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2015年3月17日 (火)

「修道士ファルコ」 All we need is not love?

   お財布に余裕がと思うと目に入るんだよなあ。買っちゃった。「修道士ファルコ」青池保子。そういえば仙台時代に古本屋で2巻を見つけて買って、1巻は通販して、たしか白泉社だったと思ったのに今4巻はなぜ秋田書店なんだろうと思いつつ手にとって。

   楽しく読んで、以前に感想をどこかに書いたと思って自分のパソを検索したら2003年の記録でした。自分のブログもまだなくって、とむ影さんのところに寄稿したんだったという。その時でさえ、「2巻は2001年、9年ぶりに続刊が出ましたと書いてあった」云々って。何年越しの連載なんだ。息長いな。

   これは、中世の修道院のお話。
   もとは名高い騎士ながら世の無情を悟ってドイツの修道院に入ったファルコが修道士仲間たちと修道院の中や外のさまざまな中世っぽい事件の解決に携わるヒューマンなミステリ。なじみのないキリスト教世界のあれこれを知ることができて興味深いです。聖女とか聖人がいてそれぞれ担当分野があるとか、その実在の宗教的偉人(=聖人)の骨があるとその寺院の格が上がったりするので仁義なき奪い合いがあったりするとか。エライ修道院長が実は小物だったりとか、修道院の修道女たちが強かだったりとか、素朴な一般大衆が宗教的権威を認めているおおらかな時代背景とか、とにかく今とは違う規範で動いている世界を描ききっていて、ひととき現実を忘れられますね。そんでもって、ファルコや相棒のオドの活躍で謎が解かれ、物事が収まるところへ収まったときの明らかになった人の心の美しさ、偶然の巡り合わせの妙、(この世界では宗教的奇跡が起きますけれど)なにか大きな尊いものが世界を差配している感にしみじみうっとりさせられます。まーそれでもカソリックに帰依しようとまでは思わないけど。

   主人公ファルコはさすがにヒーローがつるつるのザビエル・カットじゃまずかろう(たしか正式にはイエズス会はあのカッパ頭にしないのであの頭頂部だけそり上げたカソリックの坊さんヘアをザビエル呼ばわりは正しくないらしい)と、「呪いが掛けられている(あざがある)ので剃髪をすることができない」という設定でちょっと長めの断髪スタイルです(それでよくニセ修道士呼ばわりされたりして密かに傷付いてたり、変装しての潜入捜査がしやすかったりといいアクセントになってる)。しかしながら、その他の修道院のみんなは院長副院長は当然としても、相棒のオドといい、耽美主義の美形アルヌルフといい、みんなカッパ。近くの女子修道院の尼さんたちもみんなええと年輪を刻んだ面差し。ようやく2巻で投入されたファルコを慕うヒロイン? のフィリスにしても若くて美人だけど修道女でふだんは髪の毛一筋も出してないし。
   ……一般的な意味で潤いが少ないと思うんだけれども。それを欠点とは思わないですよ。
   バトルシーンになってファルコが無双しながら内心マリア様に懺悔してたり、同様にオドが名推理を働かせつつもそういう自分に自己嫌悪して「霊的な会話(=宗教っぽい真面目な会話)をしよう」と2人して無理してるあたりの乾いたユーモア(と現代とは違う価値観)を楽しみたいのであって、フィリスとくっつけとかは全然思わないんだなー。

   そういうちょっと独特ないい話だから細々とでも続いているんじゃないでしょうかね。

   少女漫画と言えばひがな恋をするばっかり、進歩がないと言われ、濃い女の子の漫画読みはなんでも少年漫画に同性愛志向を持ち込んで困るとも思われているようですが、だって、少女の興味の中心は恋だもの、その気配に敏感になってしまうのはしょうがないわよねとふと思い至ってしまった今日この頃ではあります。だがしかし。

   わたし達が漫画に求めているのは必ずしも波瀾万丈豪華絢爛な恋ばかりじゃあないのよと思いあたった次第。なにも異世界に活路を見いださなくても、現代社会とはまったく別の論理で動く一つの世界で、それでも美しい人間の営みを描いてくれればありがたく見せていただきたいと思うのでした。

   作者さんも、自画像が昔のお姿とは変わってきているのがほんとこっちも年を感じちゃうわ。どうぞお元気で。

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