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2018年9月 1日 (土)

弟、来襲

   何から話そうか。

   お葬式関連はあんまり長くなったから最後はしょった感があるんだけど、思い出したらまだあったからあとで落穂ひろいします。実家の母が、
   「みなさん大変だけどこれ食べてスタミナつけてね!」と葬式の日に焼きにんにくをアルミホイルに包んで持ってきたとか。

   マ ン マ ミ ー ヤ!

   ネタじゃなくてリアルなんだよこれ!!
   「大丈夫匂いしないから」
   してます、ガチでしてますから! 実母ー! 頼むよ!
   「やめてよバッグに匂いついちゃったよ!」(>о<)
   「あらそうだった? ごめん持って帰るね」
   それでも葬儀から火葬場まではバッグに入れてたわたくしを親孝行だと思って!

   てな感じでネタ満載だったんですよ。

   さて、本日の話題は、葬儀の日が決まって実家に連絡を入れたところから始まります。

   「12日か」
   聞くなりヨシツネ君(実父)沈痛な面持ち。
   「大丈夫友引でもできるって」
   「あのね、お墓参りするつもりやったんよ」
   母が横から解説。あーうちも墓参り大好きなうちでした。暇になったからもうお盆に年末にお彼岸もフルにいってるみたい……? いいじゃんもう毎日が日曜日なんだから14とか15に行けよ今年は。
   「それが今年はくーちゃんも来るって」
   「ぱーどん?」

   わたくしの弟、活田久比来(仮名)、モンゴルのハーンの名を持つ男(今はクリスと呼ばせている)、首都圏で家を構えていたはずでは……?
   「それはあいちゃんや奥さんも連れて? わたし泊ってたらやばかった? いつ来るの?」
   「なーん、ひとりで」ともにょもにょ。
   「どうするん? 葬式だけ出てご会食カットして午後から行ってもらう?」
   いえ活田様御一行は当然火葬の後のご会食もお席用意してありますよ。キャンセルならお早めにお願いします。
   「……いや、ご葬儀を欠席などと失礼はできん」
   出たよ原理主義。父は自分で日本一の良識人と思っていてがちがちの俺ルールを押しつけようとするのですが、どうもこちらも敦盛舞うような年になると、
   「おとうさんのマイ・ルールってじつは微妙?」と気が付いてきたんですけど。
   実例。
   こないだ墓参りに金沢に帰ったとき、墓参りの流れから、金沢駅→早乙女家の菩提寺はしご→活田家→ゴール:早乙女家とルートどりをして、実家で土産物を開いていたら、
   「お前は早乙女に嫁に出した身なのだから金沢に帰ったらまずは早乙女家に顔を出してお義父様お義母様に挨拶をして、実家に顔を見せさせていただきますと許可を取ってからうちへ来なくてはならぬ、謝ってこい!」といきなりうちを追い出されたんでした。
   えーっそれって金沢ルールなの? 21世紀にもなって? と首をかしげながら早乙女家に行って口だけ謝ったら(誠意が足らん!)早乙女お母さんにそんなんいわんわいねと笑われたんでしたが。
   その謎モラリストに育てられたクビライは正々堂々反抗してうちに寄り付かないと思っていたら、それでもオリジナル・ルールに基づいてそれなりに義務は果たしていたんですね。めんどくさい墓参りは嫁や娘にさせないっていうのは合理的で妻子にやさしいかもしれませんが、奥さんやあいちゃんは活田家の墓がどこにあるか知らないわけよね、それって困らない? くーちゃん本人がちかぢか急死しちゃったらどうすんのよ。

   でも、さすがは大ハーン、大人になったらいっぱしの口をきくようになって、ちょっと前、おにいちゃんの奨学金で助けてもらおうと思ったら思いっきり正論で叩きのめされたわたしとしては、敬して遠ざける日々だったんですよ。いや、来るんだったら実家から逃げようと思うくらい。
   
   「あんたたちは実の姉弟やないか。クビライがなにか言うたとしても、そこは姉のあんたが受け止めてやるのが筋やないんか」
   いいえ、わたくしそこまで大人じゃないんで。
   もぞもぞ言っている間に父と弟の間で調整が行われ、弟はスケジュールを変更して翌月曜に来ることになりました。活田家は大聖寺の出なので、石川県と福井県の県境の町まで墓参りは一日かかるドライヴなんです。

