え~ん、こわかったよう!!
ただいま読み終わりました。お蒲団被ってぶるぶるしながら読みました。多摩丘陵本日は霧雨、お洗濯ものを乾かすためにエアコンは除湿モードでフル回転中。寒いんです。仙台だと、この季節は稼働させると温かくなる普通の除湿器の方が具合がいいもんでしたが、関東地方ではそれをやると蒸され死にしてしまうのですね……。
というわけで、あの死の彷徨を味わうにはベストだったんだかどうだったんだか。
頃は明治末期、日露戦争を2年後に控えた東北で、「耐寒訓練、やっといた方がいいんじゃない?」という参謀長どののお言葉に、「じゃ、青森の方と、弘前の方と、競争したら面白そう」(いや、ここまで脳天気じゃなかったけれども)ということになり、青森は第5聯隊、弘前は第31聯隊が厳寒の八甲田山に訓練に出かけることになりました。
冒頭のこの辺の描写が既にして細かい。弘前組の門間少佐に「大変なことになりましたな」なんて声を掛けられて「なにが?」と冷淡に応える青森組の少佐、山田君。君、君、も少し謙虚で慎重になりましょう、と開始8ページにしておかあさんが突っ込みたくなるその性格が悲劇の遠因であったのです。
また、青森と弘前は地理的に昔から仲悪そうだし(え? 違う?)。だいたい通番がさ、青森が5で弘前が31ってのが一目瞭然。近くないんだもん。一緒の時期に設立されて、昔から演習なんかも一緒にやった仲良しこよしってカンジじゃなくてさ、弘前は後でできましたよ~って。前からある方がなにかと威張ってそうでさ。明治も後半だと、廃藩置県の集合離散も一段落してますか? もとは別の藩だったある程度の規模の市同士は仲悪いって聞きますよね? と、要は聯隊同士の意地の張り合いがあるんじゃないかと。
青森組の方の大尉(中隊長で、実際の計画を立案、演習も指導する立場)の神田君は、平民から教導を経て士官になった努力家だそうです。このキョードーというのは、士官学校じゃなくて、その下の下士(軍曹とか、伍長とか。命令できる軍人さんのうちでは下っ端、現場組。ケロロ軍曹に出てくるカエルさんたちはタママ君以外この下士です)を育成する学校。おかあさんもいっぱい調べながら読みました(泣)。嗚呼、明治は遠くなりにけり。その辺にも問題があってね。努力で成り上がった人だけに、ぎっちぎち。しかも、士族出の士官様に遠慮があって、どうもちゃんとものが言えない。それがために、山田君の越権(山田君は少佐だから命令してもいいけど、この計画じたいの指揮者は神田君)を許して指揮が混乱したのです。
しかも、なんだか弘前の方は雪に慣れてる兵隊を、しかも体格とか十分に吟味して志願させ選抜したのに、青森は適当に「1日ちょっと行軍訓練するよ」つって引っ張ったとか。またこれが、弘前は一応日本海側で、雪の怖さを知ってるけど、青森は宮城とか岩手から集められた兵で、雪国つってもそんなに雪の怖さを知らなかったとか、もう、出かける前から問題山積。一般の兵隊さんの服が小倉ってなによ? と調べると、綿製の軍服って、雪山に木綿着ていく奴があるか!(外套は羅紗:ウールだそうです)。将校さんはちゃんと羅紗だって。
あんたら、行くのやめなさいよ。
物語は準備万端、上司にも恵まれた弘前組31聯隊の徳島君を中心に最初描かれ、多少難儀しつつも八甲田山に近づいていく様子が描かれます。彼らは南回り、先に十和田湖を目指し、十和田に出て最後に八甲田山を踏破して青森に至るルート。ここに、家庭の事情で養子に出され、青森組と弘前組に生き別れた斎藤兄弟が登場します(小説のような事実!)。お互いが雪中行軍に参加することを知った兄弟、これが最後の機会かもしれないのに行き違いになって逢えず……。お互いを案じつつ、心の支えにしながら雪地獄を歩くわけですな。「今弟が死んだ夢を見た!」とかいって恐怖をあおるあおる。浅田といい新田といい、ジローは泣かせが上手い。
