2006年8月24日 (木)

ポンペイ展行ってきました

    仙台市博物館でやってる「ポンペイの輝き」展に行ってきました。小学校から一応割引券をもらったんですが、速攻でなくし(要反省!)、土曜に盆踊り大会の準備で学校に行ったときに主任先生を捕まえてもう一枚もらったところです(学校の使い方を心得てる)。ま、100円引きですが。

    とむ影さんをお誘いしましたが、
   「わたしは光り物が目当てです」と正直に申告。
   「でも、遺物が光り物ばっかりって、それはその他のものは燃えちゃったり腐っちゃったりで消え失せたと言うことですかね。やっぱり貴金属は強いな」なんて暴論を初っ端から垂れ流しておったのですが。
   「西暦79年というと中国だと漢代? ほら、前漢と後漢との間のナントカ(新です)が丁度紀元の切れ目ぐらいなんですよね」嗚呼、世界史マジメにやっといて良かった(今調べたら新はAD8~23。後漢は光武帝の御代のあとぐらいですかね)
   嗚呼、その頃にはローマ帝国は絶頂期であったのであります。絢爛豪華な金貨、装飾品の数々、数々……?
   「やっぱ、この時代だと色石ばっかですね。ダイヤはホラ磨く技術が出ないと」石はエメラルドが当時流行だったとかで(なんで判るんだよ、とその場でも突っ込んだ)多く(でも、近・現代のあの抜けるような色と輝きはない。高温下に置かれたせいか、研磨技術や産地の限界か)、あとはイタリアらしくカーネリアン(紅玉髄)へのインタリオ(削りだして盛り上がった像を残すのではなく元の材料よりくぼんだ形に仕上げてゆく彫刻)もかなりありました。ま、小さくて、鑑賞には視力と根気が必要だったかな。かなりな高熱の下で残ったのがそれだったということで、もしかしたらそれ以外の宝石も流通していたかも。今調べると、瑪瑙類はイタリアの産出地が語源にもなってるので、身近な石として流通が多かったのかも知れません。中国でもあの頃は石を彫ったものが宝だったし(故事成語とか、けっこー玉がらみありますよね、完璧とか)、時代的なものですかね?
   細工技術はわりかし達者なものがありました。金のチェーンとかね。木蔦の葉のモチーフを連ねたネックレスなど、ナルホドこの伝統があれば今のイタリアジュエリーの技術が高いわけだわいと納得。
   「これはひとつのモチーフごとに手でコンコンして作ったわけですか?」ととむ影さんとヒソヒソ。
   「それはそうでしょう? 鏨(たがね)で」
   「型にはめて量産とかは?」
   「いえ、たぶんしないですね」
   「……このような話を旦那様としますとね、必ず『これは鍛造。ああいうのは圧延』とかいう専門用語が出て困っちゃうんですよ」いえ、けっこー楽しんでますけれどもね。
   嗚呼、イタリアの職人さんはスゴイナァと。

   出土した彫像なんぞも3,4体来てました。それを見て、ローマ人は巻き毛な人種だとか、癖毛は可愛く思えても大変だとか、いや、直毛で多くて太いのも大変とヘアスタイルの話で結構盛り上がったり。でも、巻き毛で長髪であるらしいのにあんなにタイトにアップがまとまるのはうらやましすぎる。
   「彼らは髪が薄いんでしょうか?」
   「らしいですよ」
   「体毛は濃いようなのに? おかしいな。人間は毛穴の総数が決まってるんでしょうか?」

   ハ ッ !
   ど う し て 火 山 灰 に 埋 ま っ た 悲 劇 の 町 の 展 覧 会 を 見 に 来 て 毛 穴 の 話 に な る ん で し ょ う !?

   気を取り直して、ばたばたと倒れ伏した死体の山をそのまま型どりした模型を展示した一画へ(持ってくるなよう(T_T))。もう、自然と手を合わせて「なんまんだぶ、成仏してくれい」と唱えてしまう仏教徒。
   「こんな天変地異があってはネロも天が見放したと思われたことでしょう」
   ブー!!  おかあさん、やりました! 勇み足!
   ネロの失脚と自殺はAD68年、ヴェスヴィオ火山の噴火は79年で関係ないですね。ネロの影響下で建築された壁画が残って「このアポロ像はネロじゃないかと言われてる」「これはネロの后の肖像(?)」とかいろんなキャプションつきまくってたので在位中と勘違いしました。

   美しい田園風景が一転、大噴火に襲われ、壁画も家屋も町並みも全て火山灰に飲み込まれてゆく様子をCGで描いたシアターは、無音で進められたがために胸に迫る勢いと哀しさがありました。全てが始まって、終わるまで19時間。苦しまなかったならいいと思ったんですが、ひっくり返して顔を上に展示されてた少女の遺体の模型は歯をむき出しに苦悶の表情。火山灰の奔流、

   ごめん、見せものにしちゃって。

   成仏してくれい。

   お土産のグッズはけっこーイタリア物産展と化してたカンジもして(そこでハーブ石鹸買ったおかあさんはなにも言う資格なし!)、時節柄ストラップもわりと種類があり良買ったと思います。でも、「680グラムの黄金の腕輪のメインの意匠、ショールを頭上にかざす女神のメダル」は、タワラヤソータツ画風神雷神図を思い起こしたのでおかあさん的には×!

