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2014年3月20日 (木)

他山の石とはこのことか

   いろいろあって初年度授業料もなんとか払い込んでアツギ工大生になる予定の豹太くんであります。
   「工大だと入試の問題も面白かったよ」って、そういえば受けに言った当日も言ってたなあ。
   「エディソンの畜音機が発明されると、作曲家はそれを演奏の記録のみに用いるのではなく、新たなジャンルを開拓し始めた」って。コダーイとバルトークは民謡の採取にそれを用いたんだけど、コダーイは歌った通りを厳密に楽譜に起こすことにしか使わなかったらしいけど、バルトークはもっと「遊んで」、ゆっくり再生すると音が下がる、スピードを上げて再生すると音が高くなると言うことを発見して、さらにゆっくり素材を聞き込んで、細かいところで「あ、ここ拍子が変わって8分の6が7になってる、面白い、今度自分の曲にも使ってみよう、使ってみた、受けた?」というところまでいってしまったらしいです。メシアンも電気的な楽器を採用してみたり、シュトックハウゼンまでいくと取り込んだ音を音源として演奏にも使ってしまうところまでいってしまったみたいです。メシアンは自分が天才で即興的に凄い曲を幾らでも作り出せるので、めんどくさいテープ編集に飽きて電気音楽は追究しなかったと筆者言ってますが、シュトックハウゼンは自分が演奏が上手くないからこそ自分のインスピレーションを完全に表現するためにさまざまな機械を用い、それを指示するために楽譜が詳細に書かれて残されている……、なんて、このひと音楽に造詣の深いひとだなあ「なぜ猫は鏡を見ないか」伊東乾。わたしも読んでる途中知らない作曲家が出てきてあっぷあっぷでしたが、豹太や他の受験生君達大丈夫だったのかしら。

   音楽史の常識だと、たしかにバルトークやコダーイはれいの「民族主義」(それがバルカンを火薬庫にして第一次世界大戦が起きてロシアがひっくり返って赤くなるわけだ、ナルホド、19世紀から20世紀初頭)なんてのにのっかって、東欧の民謡、民族音楽に着目してそれを集めて回ったことになってますが。録音したのかい。わたし絶対音感ってやつで五線紙にメモ取ったんだと思ってたよ。メシアンはメモ派だったようにこの問題文書いてありましたが。ウィキペディアで裏をとりましたら、バルトークは玉音放送まで生きてたバリバリ20世紀人でした。蓄音機は最初のやつが1877年発明だそうですので十分使えますね。
   いつでもどこでも音楽が聴けるようになったら職業楽団員はおまんまの食い上げなわけですが、そこで腐ったり圧力掛けたりしないで積極的に新しい使い方を編み出しちゃうなんてバルトークさんのその心持ちが尊敬できるわ。
   それにしても、レコードの早回しでおかしな声になっちゃうって高校生の悪戯みたいなのをエライ音楽家先生もやってたってのが意外でした。イマドキのDJみたいなのももう戦前には実験済みって、プロは凄いなあ。ヴォーカロイドなんてのも全然新しくないんだ。もう目から鱗。

   そんでもって、クラッシックの作曲家てのも意外と最近の人でした。
   ヴェルディの「アイーダ」がスエズ運河開通記念のカイロのオペラハウスコケラ落とし用の曲ってのは、ガセビア(ガセネタのトリヴィア)らしいです。実際は別の曲で、総督に重ねてオネガイされてなんとかご当地っぽいのをつくって、初演は1871年カイロだそうです。普仏戦争でパリ包囲されて困ったー締め切り延ばしてーってエピソードがあるそうなのでほんと19世紀なのね。ヴェルディはイタリアの統一運動の合い言葉になってますから、(イタリア王ヴィットリオ・エマヌエレ! の頭文字取った略語がVERDIになるらしい。読売サッカークラブとは無関係)、モロ、明治維新頃の人だと思っていいです。でも、ギリギリ20世紀(1901)まで生きてました。

