« 金沢だってやさしいよ | トップページ | 早乙女舞子花園人! »

2015年11月 7日 (土)

メイ曲アルバムプーランクの「スターバト・マーテル」 軽さってのはこういうものよ

   この怒りをドコへ持っていったらいいのか。

   ええと、怒濤のご申請ラッシュも終わり、チェリースタッフサービス(仮名)のオペレーション・ルームも閑古鳥が啼いております。どのご申請者様もみんな審査に通ってぶじ補助金が下りるといいですね。暇になるとみんな悪いことを思いつくものです。修羅場を経験して仲間意識の芽生えたオペレータさんたちはみんなろうにゃくにゃんにょ(おかあさん噛んでます)、無駄話に花を咲かせて入電(お電話の着信)のない時間を過ごしております。向こうでは就職が決まって暇なマーチのイケメン4年生が友人共々水道を止められてさらに友人宅に揃って出かけてもらいシャワーした話をしてうならせたかと思えば、こちらでは地味にお嬢様な熟女がお稽古ごとを幾つさせられてたか語って廻りをどん引きさせたり。マネジャさんからは、
   「野暮は言いたくないんで、弁えた音量と内容なら多少は」と黙認されてます、そこはね。

   「あーおれこの件でマスコミからの入電取ったことあるよ」ヒソッ。
   ヴェテランのマーレさんはシニカルで面白い男性です。
   「まーどんなでした?」
   「西日本タイムスとかいったかなー(仮名)全然自分で調べる気ないっぽいの。なんか制度についてかるーく教えてくれって、それで投げてこられても」とニヤニヤ。
   ヴェテランだけあって核心に迫る発言はないマーレさん。おかあさんも相手するのが面倒になって、切り上げることにしましたよ。

   「解った、西日本タイムス(仮名)はクソ!

   折悪しく入電が止んでオペレーションルームはつかの間の静寂が支配していました……。

   「さっおっとっめっさんッ!」

   マネジャすっ飛んできておかあさん怒られましたよ。    
   過去の入電についてバラしたのはマーレさんじゃないかよ。さすがにヴェテランは怒られない加減を解ってる。

   しよーがないからパソ上の個人メモを開いて、昔採った貝塚、レクィエム固有文とかミサ通常文とか覚えてる限り黙々と書いてみましたよ。クレドが全文そらで言え(書け)なくなってて、そりゃ20年くらい歌ってないもんなあと悲しい気持ちになったり。 どうしても思い出せなくなって唸ってる最中に入電して慌ててメモ閉じちゃったり、
   「何やってるんですか?」と隣から声を掛けられてごまかしたり。
   ミサもレクィエムも穴あきながらなんとかこなしてスターバト・マーテルなんかやってみたりして。もうボロボロで、脳内で何度も再生を繰り返してやっと最終連まで書き出しましたけど、いやー長いねこの曲。AAB CCB……と美しい韻を踏んで進行するところもすっかり思い出しましたけど。懐かしくって、週末はこれ聴いて過ごそうと思いましたのよ。

   「立ってる母は嘆いてる」なんて、語呂はいいけど格調高くない。もっと格調高くええと、「立ちたる母は嘆きたり」? キリストが十字架に掛けられたその場に居合わせた聖母マリアの様を描き、共感しつつも救いを求める歌なんですが。けっこーいろんな人が作ってるみたい、ユーチューブで「stabat mater」で検索したら目指す曲以外ばっかり引っかかって困りました。

   わたしが過去にやったのはヴェルディのスターバト・マーテルと、プーランクのもの。今回はプーランクが先に引っかかったので、そっちから攻めるか、なんて開けて聴き始めたら、違和感バリバリ。最初の暗いイントロからしていろが違うカンジで。え? なんでなんでってなりましたよ。そんなに聞き慣れた演奏者のがよければCD聴けよって、例によって引越のどさくさでCDどっかにいって聴けません。ユーチューブで幾らでも探せると思って、真剣に探す気がなくってね。