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2006年5月25日 (木)

「大アンコールワット展」行きました

   本日はお茶のお稽古の日。またしても新しいお弟子さんが入って先生はノリノリ。おかあさんは今日のお茶菓子をチェック!
   「うわ、資生堂パーラーの、資生堂のあのマークの形のサブレだよ! だれかうちにくれないかと思ってたけど、こういうところにおつかい物にするもんなんだね」
   「じゃ、それ食べよー」
   「こっちは『鳩ぽっぽ』だよ! 鳩サブレのところの出してるお菓子で。竹寺でお茶をいただくとお茶菓子はこれなんだ」と東京暮らしの長い葛西さん(仮名)はまた別のお菓子で盛り上がってるし。お月謝がリーズナブルなのにお茶菓子が全国の銘菓なのがこの教室のよいところ。すっかりおばさんのお茶の時間になってしまったところで、おかあさん。
   「仙台市博物館で今週までなんだ、えっちな仏像見にいこう! 割引券取ってきた!」はい、それは、「大アンコールワット展-壮麗なるクメール王国の美-」ですね。アンコールワットの石像は、もとがヒンドゥー教、その後、仏教の各種神・仏像です。ローカル的に女性美は肉感的に表されてますけどそんなに見るモノの顔を赤らめさせるようなもんではありませんです。この前はM山小学校の6年生たちも行ってきたようだし。ヘンな言い方してごめんなさい。でも、いいじゃん、あそこはレストランも結構おいしいし、ついでにランチしよ、とぎっくり腰がまだ治りきってない花田さん(仮名)の車にみんなして便乗して、いざ、仙台市博物館へ。
   混んでました。
   老若男女。皆ナニを求めてそんなに博物館に押し寄せるのか。って、本邦初公開の像もあったらしいし。駐車場混んでて、入るのに時間喰っちゃった。混んでいるといっても、立錐の余地なしとまでは行かず、お昼の山手線ぐらいかな、多少順路を戻って見直す余裕がありました。
   クメールの王様、スールヤバルマン2世が建てた大建築物、寺院であり、王城であり、霊廟と。砂岩に、彫りも彫ったりヴィシュヌやら、シヴァやら、その妻に息子にそれらの出てくる物語に。この辺、大理石取れないんでしょうか、材料はみんな砂岩でした。磨いてあったのも、年と共に削れちゃったのか、すべすべではあるけれど、つるつるまで行ってるのはあまりありませんでしたね、見た感じ。あ、シヴァの息子、ゾウの頭を持つ財産と芸術の神、ガネーシャは、そのぷっくりふくらんだおなかが黒光りしてましたね。
   「手あか?」
   「触ったのかしらね?」
   「気持ちは解るな」なんて花田さんと言い合ってました。   
   クメール美人はお鼻がちょっとあぐらをかいていて、唇が肉感的(好意的表現) 。ちょっと横にも大きいかも。お胸は形よく大きすぎず。しかし上半身の肉付きに比べ、下半身、特に、下肢はちょっと抽象的というか量感不足。大根てゆーか、サリーちゃん。もうちょっと脹ら脛にメリハリがほしいものよ。腰に巻いた薄布も、くびれを引き立ててはいるものの、表現がワンパターン。腰布に限らず、そう、どれもこれも、個性に乏しいのです。描かれる神様たちの個性がありすぎて、それをこの世に顕現させる芸術家の裁量分が小さいというか。聞けば、後年の王様たちは、皆が皆王都を築き、志半ばに逝くとその都は放棄してまた新王のための都を建てたとか。公共工事多すぎ。そんなことやってりゃ国力衰えるって。皆同じ、と思えた像の無個性は大量生産のせいかもしれません。
   ってわけで、絵葉書三枚だけ買って、図録は買いませんでした。あしからず。

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2006年1月16日 (月)

「その輝きのすべて 『パール』展」真珠は日本限定の産物じゃない!?