   そしてにんにくの薫る葬儀が行われ(お義父様すいません)。

   とーぜんの顔をしてわたくしと豹太は実家泊りいたしました。
   翌13日の朝。
   「じゃーわたし留守番しつつ葬式の疲れをいやしているからどうぞ行ってらっしゃい」
   自分で言いながらそれって人としてどうなのと思いましたです。
   「来るかどうかはあんたが自分で考えなさい」
   父ももう年で頭ごなしに拉致するまでのパワーはないようです。車も母のマーチ、運転は弟だそうです。
   「……せっかくだからご一緒させてください」
   うちのお兄ちゃんには早乙女家に戻しておばあちゃんの御用をしてもらうことにしました。結局疲れてみんな寝て過ごしたそうですが。

   果たして母が言っていた時間より一時間も前に来た弟は一礼開口一番、
   「この度はご愁傷さまでございました。父の指示でお悔やみは控えさせていただきました」
   おう、できるビジネスマンになっちゃって。こないだ会ったときは吉田栄作そっくりだったはずなのに、おっさんになったなと思ったらもう50だった。当然か。
   「いえ、こちらもご辞退とお母さんの方で話がありましたので」
   お葬式の花があまりにも少ない件で、実家から弟の名前で花を出すべきかどうか相談したんだけれど、それよりお義母さんの妹である水無瀬家が優先と断られていたので。クビライが首都圏住みで金沢に寄り付かないのは早乙女家でも旧知の情報だったので、何が何でも葬式に顔を出せという話にもならなかったし。
   ぎこちないまま4人乗って墓参りツアースタート。

   さすが大ハーン、わたくしが圧倒される母の天然マシンガントークをさらに上を行く西の方のニュアンスのマシンガントークで制圧し、父はもう借りてきた猫、一言も発さずに黙って後部座席で運ばれていきました。

   あの父が。ありえねえ。

   もうね、もうクリス呼び出来ない、クビライ様。危なげない運転で母の気まぐれの、
   「お花を買い忘れたからどこかお花の買えるところへ寄って」にも余裕で対応。
   「なんで今になって言う!?」
   「あたしも大聖寺まで車乗るなら車酔いの薬欲しいわ」
   「あーはいはいやっぱりまだ車弱いのね」
   「ぎゃーお茶とかハンカチとか日焼け止めとか入れて完璧にしたリュック玄関先に忘れた!」
   「お姉全然年を取った落ち着きが感じられない。戻っとる時間が惜しい、欲しいものは買え!」
   
   それでも父とは言葉少なにランドマークなど確認しつつちゃんと、
   「今日は××寺は寄らないの?」
   「〇〇院は?」と、数件ある菩提寺をちゃんとそれぞれ理解している様子。
   「じゃー今日はどこへ行くのよ」
   「この道でわからんのか」
   「ごめん全然わからん」
   父黙り込んでしまいましたよ。
   「あー砂の寺か。ここまで来たらわかる」
   それじゃ全然来られないも同じです。海が近いのか、墓地の地面が砂地なんです。
   とりあえず草をむしって花を入れて花入れに水を注いで拝んで終わり。
   
   「鯛焼き?」
   「鯛焼き行くよね」
   車を出したらすぐに皆囁きはじめて。
   「! わたしはたこ焼き」
   「じゃあたこ焼きもね」

   大聖寺駅の近くにいつも帰りに鯛焼きを買う店があって、当然のように弟はそこの店先に車をつけ、母は飛び出して行って鯛焼きとたこ焼きを買って帰ってきました。幼い時から変わらず……。

   「実はあの店は先代がやくざをやっていた人でな……」と父が語るには。
   お祭りに店を出すにあたってPTAからそういう業種のひとは排除したいといわれたとき、女傑といわれた祖母が出て行って、店の人にも暮らしがある、入れ墨は見せないように服をちゃんと羽織って、あこぎなことはしない条件でとはなしをつけて露店を出せるようにしてあげたとかいって、後日お礼もうでがあったとかで。
   「もとのうちにある日帰ってきたら一丁ずっとその筋の人が並んでしゃがんで待っていて、おあんさん、おかえりなさい! とあいさつされたんや」
   ジョジョ5部のアレみたいなもんか? と話半分に聞いていますと、
   「それからも、大きくなって仕事は汽車に乗って金沢まで通っていたから、夜、帰りは腹がすいてしょうがなかったのを、必ず店を閉めた後待っていてくれて、あそこを通るたびに残りものですいませんが、といってなにか店のものを持たせてくれたんや」
   父も昔語りがしたくなる年頃なんですね。
   だから墓参りというか大聖寺にいったときは必ずあそこで鯛焼きを買っていたのか。

