って?

   おかあさんまたよそ様でやらかして

   「雑学のソムリエ」、今日の更新は「フライング・ブラボー」。なんでも、クラッシックのコンサートで、曲が終わるのを待ちかねて「ブラヴォー!」と声を掛けるファンがいらっしゃる。まだ余韻に浸りたいお客もいるのに……とのこと。もしかして、それは「空気が読めてない」という意味のお話だったのかも知れませんが、わたくし、似たようなというかもっと困った実体験があったので、「ああ、経験ありますよ」と書いちゃった。だからよく読めって。あれでしょ? 映画が終わって、まだスタッフロールが流れていて場内暗い内に帰るなって話でしょ? 「ハリーポッター」の、アズカバンの囚人かな? あれは最後の最後にクスリと笑わせる、その巻を象徴する演出があったんだから。最後まで観ましょうよと言う制作側の気持ちが解ります。

   そちらを見に行っていただくと確実なのですが、「フォーレのレクィエムは、構成上ふつうのレクィエムのあとにもう一曲付いた形になっている。そして、その最後の曲の一歩前で、ブラヴォーと声が掛かってしまった。最後の曲、これがフォーレのレクィエムの白眉たるところなので、お客はずっこけてしまっただろう。わたしも一緒に聴きにいった仲間同士、困った客がいたものだ云々言ってしまった。しかし、曲の合間には拍手をしてはいけないそうだが、途中の曲にとても感動した場合など、気持ちを抑えかねて困ってしまうこともある。コンサートのお客をうまくやるのは難しい」云々と書いたのですが。
   いや、最後の音がまだ鳴っている最中のブラヴォーどころじゃなくて、曲の継続してる最中なんだからそれはもうずっこけるどころの騒ぎじゃないだろう。やっぱりマナー違反だったんでしょうかね。

   こういう例はどうなんでしょうね? おかあさんは、
   「これはうちでCDを聴いてるだけじゃあ得られない経験をした、ラッキー♪ 話のネタにもなるし」とほくほくで帰ったと思います。
   「うわっ、『楽園で』の入りにそんな雑音被せるなよ、雰囲気壊れた、金返せ」と思う程じゃあないです。そこまで濃いクラッシック・ファンじゃないなあ。合唱をやっていて、その日の舞台で披露する側のお友だちから買った千円しないようなチケットで、完璧な出来を期待していったわけでもなかったので余計にそう思うのでしょうか。
   あら? じゃあ、外国から来たとっても有名な合唱団で、指揮者もそれなり、お値段も万単位だったら怒ったかなあ?

   逆に、一年この日のために練習してきた晴れの舞台だった場合、ステージの上に乗ってる合唱団員さんにとってはもう、殺してやりたいぐらい憎いでしょうかねえ? ステージは録音して記念にとっとくものでしたし。自分たちの晴れの舞台が、そういう、アマチュア合唱ファン達の笑いのネタにされるなんて悔しいでしょうし(ごめんなさい)。

   そういうことを考えると、とっても大切な一期一会なんだから、よくよく勉強して、雰囲気を壊すことのないように気をつけて行動すべきなんでしょうかねえ?
   でもフォーレのレクィエムは、ある程度合唱曲を知ってるひとこそ引っかかるワナだ!
   まあ、レクィエムという曲のジャンル(死者のためのミサ曲)を考えたらブラヴォー! なんて掛けられないかも知れないですけど。

   じゃあ、プロフェッショナルのオーケストラ奏者や独奏者の方にとってはどうなのかしら? 

   ここの楽章確かにこの楽器の聴かせどころがあって、今日はとてもよく出来た、そこで次の楽章に入る前に「ブラヴォー!」って掛かったら……?
   「ふふん、確かに、今宵のこのコは素晴らしくよく啼いてくれたよ」とイイ気持ちなるのか、
   「まだ一楽章残ってるんだよ、焦るなよ、ぶちこわしじゃないか、こっちの集中もキレるだろ」とイヤーな気持ちになるのか。

   ちょっとお尋ねしたいところです。

   虎美の学校に限らず、学校の吹奏楽部の演奏会なんかだと、聴かせどころでソロ奏者は立ち上がって聞かせたりして、そしてその後は曲の途中でもわーっと拍手が浴びせられたりしてますけどね。そこは文化が違うのかしら?
   オペラなんかは、アリアの度に拍手がわーっと掛かるのがふつうみたいに見聞きしますけどねえ。ええ、演劇としての進行はプッツンプッツン止まってます(それもどうよ?)