     ええと、科学博物館でやってるパール展の図録です。大騒ぎしてお願いしてお借りして、そのまま箱の下に忘れ去って、さあ返そうと箱をあらためて発見しました。ゴメンナサイ。
   やっぱり面白かった。真珠って、意外に世界中で取れるんですね。その昔、カエサルのブリタニア行きもブリテン島で出る真珠を押さえるためだった説さえあるとか。スコットランドの川で淡水真珠が出たんだって! もう、目から鱗ボロボロ。そんな冷たい川でもいいんだ! 北アメリカはカリフォルニアでもゴールドラッシュの後はパールラッシュだったって!
   「それで、奴らバカだから鬼のように貝取りまくって、今絶滅寸前だとか。なんか、いっつも同じようなことやってる気がします」と旦那様に語れば
   「奴らのすることだ」(ゴメンね、アメリカ白人の皆さん)
   でも、その後、貝は貝ボタンの材料となり一大集散地になったとか、プラスチックの発明で貝ボタンが廃れれば、それは今度は養殖真珠の核の材料として輸出され、と、結構したたかなのでした。碁石にはなりませんか、そうですか。
   日本ではかえって貝のあの光沢部分を螺鈿の材料として使うため、真珠より貝殻の方が価値があったとかで、さもありなんと頷くおかあさんでした。「日本女性は装身具を着ける習慣が無くなったため」と理由付けがあったりして。江戸時代になるとかんざしその他も出てきますけどね。国風文化ができてからは、どうもじゃらじゃら付けなくなりますもんねえ。
   あれか、超富裕特権階級が無かったからか? 金とか宝玉はお寺の荘厳に使うよう文化が限定されて行っちゃったとか。宝石の方で日本文化を追っていっても、ホント、装身具が少なくて寂しいです。鎌倉以降、貴族に金銭的余裕がなくなっちゃうから? ホント、日本は誰が豊かだったんだろう? 均質社会は江戸時代以前から基礎ができてたのかな? いやまて、金銀パールのみが冨の象徴ではないぞ。工芸分野に冨がつぎ込まれていたのだろう、きっと。そんで、戦乱と高温多湿で火事の多い土地柄残ってないだけなんだな。嗚呼、確かにダイヤモンドは永遠の輝きでありますな。
   なんか例によって全然関係ない方向に結論が行ったけど有意義な読書でありました。とむ影さん、貸してくださってどうもありがとう! 写真が美しく、解説も専門的で……ちょっと眠くなっちゃった。でもがんばって読んだ甲斐はありました!

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2005年10月15日 (土)

五七五は難しい

   わたしは「サラダ記念日」世代で。大学で国文やってる時にセンセイが「こんなの今流行ってるんだって」と本を出して反応をうかがって来たという。
   「え~っ。こんなの短歌として認めたくない」缶チューハイ2本のプロポーズと言い、彼氏にサラダつくって褒めてもらって記念日にしちゃうところといい、実に同年代ノリであったわけですが。短歌はそんなもん詠んじゃっていいのかい? 口語でそこまでやっていいのかい? ってこだわりが。頭の固い優等生丸出しの反応。
   それまでも、三十一文字をいじくることはしてました。ポエムよりは、短歌のほうが投稿先は開けていて。朝日歌壇も、狙ってみようかいとある程度読んでたんですが、あれはなんかスゴイですね。ラーゲリに逝った友とか、出征した兄とか詠まないと採ってもらえないような。無理じゃん。
   それでNHKの歌壇やら俳壇の番組を見て修業しようと。
   今イチの句を取り上げて、どう直せばいいのかというコーナーなんかは結構参考になって、「ここんとこもうちょっとゴロを直せば」とか、「こっちを頭に持ってくれば収まりいいじゃん」などと自分でも修正案考えて見て、番組担当の俳人さんの意見と一致したときにはにんまり。
   ところが、短詩型は、ムチャクチャな解釈を許すところが痛いです。
   大昔、こんなカンジの句があって。
   「林檎剥く せめても妻のできること」
   えらい俳人のセンセイが、これにケチを付けたんです。
   「妻が林檎を剥くなんて当たり前。全然『せめて』じゃない。これは、夫にすればよい。つたない手つきで夫が妻に林檎を剥いてあげる。これで生きてくる」って。
   違 う だ ろ
   林檎を剥くシーンは、平和なお茶の間の食後じゃないって。夫は入院してて、医者ならぬ妻には夫の痛みを減らしてあげることも、代わってあげることもできない。だから「せめて」林檎を剥いてるんじゃないかと。
   なんか哀しくなって、腹にむくむく何物かが沸き起こるのを止めがたくなって、それきり俳壇見なくなって。
   この前、つけっぱなしのNHKが俳句番組をまたやっていて、また人様の俳句に点を付けていて。この日は台風が題。
   「一人寝のベッドに二人台風過」
   これは、「台風過」が季語なんだと解釈しましたが。
   「台風が激しく家の近くを吹き過ぎていく、その夜、シングルベッドに二人腰掛けて夜話をしている」云々と解釈をしていて。え~~~!?
   これはさ、シングルベッドにふたり。
   嬉し恥ずかし遣らずのタイフーン(ハァト) って句じゃないんですかい?
   坐 っ て る わ き ゃ な い だ ろ う !?
   この嵐じゃあ、上下左右遠慮なしで。二人にとってハジメテだったりして。だといいな。もう翌朝は、輝くような後朝。うわ~~~!! なんて、イロイロ妄想の限りを尽くしましたよ?
   NHKだから清純な解釈をしたモノか、この選者が朴念仁なのか。
   やっぱりおかあさん、俳句とは合わないみたい。

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