   45年目の事実でした。
   いやそれ「マダミス」にあった「作りたての残り物」だったんでしょうね。こんなところに人情。

   「お姉はケーキとかくうんか?」と、金沢が近づいたころクビライ様がやさしい声を出します。
   「え? 自分で作れとか言われたらもう嫌だけど、お皿に乗ったのがここに出てきたらうれしく食べるよ」
   「暇だったんでるるぶとか見たら出ていた。今工大前のなんとかいうところにうまいケーキ屋ができたそうだ」
   「工大の? どのあたり」
   そこからは父と具体的なランドマーク提示の応酬があって。
   「はーん、あそこか、31の横やな」
   「そうそう」
   車に乗る人ってなんでそれでわかるんでしょうね。
   「まあうれしい、行きましょう、あたしがお金出すから」と母ご機嫌。
   「要らん! 俺がおごってやる!」
   「運転手のお駄賃や、払わせなさい!」
   ということで、行ってきました。今どきのちゃんとしたケーキは一切れ500円普通にするのね。おいしかったけど、もう少し冷やしてクリームをしゃんとさせてから食べたかったかなあ。今どきはほんと夏の生ケーキは大変。

   たぶん、暇だったんじゃなく、甘党のうちの人間が集まるから弟はわざわざちゃんと調べてきたんでしょうね、それも、駅の向こうの今にぎやかなあたりじゃなく、うちの実家から車で県南へ出た帰り道に寄れるあたりで。その辺が、やっぱり二人もお嫁さんもらえるリア充ってところよね。と思いましたです。
   さんざんマシンガントークで親を親とも思わないシヴィアーな面を見せてくれましたが、まあ、いいじゃない、彼も怨念ですっげえ名前つけられて、天然な母に迷惑な愛情を注がれ、紙一重のキチガイな姉にネコ科のかわいがり方をされて幼少期は苦労したから。
   ちょっとうちでケーキ食べてくつろいで、母のアレも持っていきなさい攻撃をあっさりかわして、年なんだからもう車は処分しなさい、遠くへは乗せていってあげるからと手を振って帰っていきました。カッコよかったかもしれない。
   というわけで弟と久しぶりに邂逅して疲れたっていうか刮目したっていうか、まあやっぱり彼には遠くで幸せになっていてほしいです。
   

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2018年8月30日 (木)

甲子園には魔物が住むとふ

   音楽タグで合ってますよ!

   今年の夏の甲子園といえば、金足農業の大進撃。忙しくってほとんど見てませんでしたが、終わった後のネットのまとめ記事で、金足農業だけのものではないらしい、秋田県勢のチャンステーマ(野球の応援でよく鳴らされる曲のこと? コンバットマーチって死語なんだ?)としての「タイガー・ラグ」という曲について知りました。

   まあ原曲はアメリカン・ポップスかなんかなんだろうなと検索をかけたら、すっげえご機嫌なディキシーランド・ジャズが引っかかってびっくり。百年前にはもう録音があったスタンダードなんだって。あのすちゃらかしたノリがどうしてわっしょいわっしょいて応援歌になるのか、やっぱアルプススタンドには魔物がおるんやなあと嘆息したというお話。アレンジャーすげえ。

   でもまあ一周遅れでおかあさん各種ユーチューブ画像見まくって、メガホン持って踊れそうなぐらい気に入りました。

 
   「インドのおじさんくーれーたーよ おおきな 敷物
   六畳いっぱい ひーろーがーる 虎のけがーわさ~」
   例によって勝手に歌詞作りました。ごめん♪
   農業つながりで兵庫の高校に応援を請うたとか、秋田出身のアーティストがいてもたってもいられず飛び入り応援したとか、演奏家以外でも、秋田出身か、行ってこい! と有休を認められたとかいろいろアツい話をネットで引っ掛けました。
   甲子園はこういうところが平成も末になっても変わらないのね。
   スポーツとしてはこの暑いのに若人を連投させんなよとかいろいろ改革案出てるけれど、きっと変わらないで受け継がれていくんでしょうね。