   プロフェッショナルならなおさら、
   「そういうことを気になさらないで、楽しんで下されば良いんですよ」と口じゃあ言ってくれそうで。だって、それで、クラッシックのコンサートはお行儀よくしなくっちゃ! ってことになってさらに足が遠のいてしまったら……おまんまの食い上げじゃないですか。プロなのに、「ああ、邪魔です」ってハッキリ言っちゃうのって、どうかと思います。

   でもホントのことを言えば……茂木さんでしたっけ、器楽奏者のエッセイストの方にでもぶっちゃけて欲しいところです。おっちょこちょいのおかあさんはとりあえず人の話を良く読むと言うことで。

   で、自分が演奏する方だったおかあさんがお客として行くときは……音が鳴り終わってから、しばし余韻に浸った振りをして、そこからはっと我に返った如く勢いよく拍手を打ち鳴らします。その辺はもう、阿吽の呼吸で。要らん演技?
   わたし達の周りでは、「あのブラヴォーはサクラ」ってことがありました。うちの合唱団ったら選曲がマイナーすぎて、「もしかしたらアマチュアでは本邦初演?」ってこともあったらしいので、どこで終わったのかも解らない、前衛過ぎてあの和音はあれでよかったのかとっても微妙……って曲の場合、OBなんかにお願いして、あんまり出来が酷いときは止めて貰いますけど、ブラヴォーを掛けて貰う約束をしていたそうです。そういうときは、誰が拍手の口火を切るかもきっと気が揉めたことでしょう。

   あは、やっぱりクラシックのコンサートに行くのが怖くなりました?

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2013年1月 4日 (金)

常識を疑えば

   またしても一生分第九を聴いた一週間が明けて。新年のリーリエマートは、「春の海」やら「お正月」やら「一月一日」やらのメドレー。

   まだ閑散とした店内でぼんやり、
   「第九やるなら全部やってくれればいいのに、盛り上げるだけ盛り上げといて、あそこの大フーガから先やらないんだよな」と非常に残念に思っていたり。

   あそこの大フーガというのは、第九始まってちょうど1楽章から1時間ぐらい経ったところの、「Seid umschlungen,Millionen! Diesen Kuss# der ganzen Welt!」って、男声のおっかけっこから入る所です(#印のSふたつは正しいスペルではベータみたいな形のエスツエットですよ)。歌詞のシラーさんとしては一番言いたかったところはここでしょう。曲としても山はここだと思うんだけど、一般的に第九っていうとみんなミミファソソファミレのテーマを思い出すんだよな。悔しい。

   「百万のひとよ抱き合えよ! 全世界に口づけを!」ですから。そんでもって、
   「兄弟よ、 星空のその上に愛しき父はいまさん!」ですから。

   おめでたい人間愛の歌じゃねえよ。絶対的一神教を固く信じようって歌だから。

   「大事なことだから2回言いました」とばかりに、言い回しを変えて、もう一度言ってます。

   「百万のひとよひれ伏すか? 創造主を感じるや?
    星空の上に主をもとめよ、主は星々の上にいまさん」

   そこんとこが日本人のおめでてえ所だなと思うんだけど、まあ、名曲だから気にしない。八百万の神々もお許しになってるようだし。

   解っててその歌詞の所を抜いたんならこの年末用有線BGMをアレンジした人を尊敬しちゃうけど。どうだろう? ないでーす。たぶんね。

   おかあさんの好きなところは昔っから変わらず、「走れよ兄弟!」と威勢よくテノールソロが歌う所なんですが、他に好きなのは、初っ端のテーマが1回終わった後、ソリストが顔見せする辺りですね。

   「 Freude,trinken alle Wesen 
    an die Bruesten der Natur,
     alle Guten,alle Boe*sen, 
    folgen ihrer Rosenspur.

