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2016年6月18日 (土)

FROM コールセンター TO けっこう仮面

   最近お電話がなくってさ。オペレーター同士いろんな話をしてご申請者様からのお問い合わせ電話をお待ちしています。しゃべってないひとは黙々と自習してどんなレアケースがあってどういう対応したかとか調べてたりもしますが、寝てるひともいますね。だめじゃん。

   おかあさんは自習してるときもありますが、PCについてるメモ帳にミサの典礼文を黙々と書き出したりしてます。脳トレだ。自作の小説をイキナリ書き殴るよりは人にみられても説明がつくかなーと自分ではこれでも遠慮している方だったり。
   いきなり暗誦だとハードル高いですが、メロディが付いてるからいけるもんです。一番脳味噌の若い時期にみっちり2~3ヶ月掛けて叩き込んだので、覚えてますよ。それに、ミサ曲は作者をかえてのべ5回はやったから、その曲でそこのフレーズが思い出せないときは曲を変えれば意外と出てきたりして……ん?

   クラッシックのミサ曲の歌詞は、カトリックのミサの典礼文を使ってるので、ローマン・カトリックをやってる分には歌詞は全国共通の筈なんだけど……なんか違うぞ?
   自分の脳味噌が衰えてて、似たようなフレーズのところで歌詞がわかんなくなってるかと思いましたが、やっぱちょっと、「しかし」が「だが」になってるレヴェルで、意味は同じで違う言い回しになってるところがあるような。語呂の関係上単語を2,3コすっ飛ばしてたり、大切なことだから2度言いましたレヴェルの繰り返しはザラだし。なにも一つの文章をそのままただ曲を付けて流してるわけではないのです。

   まあ、そういう典礼文ってのももしかして宗教改革を経てカトリックの方も揺り返しでバシーッと引き締めがあったときに統一されて、それまでは多少国ごとに揺れがあったかも知れませんから。その揺れてる時代に作った曲なら歌詞がその国の教会ヴァージョンってのもアリだな。その辺あとでもうちょっと調べとこ。

   どっちにしろ、そういうカンジでクラッシックは歌詞に対する作曲家の裁量権が結構大きい感じは最近になって感じてきました。宗教曲に限らないし。若い頃やった曲で言えば、V.ユゴーのすごいレトリック使った詩にフォーレが曲を付けた「霊神」が、いいところで歌詞を数節とばしていて歌詞の美しい構造(最初から音節を一つずつ増やしていって内容の最高潮で最大音節数になり、またMAXから減らしていってもとの数に戻って終わる)を台無しにしてるとか、疾風怒濤の青年の主張そのまんまのゲーテの詩にリヒャルト・シュトラウスが曲を付けたら途中で放り出して落ちもなんもなかった(「さすらいびとの嵐の歌」)とか。日本の有名な曲でも歌詞は池澤夏樹の詩から意味もなく2フレーズ省略してあってマヌケ(「ティオの夜の旅」)だとか。
   年取って調べてみたらなんかこう不完全燃焼を感じてしまうんですけど。
   こーゆーのもゲージュツが爆発した結果だから歌詞とのすり合せは考慮不要なのかなー歌詞提供した方はモヤモヤしないのかしら。ゲーテなんか原作歌詞のアタマ3分の1ぐらいしか曲になってなかったって去年ぐらいに調べて解って(わたしが)、もしかして後半だがしかしそれは誤りで真実はこうなのだ! 人間はこのように生きるべきでそれが美しい! とかいうオチだったらどうすんのとほんと悩んだのに!(とりあえず最後まで読んでから悩もう) 最後まであのノリだったからもうこの辺でいいよねって切った、むしろGJ編集って可能性もあるな。某サイボーグ009映画で玉砕したはずの仲間が最後にひょっこり生きて帰ってきたのをカットして好判断と言われたTV版みたいに。あ、これ今気付いた。怒りに従って書き殴った甲斐があったな。

   わたしだったら、GJ編集だったと言われたらなおさら意固地になって! 自分の詩を相談なくカットして作った曲は原詩はわたしとクレジットすることを拒否するかも知れません。最近のとんでもねえドラマ化された原作コミック作者の最後の抵抗だ。無駄でもなんでもわたしはここまで入れてこの作品と思って書いたのに! とそこまで言って、昔なんかそういう騒動があったなあと思いだしたわ。

   森進一が、「おふくろさん」の歌の前に、ちょっとしたフレーズ(メロディも付いてたらしい)を入れてから曲に入るというアレンジをするようになったところが、その曲の歌詞を作った偉い作詞家のセンセイ(川内康範)が腹を立てて、その曲を歌うことを差し止めたとかなんだとか。その時は無茶なこと言うなあと思ってたけど、断りなしにそういうことされたら、ナルホド、ちょっとムッとはするかなと思い至った次第。あとは、事務所のせいにしたとか、対応がこじれた感じかな。
   その川内康範というセンセイも自作の正義の味方の「月光仮面」をあの! 永井豪がOPまでもじって「顔は誰だかしらないけれどーからだはみんな知っている♪」とオールヌードで顔だけ目出し頭巾で隠した若い女性の正義の味方という「けっこう仮面」にしちゃったときは、事前にご挨拶にいったせいか笑って許してくれたんだとか。洒落の解らないひとではなかったらしいですよ。何事も筋を通すってことが大切なのね。

   そして曲がりくねって真実に到達することもある。長生きはするものねという本日の結論でした。

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