   ちょうど100回記念だとかで、開幕前のにぎやかし番組で、往年の簑島VS星稜のシーソーゲームが取り上げられていて、覚えているのは石川県人だけかと思ったら覚えていてもらえてなんだか胸を熱くしていたところ。また星稜が済美と延長戦やって、今度はさすがにタイブレイクという延長を地獄にしない新制度になっていたんだけれどやっぱり負けちゃったの。ちょうど早乙女おとうさんのお葬式の日で、みんなセレモニーホールのロビーのTVにかじりついちゃって退場がはかどらなくてちょっと困ったことはわたしの記憶には残りそうです。

   音に聞く玉のはだえも惜しむまじ
     アルプス焼けせよあきたこまち等(ら)   舞音

   冗談じゃないわ焼けちゃうじゃないなんて応援をさぼっちゃう美白娘より、えーやだーあっつーほんと許さないでも日焼けなんて忘れてガチ応援しちゃったよ見てみて真っ黒ーって娘のほうがおかあさんは好きだわ。

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2018年8月26日 (日)

獅子は死してPCを留める噺

   ひと夏保ちませんでした。

   旦那様の父上、早乙女獅子和さま(仮名)永眠です。

   7月の帰省以来、体の空いたものから帰省して見舞って非常時の連絡とか交通手段とか確認してたんですが、8月になったばかりの朝、虎美からラインが入りまして。

   「どうしよう、TVドラマとかでよくみるお脈をとる機械が入った
   「おとうさんは?」
   「すぐスケジュール調整、うちに帰って支度して午後の新幹線って」
   「すまん母今午前の休憩入って今見たとこ午後から休みもらう」
   「おかあさんはもっとあとでいい」
   「ばかやろう新幹線が動いてるうちに帰るんだよ」
   台風並みの雨の降った日でしたよ。長靴はいてレインコート着て出社してました。

   などとやり取りの後、休憩後事務所入ってすぐチームリーダーの大お姉さまのところへ行って、
   「義父危篤です。お休みください」
   「いいわよいっといで」

   まあ、8月にもとのチームに復帰したときに、義父がやばいのでそういう時は帰してくださいとお願いしといたんだけど。
   熟女の多い職場なので、家族が倒れたとか見送ったとか介護のため一時戦列を離れますとかには慣れているという話でしたが。

   ダッシュで駅に向かって、ノイエ・リリエンブルクについて真っ先にしたことは。

   「ブラックフォーマル着るならブラックランジェリー要るじゃん!」

   イトーヨーカドー間の悪い(イイ?)ことにランジェリー40%オフセールやってまして。
   ストッキングやショーツのほかに黒のブラジャア、ワコールで奮発しちゃった♪
   
   大前提もう一回いっときます。

    お か あ さ ん は ひ と で な し!
   「獅子王さまーあ、わたくし今ノイエ・リリエンベルクなんですけどご一緒しません? なにか必要なものがあればついでに買いますけど」
   なんて能天気に旦那に電話かけたら、
   「俺もううちです。結構」なんてふられて。やっぱり親の死に目ともなれば本気出すんだなあ。
   ぼんやりバスプールでバス待ってたら、ちょうどいま到着したバスから旦那様降りてきてあたまぽこんて小突かれて。
   「あ、いってらっしゃいませ」なんて間抜けな挨拶を交わしてすれ違いましたとさ。
   あとはうちに帰ってからフォーマルのパールネックレス探して、仙台時代に清水ジャンプで買ったブランド物の水牛の革のフォーマルバッグが入れといたハコがもぬけの殻で、そういえば去年? 虎美が一番いい服を着て集まるというドレスコードのオフ会に行くときに、「このスーツの格に合うバッグはお母さんのこれしかありえない、どうかこれを貸して」というのでいい気持になって貸してやってから未返却だったわ! と娘の部屋を漁ると、ほこりまみれになって放置されていて。まあ、見えるところに出しといてくれただけましよね。汚れてなかったし。
   汗まみれになって荷造りして出たらもう2時近くなってて、でもスマフォで路線検索とかできるようになってて、とりあえず新宿に向かいましたが。

   小田急線から新宿経由で金沢って入れると、今どきはすごいね、
   「湘南新宿ライン経由で大宮を目指せ」なんて指示が出ちゃう。
   ばかやろう、冗談じゃねえ、こちとら来た電車に乗るつもりの決死行だ、北陸新幹線に平日とはいえ夏休みに座席指定なしで乗って大宮で席があると思うのかべらぼうめ。
   完全無視で東京を目指します。7月の帰省でこのままPASMOちゃんで東京行っちゃうと大変だとわかってるのでちゃんと新宿で一回改札出て新幹線乗車券買って入りなおして。
   今回は指定なしなのでとりあえず乗れそうな新幹線の列車番号? だけ控えて東京駅でお買い物。