     Kue*sse gab sie uns und Reben,
    einen Freund geprue*ft im Tod;

     Wollust ward dem Wurm gegeben,
    und der Cherub steht vor Gott.」

   *印はウムラウトをごまかしスペリングしてるところです。

   ここんとこはなんといっても歌詞が格好いいです。

   「いかなる気性の者とても 自然に抱かれ歓喜の乳をふふむ 
   全ての良き者悪しき者、おのおのが薔薇の道をゆく

   自然はわれらに葡萄酒と 死の試練に耐えたる友を与えたり
   快楽は毛虫にくれてやり ケルビムが主の御前に立つ!」舞音訳です。語呂が悪いっ! かなり意訳を採りつつもどっちつかず。改良の余地在りです。

   大自然の乳とか薔薇の小道とか死の試練とか大天使とか、ああ、豪華絢爛!

   だがしかし。唐突に現われたWurm、これ英語で言うワームなんだろうな、この単語が違和感です。豪華絢爛の世界になぜこんなものを。いや、ぶっちゃけWで始まる単語で揃えてたからだろうけど。

   古典的な訳だとここは、
   「虫けらにも歓喜が与えられ」となる所なんですが、どうも腑に落ちない。いや文法的にはあってる。歓喜が主語だけどジュドータイでドイツ語ならではのテードーシコーチで gegeben (英語で言うとgive という動詞。だから was givenと思えばいい)が「与えられた」でいいわけなんだけど、今さっきエキサイト翻訳で聞いてみてもそう答えてくれたけど、それはいったいどういう意味?

   だいたいにして、第九の歌詞はシラーさんの教養っていうかあの時代ノリが全開で、文法的に正しい筈の訳でも意味不明です。
   「歓喜! 美しき神々の火花! 楽園の乙女! 我ら火に酔って崇高なあなたの神殿に足を踏み入れる!」って初っ端から訳分かんない! 

   ……だから文字通りお酒でハイになって古典ゲージュツ的でケイジジョー的な気持ちになってるんですね。そのノリで解釈していかないと乗り遅れます、はい。いやもう、どの第九の楽譜の訳詞も、CDの対訳も四苦八苦してますね。きみはこんな訳を晒して恥ずかしくないのかと面罵したいこともあります(おかあさん自重)。

   「虫けらにも快楽が与えられ」ってのは、そういう、もう大盤振る舞い、文化は爛熟して一部の貴族だけのもんじゃないぞ! って雰囲気……って、ほんと?

   どっちかっていうと、西洋史で有数の激変な時代、王様も首を斬られ、身分制度がひっくり返った頃のこと。自由だ平等だ博愛だの時代(いや明確には革命ちょっと前)の文化人のことだから、
   「おれたちはもっと崇高なもののために生きているのだ、快楽? そんなもん虫けらにくれてやれ、そら、智天使さまがそこに現われておる!」という威勢のいい感じなんじゃないかと。

   試行錯誤の末にこういう域に達しますと、目の前がぱあっと開けた気がしますね。どんな有名な独文学の先生より、自分が詩のテーマ、実際言わんとしていたことに近づいたという感覚。間違ってるかも知れないけど、一瞬でも、気持ちいいです。新春からゴキゲンでした。

   ……いやこれ趣味タグだろ。夜中に何をやってるんでしょうね。お皿洗わなくっちゃ。

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2012年12月14日 (金)