   伝記に載るエピソードでいうと、モーツァルトは幼少時マリー・アントワネットと面識のあるロココのひと。音楽室の肖像は、彼までかつら被った巻き髪ポニテでしょ?
   ベートーヴェンになると、ナポレオンの時代の人。ほら、献呈の表紙破ってタイトル英雄に変えたとか言ったじゃない。「モーツァルトは子守歌を歌わない」森雅裕 読むと雰囲気がよく解る。彼になると、本人のお人柄もあって頭爆発してますね。若い頃はちゃんと巻き髪のかつら被ってお上品にしてたと思うけどね。この辺が、音楽史的にも古典派とロマン派の境界。時代が既存権威の崩壊時期だったから音楽も変わっちゃったのねー。ファッションも変わって、絵で言うとレカミエ夫人の肖像画のあのネグリジェみたいなエンパイア・スタイル。はーい目に浮かびましたかー?

   あと時代背景というと、なんでクラッシック音楽の父なのにミサ曲は少ないのというバッハ。ドイツで18世紀で、というとははーん。彼は新教、ルター派のひとなので、カソリックの教会音楽は作らないのでした。だもんでバッハうたいは死ぬ気でドイツ語と格闘せんとならんのね。ドイツ語訳聖書に詳しくなるなる。トート(死)という単語だけは忘れないと思うわたし。そんで、ありますよ大きいミサ(カソリック典礼の形式の曲)一つだけって、よくよく事情をさぐると「王がカソリックに改宗したため」って、職業音楽家は辛いよ。今のドイツ、カソリックの方がやや多数派らしいし。ドイツ30年戦争も終わり(ウエストファリア条約が1648年)宗教改革も一段落、カソリックのほうに揺り戻しが来て、フランスもルイ14世が、その昔の新教徒に対する理解を示したナントの勅令を廃止してます(1685年)。まああのぼーだいな宗教カンタータも、ドイツで昔新教が流行りましたという化石として残っているわけよね。今現在福音派としてルター訳聖書を尊重している3割のドイツの方には失礼しました。

   てなわけで、丸暗記で通過した世界史の知識もクラッシック音楽の作曲家たちと絡めると世界情勢なんかがリアルに分かるというお話でした。そんでもって息子の入試の問題もブログのネタに使うおかあさんも、ネタはなんでもひろってものにすればいいじゃないとタイトルに戻って終わり。

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英才教育

   それで「趣味」タグに場所を移して。

   その作品(おかあさんがレンタルコミックの試し読み版を見て気に入ったら既に虎美が注文していた本)では、建築学科らしい登場人物達が「水琴窟のある家が理想」「うちにあるよ」なんて会話をしているのです。この作家さんは、そういう小道具の使い方が巧みです。冒頭、めくった右側肩のところで既に主人公が設計図とか入れるあの「図面ケース」とかいう肩掛けの筒を背負って登場するので、「環境デザイ」とまで書かれたドアの表示と相まって、ああ、この子建築やってるのねとすぐわかるんですよね。素直に感心。

   そんでもって水琴窟だよ。

   水琴窟ってのはアレだ、お庭に置くと耽美な耳を楽しませるアイテムです。底にいいカンジに穴の開いた甕を土の上に地下~半地下? ぐらいに加減して設置すると、その甕の底部分から水が内部に滴り落ちたとき、下にたまった水に跳ね返った音が内部に反響してぴとん、ころころぽろんとえもいわれぬ音を立てるんですな。それを琴になぞらえて楽しむという実に悠長ないや雅な遊びです。あの竹が時々カッコンと音を立てるししおどしよりは耽美寄りです。あっちはわびさび方向でしょ? 庭に置くときは自然に任せて雨の日の楽しみとするものかも知れませんが、わたしが見たモノは柄杓がついてて自分で水を掛けて音を加減できるようになってましたね。小さな音を拾えるように、竹筒の拡声器がついていて、それを耳に当てて楽しんだような。

