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2013年9月 1日 (日)

回帰熱その後 

   それで調子に乗ると。

   リーベスリーダー、それでは恋に悩む真っ最中はどうかというと、直前16曲。

   恋とは深き坑、危険極まりなき井戸
   哀れ、我はそこに墜ちいりて
   聞くことあたわず 見ることあたわず
   我が悦びをしのび
   我が哀しみに泣くのみ

   伴奏のピアノがもうブラームスッ! で後半のフーガになってるところなんか目眩がしそうな名曲。秋の夜長にブラームス。これはクるぜ。

   坑なりけり あとは耳しひ目のしひて
    君を想ひて焦がれ泣くのみ        舞音

   倒置構文からはじまってるのを活かします、そこはもう。この曲の肝だし。「恋とは」って主語省略しましたよ。和歌で! 「~なりけり」って、そんなもん幕藩体制における天皇家の意義とか、ローマン・カソリックの三位一体における精霊について語ってるわけないじゃん! 恋に決まっとる。あとは、このゲーテ(ゲーテちゃう)手前の不幸とああ、あんときはよかったぁ、という追憶ばっか語ってますが、そこんとこを「あなたのことを想って」と和歌風に変換してます。そこんとこはまあ堪忍してください。東西の美意識の違いやね。いや、そこも細かく訳出して違いを楽しんで貰うべき? ここんとこが、「翻訳のせいでで迷子(lost in transration)」ってやつですかね? 訳者はこんなところにお節介しちゃダメなのかなあ?

   あとは、「耳しひ めのしひて」が放送禁止用語かどうかっていうとこやね。

   「恋は盲目」って言いますから、文学的表現として許して欲しいところなんですけど。今ネットで用例調べたら、鴎外も「みみしひる」って使ってるらしいんで。原文ではそこまでいかず、「kann wieder hoeren noch seh’n」 と可能の助動詞 kann (英語で言うところのcan) を使ってるだけなので、敢えてやばい言葉を使うこともないのかもしれません。

   じっさいすごい失恋に突っ込んだ場合もうほんとに落とし穴におっこちたような絶望で、それを描くにはこの言葉を使うしかないと歌人生命(あるんかい)を賭けるならまだしも、ちょっとした悪戯というかエクササイズで問題あるかもな言葉を使ってそういう方の気分をいや~なかんじにすることまではしたくないかな。

   変えちゃいましょう。

   坑なりけり あとは聞こえず目も見えず
    甘きをしのび苦きに涙す       舞音

   ま、こんなもんか。後半も対句出してみましたけど。いやこれはくどくなった? 王朝っぽさがなくなったけど、これで恋なんだなと解ってもらえるでしょうか。

   これを後半、「墜ちいりて~」から繰り返してフーガで「泣くのみ」「泣くのみ」と繰り返して絶叫ののちジャンと終わった後、17曲「散歩するなかれ」を静かに始めるんだからもう、ブラームス、神のしわざ。

   「~なりけり」で有名な西行のアレは、そりゃ恋じゃないな。でも、あれ西行だし。中世だし。中世まで行きますと、和歌は恋と花だけの世界から詫びの境地を見いだしますが。今回「回帰熱」シリーズは王朝和歌のノリ(恋愛至上主義&序詞・掛詞など古き良き修辞技巧の活用)でいっていますので。そこが「悪戯」の由縁。

   年たけて また越ゆべきとおもひきや
    命なりけり 小夜の中山        西行法師

   もうこの年で、再び越えることはあるまいと思っていたが
    命があったことよ、小夜の中山まで

   ってカンジですかね。昔は旅もしづらかったですから。

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