   まずはシップだよ! 前日ぎっくり腰で仕事休んでたんで。このままだと帰ったはいいが使えない嫁一直線だったんで。そして駅弁を買って。そして自由席の行列にならんでなんとか座って、発車と同時にお弁当あけました。1526発だったかしらあ~でもしょうがないでしょおなかペコペコだったし。食べ終わってからおもむろにトイレに立ってシップを腰に2枚も貼って、それからぐーすか寝ました。当然大宮ではもう空席なかったですね。
   旦那は先に病院につきましたが、特に感動の対面とかはなく、もう意識はないようすとのこと。だから7月のうちに帰っておけばよかったのに。

   実家にはラインを見た時点で電話をかけて対応を依頼しておいたのですが、
   「かなざわ市民病院な? おかあさんはちょうどそこへいっておるんや」と、出たのは父で。
   「なんで」
   「目の手術のあと具合が悪いとかで」
   「へえ」
   「わかった病室によるように言うとく」
   「虎美ちゃんが出がけに羽織るものを持たないでいって寒いと言ってるのでなにか羽織るものを貸してやってくださいと伝えて」
   「わかったよ」
   でもおばあちゃんズ携帯見ない。うちの母にかぎらず早乙女のお義母さまも。今回の各局面でネックはそこでした。

   「虎美や、それでおさとのおばあちゃんは来たかね」
   「ええーなにそれしらない」
   「つかえねえ! まだ寒いのか?」
   「もういいよ。一度うちに帰るから」
   実家の母は「あらー誰かの携帯が鳴っているわ、誰かしらね~」でうちに帰ってきちゃったそうです。なんのためにもたせているのだ。
   で、わたしも6時過ぎには金沢着、そこから病院へはバス。
   「大丈夫判る? 10番の乗り場から20番に乗って」
   悪いけどそこ母の3年通った高校の横だから。30年経ってバス路線大幅に変わってない限り系統の番号見れば乗れるから。
   微妙に違う番号のバス来たけど、経由地にその病院の名前書いてあったから乗っちゃって、ちゃんと着けたから。
   とりあえずその夜は旦那様と虎美と3人してご飯食べてタクシーで実家にわたしだけ落としてもらって帰りました。だって寝るとこないんだもん。
   「お兄ちゃん来たらどうしようね?」
   「研修中なんだってな」
   「この研修一時間でも落とすと『もう一回始めるドン!』」
   なんだそりゃ太鼓の達人か。お兄ちゃんもラインではひょうきんです。
   「とりま最後まで受けて土曜朝来い。あとは新入社員必須の報連相!」
   なんてことをいってもう一日は実家で自宅待機とかブラックフォーマル蔵出しファッションショウとかやっといて。
   「あらやだ」
   ブラック・フォーマルヴァージョン2大おばあちゃん葬儀の際大〇で買ったやつを出してみたら、その下に当時虎美が着た120センチサイズのチャコールグレイのジャンパースカートが出てきて。一回くらいしか着ていないしキレイそのもの。実母ったら、
   「もったいない、あいちゃんに着てもらいましょう」
   ええーっ弟のところのあいちゃんって虎美と12才違いでしょ? もうそんなのはいらないでしょ。ここはアナタの好きなフリマに出すのが正解では?
   あのこもおおきくなってほらほら、とアルバムを広げていたところで実父の怒り炸裂。
   「あんたは何をしに帰ってきたんや!」
   慌てて車を出して早乙女家に戻ったら、すぐ来てと病院からお電話。近くまで来ていた虎美を拾ってまた病院へ。
   飛び込んだ病室ではもうお脈の曲線が山をなしていなくて。
   少しでも昔を偲んで和やかな会話をしようというわたしと、余裕がなく厳しく切り捨てる娘が掛け合い漫才になりかかったところで、もともとそういうボケと突っ込み的会話とくに親子の間で、というのが理解できずそのたびにたしなめていたお義母さんから、
   「ここでそんな会話をするなら、あなたたちお買い物にでも行ってきなさい」と追い出されてしまったのでした。
   嗚呼痛恨のおちゃらけ体質!
   虎美を気遣いつつ、
   「なーに、これから持ち直すって、お兄ちゃん来るの明日だし。あがってーさがってーあがってさがーるー♪」なんて言いながらセブンイレブンと近所のスーパーをはしごして出た来たら。
   「おじいちゃん亡くなりました」と虎美の携帯に電話が入りました。
   意識は戻らないままだったとのことでしたが。
   一 生 旦 那 及 び 虎 美 に 負 い 目 が で き た よ。
   「すぐ帰っておじいちゃんの休むところを作りなさい」

