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2012年4月 2日 (月)

「河北新報のいちばん長い日」 起死回生

   なんだか思っていたより仙台を第2の故郷と認していたみたいで。

   この震災のあとも、住んでいた辺りのローカル情報を発信しているサイトを探し当ててほぼ毎日見に行ってるのですが。
   こないだ麓に下りたときに見つけたこの本は、そういうわけで読むつもりはありました。

   「河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙」

   河北新報というのは仙台を中心に東北をカヴァーするローカル新聞社です。金沢で言うと北國新聞ですが、範囲はもっと広いですね。現地ではよっぽど転勤族で身も心も東京を向いてるご家庭以外は河北新報を取ってるのが当たり前という感覚です。でも、仙台は金沢より支店経済が発達してますから、全国紙取ってるご家庭も相当数います、うちもあのころは朝日だったような。

   そういう地方の殿様な新聞社が、未曾有の大災害に遭ったときどう対応したかというドキュメントなんですが。

   

新聞社の抱える問題がみんな出てた気がしますね。

   価値観が多様化して、必ずしも誰もが新聞を取るとは限らない時代、速報性でTVやネットに置き去られたのをどうカヴァーしていくか、紙に印刷するという形態のメディアに意味はあるのか、個別宅配制度を支える販売店をどう守るか、全国紙との差別化をどう図るか、地方紙の相互ネットをどう活用するか、記事の電算化にどう対応するか、眼下に救いを求めるひとがいる上を報道ヘリで飛ぶことに象徴されるジャーナリズムの倫理をどう捉えるか。

   娘は何度か泣いたと言ってましたが、わたしは泣くまでは行かなかったかな。

   やや、幾つかの問題点を震災で「原点に立ち返ること」とかいって自己の再評価・正当化に持って行ってしまってる気がしたので。だって、もう何年一日も絶えることなく新聞を発行し続けてますってプライド、読んでるひとにとっては意味不明だから。新聞休刊日はノーカウントなんだってさ。
   電気も止まり、TVもラジオもない暗闇の中で、意義を疑いながら出した号外、新潟の提携新聞社に原稿を送ってやっと出して貰った震災後1号、届けにいくと、被災者は奪い合うように読んでくれた、その後も、昨日のでもいい、1週間前のでもいいから持っていたら見せてくれって言われたって、そりゃその場にいたら情報に飢えてもいただろうし、決死の覚悟で届けたひとには一生の名誉だろうけど、……そんなに自分の仕事に疑問を持っていたんですか。
   死者1万人を超える予想、と知事が会見で言った件をどう見出しにするかで、読売など全国紙はこう打った、しかし、実際の被災者にその言葉はストレートすぎる、と表現を一段落とした、というのをひとつ章を取ってまで取り上げてましたが、そんなん、2紙も3紙も取って見比べるひともそういませんから、要らないこだわりであったように思いますが、その場でその見出しを見たら、天晴れ河北新報はおらが新聞、被災者のこころに寄り添ってくれるって思ったでしょうかねえ? やっぱり心は仙台と離れてしまったのかしら。その辺、仙台や福島の読者の方にお伺いしたいところ。また、河北新報エリアでも震災の被害がそんなになかった辺り、山形とか、青森とかで取っておられた読者さんは、その辺どうご覧になったのかしら。やっぱり減ページを残念、つまんない、はやくTV欄最終面に戻してと思ってたかしら。

   

マスコミって思うとなんだか斜に構えて見てしまうんで、地元の昔からの企業が、あの日から懸命に力を合わせ、自分の仕事を全うして生き続けてきた、ということなら、意義ある読み物だったと虚心に思うこともできます。

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