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2014年4月29日 (火)

回帰熱久々

   おかあさん今日は派遣仲間のお嬢さんとミスド行ってお茶してきて、新発売のニューヨーク風ドーナツというの食べてきてご機嫌(しかしクロワッサンというかパイ風生地ならバターッ気多いだろうに、あれだけクリームやら挟んでチョコやらシロップやら掛けたらカロリーは莫大であろう。アメリカ人の食いもんだよな……疲れてたからはまったけど)ですが、まあそういう人達とできない話をここで。

   ブラームスのリーベスリーダーを王朝風和歌に翻案しようという「回帰熱」シリーズ、そろそろネタ切れであります。結構物語風に長い曲もあるしね。むつかしいのよこれが。

   11曲目は別に長かーねーけどキツかったです。

   もの想へば 恋ぞと囃す輩いて
    人交わりはせじとこそ思へ     舞音

   三十一文字に「おもう」が2回も出て来てヘタクソ!

   歌意は単純ですね。「外野ウゼー」いやほんと。19世紀も21世紀も人間かわっとらん。

   本歌は、Nein, es ist nicht auszukommen Mit den Leuten;

   と叩きつけるように始まります。下降音型。おしまいは飛び跳ねるように2度戻って、その同じ音型のヴァリエーション。これがAパート。
   「否、余人と交わることは出来ぬ」となります。言い切ってます。ここはもうブラームス最高。セミコロン以降がその説明。「品性下劣な輩にして」と続きます。直訳すると、「全てを賎しく解釈するものどもである」ってとこかな。ここは係り結ぶべきでしょう? 「こそ思へ」、最強。これを下の句へ持ってきて。

   Bパートが対句なんですよ。半分カットしちゃった。
   「朗らかなれば 邪なる想いを抱くと評し
    うち沈めば 恋の病に悩むと諷す」

   対照的に小声になって、
   「わたしが陽気であれば、下品な喜びを持つのであろうと噂し」と。
   ピチカート奏法のように囁いて、一転「下品な喜び」のところだけうねるように引っ張るところがもう最高。えっち!
   さらに、一転。
   「わたしが静かにしておれば、恋の病なのだと言うのだ」
   また叩きつけるように早口で「恋の病だと! 恋の病!」 またしてもここだけ揺れるフレーズで。2回言ってます。大事なことだから。言うに事欠いて! と言いたげ。

   そんでもって最初に戻り、「余人と交わることはできぬ!」と叫ぶ。「品性下劣な奴らなんだって!」とまた最後は盛り上がってさらに歌い上げて終わり。

   たまらんでしょう。
  続く12曲、「錠前師どもよ」と、噂する人々の口を一度に留めつけてしまえ! と叫ぶ内容の歌とあいまって、リーベスリーダー一連の最高潮に達するところであります。……追い詰められてますね、青年。

   そーりゃあ「ものや思ふと」の伝統に従って、「沈んでいれば恋だと思われる」方を取りますな。常識。原因なので上の句に移動。それで上記の完成型になるわけ。ユーシー?

   これがまた旗のいっぱいついた細かい音符に子音の多いドイツ語をぶち込んでくる。舌が回らなくて苦労しました。でも、勢いがあるからこういう曲が好きで、歌詞も曲調にぴったりで。やってるときは大好きだったな。

   それにしても、じゃあこのゲーテ(ゲーテちゃう)はいったいなにを悩んでいたというのよ? 二重帝国の将来でも真剣に憂えていたのか? まさか。恋だろうがってことで、「物思ふ」だけで王朝和歌では恋に悩む意味なんですが、そういう矛盾した表現になってしまいました。自分1人悲劇のヒーローぶってんじゃないのよ、若造。そのへんの痛々しさまで含めて、青春でいいじゃないですか。大好き。  

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