   事前からの申し合わせで、まずは一晩病院に置かせてもらって、それから片付けて仏間に安置するという話だったのですが、この気候? から? 病院は一晩も泊めてくれないそうで。帰ってるタクシーの車内でまた電話が入って。

   「30分で支度しなさい
  
   ラピュタじゃないんだからお義母さん。
   「どどどどうしよう、仏間以前にその前の間のおじいちゃんの書斎も担架? お棺が通れるくらいに平地にしないとだめだよね?」
   「え? あたしごみを片付けて掃除機かければいいと思ってた」
   「ばかやろう、祭壇とかご親戚が来てよよよと泣き崩れるスペースとかいるって、とりあえず仏間と書斎は更地にしろ! 二時間ドラマとか見ないのかよ!」
   おかあさん今更そんなこといっても無駄。
   でも2時間ドラマも一般常識の宝庫だったのね。
   「裏のスーパーいって段ボールもらってくる! 気分は金沢地方検察所のガサ入れだ!」
   まだ夏の金沢は7時過ぎでも夕焼けが残っていました。タクシーを降りると、すらっとした大お姉さまが立っていて。
   「師匠!」
   「おばあちゃんから電話をもらって、お手伝いしてあげてって」
   虎美の盆踊りの師匠、和子さま(仮名)でした。
   「さあ、玄関から全部空けないといけないよ」
   「わかりました師匠!」
   そこからは大車輪。
   「おかあさん、助けて」
   実家にもSOS。父もついてきて、何もしないなりに目をきかせていてくれました(すでにこの時点で実父もやばかった模様)。
   実母も来てほこりにまみれたお義父さんの書斎のガラス板の乗った座卓を垂直に立たせるやら、これがまたひびが入っていてやばかったのをガムテで養生するやら。
   「こないだ入社の保証人になるのと引き換えに水無瀬のおばさまから命ぜられておにいちゃんがここを片付けたのではなかったのか!?」
   「きれいになったからついあたしのだいじなもの避難させちゃって~テヘペロ」
   「おまえのだいじな王子さまの写真だなこれはッ!?」
   道理でジャニーズの公演のパンフとかが山積みだと思ったよ。
   なんとか30分で玄関と仏間と書斎がきれいになったよ。
  
   和子師匠(仮名)には最敬礼でペットボトルのお茶を飲んでいただいてお引き取りいただいたよ。
   とっぷり暮れた夜の市道、向こう岸に停まったご遺体搬送車からうちまでストレッチャーを運んでくれるのに、思わず玄関先にあった登山用の額につける懐中電灯を巻いておかあさん誘導しましたです。こんなのが無造作に置いてあるうちだから。察して。
   それがまた、お盆一週間前の週末で、お坊さんも前倒しヴァカンス行っちゃってたとかで、枕経をあげられるお坊さんが来られないとか、6時過ぎに亡くなってる場合は場所が押さえられないからお通夜は明後日だとか、するとお葬式はそのあと? とカレンダーを見たら、
   「12日って友引じゃあ?」

   何日延びるんだよ。この暑さで。

   ところが、その件については
   「友引人形というのをお入れして、寂しくないようにして12日にご葬儀はしていだけます」とのこと。もともと真宗は六曜(対案とか仏滅とか)を気にしないそうなので。死は穢れではないとかいって、会葬お礼に塩つけないしね。
   というわけで、一日また間を開けて11日通夜、12日告別式ということになりました。