   ナルホドなあ、水琴窟とは渋いものを持ってくるなあ、と感心しておりますと、連想は別の方向に。

   この水琴窟というもの、実物を過去2回見たことがあります。

   一度目は、大学の頃見学に行った品川区の博物館。モダンな大理石作りのフロアの真ん中に設置してあって、自分で水を汲んでは掛けるようになっていました。今調べると該当するのは「品川歴史館」らしいです。建設中に丁度敷地内から水琴窟が出てきたんだそうで、そこのお庭の目玉になってるそうですが、わたしが見たのはそれじゃなさそうなのは記憶の改変……? HPのお写真なんか見ますと、見覚えがあるようなないような、作られたのはバブルの前頃だったみたいなので、あのころ新築だったんだからここでいいみたい……自分の記憶が信じられなくなる今日この頃。ああ、年を取るってイヤね。

   もう一度は、仙台にいた頃。隣山には仙台市のやってる野草園がありました。薔薇園や温室なんかがついてて植木市とかやってる大がかりな農業園芸センターってのは海のほうにありまして(薔薇めあてにやっぱり行ったことはある)、震災でもなんかやばかったらしいですが、そういうんじゃなくて。芝生の広場があってよい子が遠足で行く用途もありますが、萩やら万葉の草、儚げな山野草ってのが自然な感じで植わってる公園なのです。結構アップダウンある構内はそれなりに風情があっていいものでした。萩の季節には茶会やらお琴の演奏なんかあったりして地味にもりあがったりして。門の脇にある売店も、こういうところはいいカンジに水苔のついた東洋蘭とか鷺草なんかを売ってますです。そういう雰囲気。
   そういう渋い公園に何度か行ったのですが、ありました。母張り切っちゃって、
   「ほら、この柄杓で水を掛けて、この筒を耳に当てて聞くのだ。お琴の音がするだろう?」
   虎美にオオゲサに説明したと思いますが、その時点で雰囲気こわしちゃって、耽美な音はかき消されてたかも知れませんね。

   ……母が猛勉強して東京の大学に出て、博物館実習かなんか取ってやっと出会ったような雅なものを、こいつは幼い頃からふつーに経験しておるのだな。粟津温泉の某旅館の地味に凄いカイユー式庭園を毎年探検したりとか、「しばわんこ」も、こいつは幼稚園の頃に絵本の感覚ではまって内容(お正月の蘊蓄とか和の行儀作法とか)をそらで覚えておるのですが、あれはおとなのおねえさんが楽しく教養を身につける本だったですよね。

   ずるいよ。

   こういうのも、三代かけて形成していく感覚なのでしょうか。さらっとそういうことを身につけていった結果の高文連全国大会出場なのかしら。それだったら、母が自分の楽しみに付き合わせてこいつにいろいろ経験させたことも、血となり肉となっているのかしら。

   ……って虎美に話を振ったら、
   「ごめん全然覚えてない」って言いやがりましたよ。まあ、小学校低学年の頃だしな。覚えてたら逆に凄いわ。あーもー子育てってなにが即効性あるかわかんないわ! 無駄ばっか!

   それに、母は虎美が高校生作家になって脚光を浴びるより自分が乙女をきゃうん! といわせたい方だから。まだまだ野望を捨てずにがんばりますとも。

   だいたい虎美は締め切りと課題を与えられないと書かない。書いても観念的な物が多く、叙景詩がほとんど無い。この絶景を言葉にしないとわたしが胸が破れて死んでしまう! っていう詩の作り方をしてないから。文学ってのはパトスの顕れでしょうが! 抑えきれない情動ってのをキーボードに叩きつけろよ!

   ……あ、それ虎美今二次創作でやってるみたいです。PCからどいてくれないことが増えました。そんでもって虎美先生人気みたいです。リクエスト殺到だって。……だめだいよいよ娘に負ける。

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2014年3月16日 (日)

本日の暴論 乙女は日光を浴びよう!

