« 2017年8月13日 - 2017年8月19日 | トップページ | 2017年9月3日 - 2017年9月9日 »

2017年8月26日 (土)

「カルバニア物語」 誰が彼女を止めるというのか

   虎ちゃん最近はネタバレを避けるために母のブログは全力でスルーしているそうですが。
  ごめんね
。母堪えられない。

   可愛い絵のフェミニズムの教科書
、おろかな母との相克から、女の子らしさって何? 女の子がガキ大将になると周囲全てを傷つけるの? どうして? 女性が社会進出して何が悪い、自己主張する女性になれていないおっさんとの付き合い方から自立する女性の足枷としての良識派の善意をどうけっ飛ばすか、などなどがてんこもりのおひめさまコミック、「カルバニア物語」、17巻にしてとうとう若き女王タニアが恋を自覚しました! でも立場を考えて自重するタニアに親友エキューから強力サポート! 

   「ざけんなよ
    コンラッド!!
    アポなし
    突撃は
    てめえの
    おはこ
だろうが!」

   「うちのタニアに
    このあしらい
    このままで終わると
    思うなよクソッたれ!!」

   近隣国で最強の優等生王子に向かってこれですよ。大使館の門前で。現役の女性公爵閣下が。さすが野人。そんで女王タニアに
   「このおせっかいのでしゃばり!」とかいってひっぱたかれてますが。すげーなこのロイヤル乳姉妹。

   まあたしかに先にタニアに恋して暴走中だったのはコンラッド王子の方だが。さすがに優等生だけあってところどころで踏みとどまって自重したり深謀遠慮で真心を尽くしていたわけで。

   これまで苦労に苦労を重ね、読者の紅涙を注がれてきた真面目女王タニアの恋ですから! 誰が止めるというの。ここはちょっとコンラッド引きますが、絶対立て直して戻ってきてくれるでしょう。そうでないともう許さない。

   ここは「からくりサーカス」から、最高のトリック・スターの言葉を引いて祝福するしかないでしょう。

   「幸せに おなり

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2017年8月20日 (日)

「とりかえばや物語」 女性の幸せはどこに?

   その昔、コーダンシャが出した「21世紀版少年少女古典文学館」がセンテンススプリング社で文庫落ち。表紙がいのまたむつみで可愛いッから買っちゃった。作者は古典をやさしく語ってくれることについてはもうプロフェッショナルな田辺聖子師匠。もうそれだけで期待できます。

   その昔、氷室冴子が翻案して、花とゆめEPOで大人気だったのが同じ原作の「ざ・ちぇんじ」。今はさいとうちほが新たにやってるらしいので、そういう需要もあるのかも。さいとう版はレンタルで無料分だけさらっと読んでるけど。

   時は平安、藤原氏でも超主流派、兄弟で右大臣と左大臣を分け合うぐらいの名門のおうちのお兄ちゃんの方、権さん(登場時権大納言だったから)のうちは、異母きょうだいながら双子かって言うぐらい男の子も女の子もそっくりな美形。ところが困ったことに、姫君の方は、賢くて活発で素直で元気で、もうどこに出しても恥ずかしくないお子様。……どっちかっていうと男の子の性格として好ましいよね? それで、来客も家族もこっちが男の子だったっけ? と思っちゃってる。ヤバい。対するに、男の子の方は、内気で病弱で、父親にもまともにお返事できない引きこもり。……女の子だったらそれでもいいけど。

   ここんところを、氷室版では、若君の方を「女の子として育てたら育つと夢のお告げがあった!」と神秘系な母親のせいにしてました。それに対する女の対抗心として、姫君はこちらのほうがよっぽど男の子らしい! と、もともとの気性に加えて、そうなるようにしむけて男の子っぽく育ってしまった、と描いていました。
   田辺版でもさいとう版でも、まず、姫君の方が本人の生来のものとして、男の子らしい振る舞いを好んでいる、という描き方……?

   既に、時代として、読者の方に男の子らしさ、女の子らしさという感覚がなくなっているのでは?

   描かれる沙羅(さいとう版のヒロイン)も、春風(田辺版ヒロイン)も、ムチャに暴力的でも、乱暴な言葉遣いをするわけでもない。ただ、陽性というのか、外に出て身体を動かす遊びが好き、ゲームも、「男の子向け」である、漢字の習得の助けになるようなものがより好みである、来客にもすぐさまなついて親しげに相手をねだる……。そういう積極的な幼い子の好ましい振る舞いが描かれていて、それを、みたひとが「若君であろう」と判断しているのです。
   いやそれイマドキの来客の多いうちなら女の子でも十分アリだし。
   お庭でディスク投げて飼い犬と遊んでたり、ゲームでもきわだって強くて、何に対しても生き生きとした表情を見せてくれて、
   「ピアノで新しい曲を覚えたからきいてきいて~」とお客さんに飛びついてくるようなお嬢ちゃま、可愛いよね?