   葬儀屋さんとの打ち合わせがすごくって。
   「何人規模になりますでしょうかね」
   「いやあ」
   引退してから数年たってて、もう忘れられた存在になっていて。近年の失調はそういうところからも来ていたので、
   「近所と親せきで2,30人もくれば」と旦那。
   わたしもそのレヴェルだと思ってたんだけど。
   「おじいちゃんは教え子が大勢いたから。わかったらみんな来てくれるはず」
   お義母様はそういうけど。
   ……いや今そんなに人情厚くないから。
   「おじいちゃんは葬式に来てくれた人用にオリジナル手ぬぐい作ってたからこれをつけてもらわないと! この段ボール箱3つがじゃまっけで!」 と虎美吠え~る!
   「ちなみにおいくつ……?」と葬儀屋さん。
   「300」
   ワーオ!
   「年賀状は毎年何枚書いてた?」
   虎美お手伝いしてたよね。
   「400っ!」
   「そんなのがあてになるか」と旦那様。
   「足りなかったらほんと話になりませんから。四十九日過ぎて余った場合こちらで引き取って清算できますから」
   葬儀屋さんも大変だ。そういえば、阿刀田高の短編にもあったなあ。夫の葬儀が生前言ってたほど盛り上がらない、腹心の部下って人も塩対応で、未亡人である主人公がおかしいなあって思ってたら、それは故人の独りよがりの思い込みだったっての。
   おじいちゃんは自分が思ってるほど金沢の大物じゃあなかったんだろうなと寂しく思っていたんですよ。
   寝るのは結局実家で。駆けつけたお兄ちゃんもつれて戻ると、ご葬儀に変なスイッチ入った実父活田ヨシツネ氏がハイになっててまた大変。

   「こういうのはなんだが、言っておかねばならないから言っておく。
   金沢の葬式では喪主の会社から花がいくつ届くかが喪主の男の格を決めるんや」
   聞いてませんお父様。  

   「獅子王さんは会社ではどんな立場なんや」

   「よく存じませんが役職にはついていると」
   「まあ、この年頃で役についている男なら20は花が来ないと」
   「無理です」
   「会社からはなくても付き合いのある会社やその担当から集まらなくては男とは言えない」
   「今どきそんなことないです」
   「おまえは知らないだろうが金沢というのはそういうところや」
   新卒で2ねんめくらいに母方の祖父が亡くなったときは叔父の会社から花が凄く来て、あれはおじいちゃんの葬儀ではなく叔父さんの会社の社葬のようだったと父がくさしていたのが記憶に残ってたんですが、パパァ、じゃあれってジェラシィだったんだ?
   あのときは、総務のおじさんが持ってお行きなさいと封筒をくれて、それに三千円のお香典が入っていて、2年目で落ちこぼれの親せきの葬儀にもお香典出してくれるんだといい気持になっていたのに、「なんだ三千円ぽっち」と祖母に笑われてとっても悔しかったの込みで覚えていたのでした。
   だから、今の会社でも「弔電出せますけどどうしますか」と言われたとき、できればぜひお願いしますって言っちゃったんだよね。
   戦々恐々としつつ迎えたお通夜は、町内会長さんがチョウキ持ってきたっていうからそんなのがあるんだって見たら、町内会の旗に黒い布絡めたヴァージョンで、祭壇の隅っこに立ててました。ああ、町内会に尽くしたからなあ。こういうのあるんだ。
   意外や、町内会の方、学校の方、おじいちゃんの肩書のうちの一番のこだわりポイントの現職の方などが続々参列され、花もそれなりに来たし、……とりま閑散として困ることはなかったかな。オリジナル手ぬぐい段ボールも残り1つぐらいにはなったというし。
   翌日も、連絡網が回ったらしく、教え子さんたちが続々来られ、それがまた
   「あんたがトラちゃんやね、先生がいつも自慢しておいでた」と、誰もかれも虎美を抱きしめてなでるやら握手するやら。

   ご近所様も親せきの本家の皆様も、虎美がみんな知っていて、おかあさん立場ナッシング。ただ頭を下げるだけの日々でした。リアルで1,2度は名前と続柄聞かれたもんな。うう~ん、やっぱ3年間金沢で根を下ろした人間とは違う。
   「正直あんたより虎美ちゃんのほうが間に合う」と実家に帰されてしまったおかあさんはこれ幸いと翌々日にはお兄ちゃんの車に乗せてもらって帰ってきました。開き直ったぜスーパー愚妻。

   そんでもって、タンス預金を山分けして、多少懐が豊かになったので、大きな声では言えないがエックスピーから更新してなかったパソコンを新しくしてもらいました。ちょうどハードディスクが逝っちゃったのよおほほ。
   ちょうどお盆にかかって、墓参りに帰省してた実弟活田クビライくんと12年ぶりの邂逅を果たしたことはまた別の機会に。

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