   愛憎は 虚構の世界で愉しみて
    この身を焦がさぬ月光浴せむ    舞音

   つい数日前、
   「ちくしょう、このレンタルコミックの広告商品、無料部分だけ読んだらすっごくそそるんだけどなんで男同士なんだよ!」と呻いていたら、虎美が、
   「なんてタイトル?」
   「『年下彼氏は俺の飼い主』(仮名)。『進撃~』のハンジさんみたいな研究者のおねえさんだったらすげー萌える!」
   「それ買った。丁度ヨーコからかえってきたとこ。持ってくる?」
   「お、おう、……頼む」

   昨日お腹こわして寝てるときにそれ思い出して、
   「あれどうなった?」と催促したら、
   「もろにやってるからあとでギャーギャー言わないでね」と注意した後に出してくれました。
   「あと、同時に広告出てた女装して大人を引っかける話と着ぐるみ着ないと会話できない人の話も」
   「どうもサンキュー……よくもタイムリーにブックオフでみつかるもんだな」
   「ハァ? 取り寄せたから。本屋さんのネットで」
   「おまえ……ようやる」

   読ませてもらいましたよ。
   ほんとに、無料版のああーっここからどうなるのッというところの続きからばっちり濃い同性愛の性行為が始まってました。おい。それも、寸前でシーンが切り替わって、事後から始まるという進行ではなく、もろに手順を細かく描いていて、おい、これ性器描いてねえか、大丈夫かという加減。なんでこれが18禁指定じゃねえんだよというそのもののポルノでした。

   おい!

   まあ、物語の筋は、恋人未満の関係が横恋慕した脇役の介入で一期に進展して、それが身体先行だったために悩む……というありがちといえばありがちな展開だけどきゅんきゅんするというものでした。うん、ちょっとした表情とかが可愛らしくてよかったですが。

   「女子高生がこんなものでキャーキャー言っていてはいかん!
   「18禁小説を自分で書くようなおかーさんに言われたくない!」
   「母はもうアラフィフでちゃんと結婚して子供もおる! 18に達していないものがこんなまんまの性行為をよだれたらして読んでおることが問題なのだ!」

   親子喧嘩になってしまいましたよ。

   だってBLって、おまえこれ相手が男性だったら何やってもいいと思ってるだろっていうムチャクチャを強いてることがかなりあるし。相手の同意を得ていない性行為とか、集団強姦とか、異物挿入とか(全部見といて言うやつ!)。おかあさん今日は露骨ね。いや、ジャンルがティーンズラブだと女の子相手でもやってることありますけど。要するに最近のはすぐ体の関係になってそれが直接的にバンバン絵になっていてそれが不快と。

   当の虎美、この週末はホワイトデーだというのに、とりあえず義理チョコをあげた生徒会長(男子)からはなにかしら返ってきたらしいが、あとは友達や後輩(女子)からクッキーを山のように貰って、
   「ご飯? クッキー食べて胸焼け」なんてことを言っておって。

   だめだよ、ばりばり青春まっただ中の人間はもっと男女交際で盛り上がらないと!

   「カッコイイ男を見てもおまえらで絡めとしか思わない」って、間違ってるよおまえは!

   冒頭、月光浴というのはそういうことを言いたくて、でもおかあさん家庭ある身だし。愛とか恋とか官能とか、リアルで追求するわけに行かないし。おかあさんは現役時代はちゃんと追求してましたよ。方向性間違っててほんと今思い出しても穴掘って自分を埋めたいぐらい痛い子でしたけど。それを通過して、ああ、自分はリアルの男性は無理だわと達観してお見合い制度におすがりして現在に至ってるわけじゃん。容姿に恵まれている(と思う)若い虎美には母の轍を踏んで欲しくないと思っているのに、なんでおまえ架空世界の倒錯した愛に楽しみを見いだしておるのだよ。あとで悔やんでも知らんぞ。自分と関係ない世界のこととして傍観しておったらそりゃめんどくさくもなく傷付きもしないかも知れんけど、後になんも残らない、子孫が繁栄しねえんだってば!

   月光浴は後でもできる。乙女はリアルに日の光を浴びてキャッキャウフフしてください。青少年も同じッ。だから子供が生まれねえんだよ日本は。まったくッ。

   リアルで同性しか愛せない方には失礼しました。1人の人を大切に思う気持ちじたいに貴賤はありません。大変でしょうが貫いてください。

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