   あの時代は、外遊びが好きで健康的なぐらいで男の子扱いされちゃうのか。
   紫式部が、兄の素読を横で聞いて覚えても、女だから何の役にも立たないと嘆かれるくらい。
   学問を修めて、器楽に秀でて、歌や言葉でいきなやりとりをする才をもっていても、姫として生きるにはなんの役にも立たないのか。

   だから、沙羅は、春風は、男として成人することを選んだ。

   それが痛快だなんて、やべーよ、平安時代。
   そういうのが読者の憧れだなんて、哀しいよ。

   それに比べたら、ただ引きこもってるあにきの秋月はほんと影が薄い。氷室版の弟は、自分が「姫」でないことを自覚しており、本当は若君として大臣家を継がねばならないことを知っている。ただ、病弱な自分を育ててくれた母の歪んだ愛にまだ勝てない。「若君」として優秀な姉の綺羅のような振る舞いが自分にもできるとは思っていない。物語の序盤は、ただ情けないヘタレとして姉に叱咤されながらも、母の周囲のやや病的な女性達に傅(かしづ)かれていて、自分と他者を観察し、思慮を巡らし、じっと、力を蓄えている。そして、運命が彼にも役目を与えて、宮中に出仕となると、自分より弱い存在である女東宮に出会って、凛々しい公達に脱皮してみせる。

   クライマックスの「ざ・ちぇんじ」はだからこそ大興奮で大納得したんだけど。

   女の子の身で男装して出仕、才能を発揮して皆に愛される沙羅/春風は家に閉じこめられた昔の姫君たちには憧れだっただろうけれど。男の生活はそれだけではない。恋の時代、平安を生きる男は、女性達と浮き名を流し、また、家のために良い家の姫の婿として引き立てを得なくてはならない。大臣家の「嫡男」であるヒロインは、従姉である右大臣家の姫君(田辺版では冬日)と結婚することになる。
   これが、貴族の男として生きていくなら結婚は避けて通れないのだから、共犯者として秘密を明かし、味方に引き込んで、もしかして百合的な間柄になってもそれだけの繋がりを持てばよかったのに、ただ罪悪感からやさしくするだけしかできない。

   沙羅/春風、ぬるいんじゃないの? それは氷室版の綺羅もそうだけど。

   ライヴァル宰相中将(さいとう版では石蕗、田辺版では夏雲)が才能ある美形だけれど浮気っぽくて信頼おけないだらしない男の象徴になっていて、男に対する目がつめたい、とはよく言われてるけど、女の友情も信じてないのかな。
   ヒロインには、氷室版では腹心の乳姉妹がついてたけど、さいとう版も田辺版も、女の子の友達も近しい召使いもいなくて、その辺りは孤独を感じました。まあ、登場人物おおいとごちゃつくからな。実際はいるけど名前を与えられてないのかもな。

   「乙女」向けコバルトレーベルだったせいか、氷室版では綺羅は宰相中将に迫られて混乱するだけですが、田辺版では原作準拠。望まない妊娠までいってしまいます。
   もうね、辛辣。個々人の努力で、どこまで実績を積み上げて、男なみに認められて出世しても、妊娠したらもうキャリアはおしまい。夏雲はもうバカ丸出しで、いいじゃんおれの妻になっちゃえよ、こんなにきれいな恋人持てて幸せだよ、もうおれだけのものになって屋敷にいて、なんで男社会に出てきて苦労する必要あるんだよ、とか言っちゃう。無神経。なんで女が才能発揮したらいかんのだよ、おまえより有能なのに。

   春風の絶望は深いです。

   それなりに贅沢な女性の装いをしても、教養も気だても含め当代最高の美女と誰に褒められても。春風の心の満足はない、響いてこない。

   せっぱ詰まった果てのヒロインの選択は?
   わたしさいとう版は読んでませんので、そちらがどうなるかは知りませんから!

   結局、あの時代としては最高のハッピーエンドに落ち着いたとは思いますけど、日本の中古は公的に女性の政治参加はできないからなあ。武士の時代になっても、いや、新憲法になるまでないから。

   結局女性が才能を発揮して伸び伸び生きていくにはどうしたらいいのよ?

   エポックメーキングな漫画誌「EPO」で読者を熱狂させてから30年、「とりかえばや物語」はまだまだ日本女性の心を騒がし続けるのでした。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

« 2017年8月13日 - 2017年8月19日 | トップページ | 2017年9月3日 - 2017年9月9日 »