メイ曲アルバム 「さすらいびとの嵐の歌」 

   2,3日前、思いつきでユーチューブで「bartok slovak」で検索を掛けたら、長年の懸案、「4つのスロヴァキア民謡」が引っかかったのでした。おお、思い出も愛も買えるぜ資本主義(バブルの頃大人買いというものが流行り始めたときのとあるエッセイ漫画の名句)。いえ、買ってませんが。ユーチューブはオトナのセンチメンタルを満足させてくれてますね。大学2年の時の定期演奏会の曲で、志賀高原の硫黄臭い風とともに思い出されます。えーと、長くて暗い第1曲以外は。
   「これは母の干し物ソングだ」などと虎美に解説しつつ、2曲目以降のかろやかな踊りの歌を一緒に歌って(まだ歌える!)。舌を柔らかく逸らして軟口蓋にくっつくかくっつかないかのところに持っていく柔らかい「ティェ」みたいな音、練習した、練習した。まだ発音できます。不思議な響きのメロディラインもまだまだ。最近ちょっと4曲目が昔より早く終わっちゃうぞと思ってたら、なんと歌詞がおぼつかないフレーズを丸々省略していたことが判明。記憶って簡単に改変されるんですねえ、怖いわ。
   ということで、毎日聞き込んでいたら、この曲の前に一緒に練習していた大曲を思い出しちゃって。リヒャルト・シュトラウスの「さすらいびとの嵐の歌」
   このひとロマン派も極まって、シェーンベルクが12音階とか言い出したころのひとで、もう聴くひとを放りだして前衛の極致まで行って、さすがにここから先はやばいと踏みとどまって帰ってきた人らしいですが(帰ってきた結果が「ばらの騎士」らしい、よう知らんけど)、なるほど、音階がびみょ~でどこがメロディなのか、ここはハモってて良いのか悪いのか、歌っててもよく解らん、まだ2年生のまいちゃん@合唱団員は群なんとかゾウを撫でるの喩えにも似て、この曲の全体も南極も北極点も全く解らないままに演奏会を終わってしまっていたのでした。そりゃーそういう演奏会が成功するわけがないのはコーラを飲んだらげっぷが出るくらい……(以下略)。ま、だから未練な訳よ。
   歌詞は文豪ギョエテです。いーんです。疾風怒濤の真ん中で、「Wenn du nicht verlesset, Genius!(たぶんこんなスペル)」と訳もなく雄叫びを上げる(これが曲としての主題、意味は忘れた)ばかりで、なんやしらんギリシャ神話を引用したカッコつけたフレーズがあるものの、何がいいたいのか全く解らない詩でした。正しく名を呼んでやる気にもならん。

   演奏会の記録テープはもう実家行きになってしまって、当時の録音も聴けなくなってしまった今、ホントの所はどういう曲だったのよとたまに調べてはいたのですが、あいにく幻の曲なのでCDは見つからず(おかあさんの思い出の曲ってこんなんばっかやん)。

   本日ダメ元でユーチューブで「wandelers strumlied」とタイプしたらなんと引っかかったのでした。

   

ユーチューブどんだけ隙間に命かけとるねん!(ありがとう!)

   なんか知らん、ベルリンの交響楽団と合唱団らしいです。指揮者は市川エビゾウかと思いました。ええと、御髪のカンジとか。

   早速聴いてみたら、学生時代はピアノ伴奏だったのに、この曲もともとオーケストラ伴奏でした。どんだけ贅沢な曲や。

   ……派手でした。
   そして、やっぱりメロディは半音進行で微妙。ウナギのようにつかみ所のない曲で、
「神さびてぞわれは往く」Ich wandre Goettergleich.とカッコつけて終わってました。まあ、そこでファンファーレ鳴ったので、これはオケ伴ならではの聴かせどころだなーとは思いましたが。

   オバサンになってから聴いてもやっぱり電波だったよ。
   電波ソングというのは……ちょっとどうリアクションしたらいいか困っちゃう、聴くひとを置いてけぼりにしたなにかが出ているような斬新すぎる曲をやや見下す感じで言ったものでしょうかね。

   やっぱ歌詞が疾風怒濤だし。なんか若さのままに、自分は高尚なことを考えているゾー、神々とかそういう精神世界のものと一種通じ合える存在だぞーというノリでしゃべり散らしている、その割りに内容はない、そういう歌詞で。……共感できない。

   一番きれいな女声合唱の聴かせどころにしても。

   汝らは浄い、水の心の如く
   汝らは潔い、地の髄が如く

   Ihr seid rein wie das Herz der Wassers,
   Ihr seid rein wie das Mark der Erde.(うろ覚えにてツッコミ禁止)

   ……ってどういう意味よ? 共感すべき若い頃から意味不明でした。

   当時、合唱団の文集に寄稿したイラストには、
   「ぎょえて雨中に彷徨す」と三度笠姿の文豪を描いて見たんですが、確かに酒に酔って一晩中歩き回った若人の戯言でよかったんじゃないかと思いました。

   こんなもんを後生大事に青春の思い出として抱えていたとは。おかあさん情けないよ。

   リヒャルト・シュトラウスもなにを考えてこんな迷惑な曲を作ったんだろう? 

   本日の結論。

   統制を受けない浪漫は迷惑

   やっぱ、広く受けたいと思ったらある程度毒は抜こう。まあ、そういうゲーテ(あ、言っちゃった)の暴走青年っぷりを音でよく再現したと思えば傑作なのかなあ。

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