   でも聞き進めていくうちにもうなんじゃこりゃ状態で、ふつうに予想している演奏ならそんまま誰が指揮してようがどこが歌ってようが聞き流して調べもしないのに、いったいドコがやっとるんじゃ、発音からヤベえよこれドイツ人か子音の目立つことってキャプション見たら「Monteverdichor Würzburg Matthias Beckert (cond.)」って。うわーおれもとうとう指揮者がどうとかなんとかフィルはどうとか理屈をこねるクラッシック・オタクになったかよ。指揮者のベッケルトさんはこのモンテヴェルディ合唱団の専属なんだか、けっこーグーグルではヒットがありました。近現代ものが好きみたいね。それでかよ(プーランクもフランスの
現代作曲家、この曲が1950年の作品というぐらいには)。

   なんかさー暗いのよ。

   この曲は、若かりし頃のまいねさんが
   「こんなえっちな曲を若人がやっていいのかーッ!?」NHKのスタジオの廊下で休み時間に絶叫したぐらいおフランスのエスプリ過剰な曲で、後半に行くにしたがってもう濃厚なエロスがぐわ~っとあふれ出て、湿っぽい不道徳さは、
   「なんか仏領インドシナなんですよ! 孔雀の羽根の扇でふわ~んってオリエンタルな匂いが漂ってくる感じで!」とわかんないなりに力説させるナニモノカがあったんです!

   その、ハープ乱れ撃ちないやらしい雰囲気が……固い。ハープの聴かせどころもプラスチック棒をパキパキ折ったような鳴りっぷりで。いやそうじゃなくて。確かにこの曲不協和音が凄くて音取りにくいけど、そういうんじゃなくて、多少怪しくてもいいから雰囲気だしてよう。強弱も、もっと、寄せては返す海の感覚が欲しい! ああ、わたしのいつも聴いてたやつは巧かったんだ!

   昔の「花とゆめ」でやってたフラメンコ漫画で、家庭に恵まれなかったヒロインが「楽しい」という感覚がわからなくて明るい曲をどうしても明るく踊れなくて、
   「そうじゃない、激しく踊ればいいってものじゃないんだ」といわれて、だってわたしの人生には楽しいと思える経験がなかったと行き詰まるエピソードがあったんですが、この曲にもそういうところがありました。軽やかに、「ここは尼さんが駆け回るイメィジで」と指示された辺り。軽いっていうのはスピーディってことじゃないんです、心が弾んでいる、延ばしていても、その音の中にビートを感じている、そういうところ。歌詞は「いざや、御母、愛の泉よ、我にもその哀しみを感じさせ共に悼ましめよ」と言ってるので、そうそう明るくする必要もないのですけれど、こんな歌詞でも軽やかにリズミックなのがまたフランスのエスプリなのね~と、解らないなりに解ったつもりで、暗さまっしぐらの曲の中で変化を付ける意味もあって、かろやかに歌っていたところを、一本調子に固く歌われてしまって、あーだめだこいつら野暮天だ、とわたくしそう思いましたね。ハーモニーの広がりはあった感じだけどね、心浮き立つスイングがなかったよ。
   そのあとの無伴奏の部分「我が心を神なるキリストへの愛へ燃やしその御旨にかなうものとせられたし」はもう手を触れるのももったいない感じの荘厳さはあったけどなあ。最後の「勝利の栄誉」とか、「天国の栄光」とかいう勇ましくも華々しい言葉についた妖しくも麗しい響きがぜんぜん消化不良で表現し切れてなかったカンジでしたよ。

   やっぱドイツ人にフランスものは無理だったのか(決めつけ禁止!)。

   なんて偉そうに思って、いろいろ聞き比べるのは大事なことなのねーってそう思いましたです。それを考えたら、やっぱりあのジャケット(?)の美しいステンドグラスに魅せられたわたくしの愛聴盤はいい演奏だったんですねえ(今ざっと見たところによるとグラモフォンによる小澤征爾のCDらしい)。

   ここまでけなしておいてリンクを張るのは可哀相かしら。最後の理性でリンクを張るのはやめときます。そして、50を前にやっと演奏者によって曲の雰囲気が変わるということにきづいたおかあさんでした。おせーよ。

|

« 金沢だってやさしいよ | トップページ | 早乙女舞子花園人! »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/138427/62634002

この記事へのトラックバック一覧です: メイ曲アルバムプーランクの「スターバト・マーテル」 軽さってのはこういうものよ:

« 金沢だってやさしいよ | トップページ | 早乙女舞子花園人! »