最初の猛吹雪の二日をようやく耐え抜いて十和田にたどり着き、さらにその先まで踏破、人心地付いてると、張り紙があるのです。
「第5聯隊様 第31聯隊様 御休憩所」
先の宿で、青森組も3日遅れで出ており、逆ルートを取ってそろそろ八甲田を抜けてすれ違う日程であると徳島君は聞いていたのでした。しかし、行き合わない。経過を電話で本部に連絡しても(電話ってもうあったんだ!)、青森組の進捗は伝わってこない。
怖いよう。
生き別れ斎藤兄弟の「虫の知らせ」事件もあり、どうも青森組はやられたらしい、と徳島君は覚悟するのでした。
で、そこから次の章は「彷徨」、青森組の悲惨な道行きです。いきなり山田君出しゃばるし。全然弘前組のような懇切丁寧な対雪山の特別な指示出せてないし。山田君案内人のひとを断っちゃうし。せっかく随伴のお医者さんが「もう物理的に無理だから」って言ってくれてるのに「不可能を可能にするのが帝国軍人!」とかバカなあおりをするやつに乗せられて撤退のチャンスをつぶすし。そりは捨てろつってんのにこだわって人員を無駄に死なすし。特務曹長の進藤くんは(これも小悪役)「あ、ここ来たことある! 田代はこっち!」といきなり思いつきで道案内して皆を路頭に迷わすし。
心からサムかったです。
途中、とうとう斎藤兄が弟の死体に出くわして、「弟の代わりに持って帰っ」た銃の始末にみんなして困ったのがまた後味悪いこと。「第五聯隊に遇(あ)いました。場所はここ。迎えに行ってあげて」「銃を置き去りにできず持って来ちゃいました。返すね」と素直にいかなかったのが旧陸軍の体質の悪さの象徴だったのかしら。
あ、そうそう、神田君の奥方が「雪の中ではゴハンよりパンの方が食べよいでしょう」つってパンを持たせてくれたってのが意外でした。青森で、明治35年に、パン。意外と文明開化はスピードが速かったのね。山田君の側で生き残った大尉の倉田君(彼は最後まで冷静だったプチいいひと)の生還の原因が当時珍しかった高価なゴム長(彼ともうひとりしかはいてなかった!)だったとか。彼は毛糸の手袋もしてた用意周到さんでした(他のひとは白手袋っていうから木綿のアレらしい。ヒドイ話だ)。
オチで、第8師団長(東北地方のボスか?)立川中将が「勝ったのは第5聯隊。おかげで冬用の装備に予算が付くことになった。第5聯隊はおかげで全国区だし」って、そりゃ、苦しい。「だからって、第31聯隊も勝ったぞ、あの雪山に。壮挙だな」って、もう、手前の参謀にまで「両方勝ちってありっスか?」って突っ込まれてる。もう、なにをか言わんや。結局、遭難中に自害した神田君、救助後自害した山田君以外責任取ったり取らされたりした奴はいなかった模様。そりゃスゴイネ。
仙台にいた頃、地元の情報誌かなんかの夏の怖い話特集で、
「八甲田の辺りのサーヴィスエリアかなんかに夜トイレで寄ったドライヴ中のカップルが、例の遭難死した兵隊さんたちの幽霊を見ちゃって。男の方は彼女を捨てて車を出して逃げたそうだ。翌日、後悔して彼女を拾いに行くと、彼女はもう気が触れていた……」ってのがありました。
まださまよってるのでしょうか。
はやくみんな温かいところに行けたらいいのに。
そこのスピリチュアルな有名人! なんとかしてあげてよ。
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