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2011年9月10日 (土)

A deep river 

   それは漫画読みの間では昔から繰り返されてきた論争かも知れませんが。

   つい最近見たのは「夏目友人帳」についてファンが語り合う場で。
   いろいろ登場する個性豊かな妖怪(作中では妖-あやかし-)たちですが、それぞれの強さはどのくらいで誰が一番強いのかをちょっと考えてみようと言い出すひとがいて。
   まあ、ある程度は作中の描写から、ニャンコ先生こと斑はとても強いらしいとか、強さで言うなら三篠だとか、ちょび(ちょびひげを生やしているとの記述から。でもあれはドジョウ髭だろうよとわたしは声を大にして言いたい)は常々斑より強いと自称しているとか。
   ある程度でたあたりで、誰かが言い出します。
   「また物語での『最強』にこだわる奴が出た。これはそういう少年漫画じゃあないんだよ」云々。
   まあ確かに原作はそういう妖とのふれあいを通じて成長してゆく少年を描く話で、掲載誌は少女誌ですが(間違ってないよね?)。

   少年漫画といえばバトル(格闘)ものという感覚があります。

   「聖闘士星矢」や「ドラゴンボール」までいかなくっても、「あしたのジョー」や、「男一匹ガキ大将」? 大昔から、殴り合って誰が一番強いのか、主人公が登りつめていく話が多いでしょうか。そして、ゲームを反映してか、最近はその登場人物の強さも、各方面での強さを細かく設定してランク付けし、(読者へのおまけ豆知識として巻末に記す程度ではなく)物語の中でもそれを参考にしたり戦いの中で活かしているような描写もあるような。

   お話というのはそれ一辺倒じゃなくて、他者との関係はどちらが強い、弱いだけではないのだということが解らななってしまうようでは困るのですけれど。そして、直接闘ってぶちのめすことだけが、味方ではない人間とのつきあい方、自分の行動を邪魔させない手だてではないんだけどなあ。

   その辺は、「影武者徳川家康」を隆慶一郎からもらっておきながら、ただの暗殺者とのバトルものに堕してしまった週刊少年ジャンプへの絶望がありますので、わたくしは少年漫画のバトルものに対して点が辛いです。あれは知力と体力を振り絞ったサヴァイヴァルであったのに、ただ局面における個人の戦闘能力を描くだけになってしまって、その震えるようなスリルを全く描き出せていなかったのはもう隆氏の墓前に出向いて土下座して謝れ!!! レヴェルだと思うんですけど。それを受け止めるだけの読解力がジャンプ読者になかったんだから、しょうがないよなあ。まあ、対象年齢を考えるとヤングジャンプぐらいでやるべきだったかもですけどね。

   別マや花とゆめを読んで育ったわたくしとしては、少女漫画の方がよっぽどいろんなジャンルの作品があって面白かったと思ってます。歴史物、スパイアクション、サスペンス、SF。絵もキレイだし、登場人物の内面の描写がとても深かったように覚えているし。哲学的内容のものもあったし。

   さりながら、少女漫画から少年誌、青年誌に河岸を変えた女性漫画家もかなりいらして、皆さん口を揃えて、「恋愛を絡めて描かなくてはならない縛りが辛かった」と仰る。その、「夏目友人帳」の緑川ゆきさんもそう仰っていたというので、ちょっと哀しくなります。いやそうかな、恋愛絡んでない名作もあると思うけど、ほら、「動物のお医者さん」とか。菱沼さんが出たときにはああ、とうとうヒロイン登場か、このひとがハムテルと恋に落ちるのかなと思ったものですが、全然! 違いましたしね。

   そう、最強論争が一段落すると、今度は「夏目とタキは恋に落ちるのだろうか」云々と言い出すひとがいて、「委員長だろう」とか、「それより第?回に出た妖の○○ちゃんが」などとまた場が荒れるんだなあ。

   そして、作者はそういう恋愛を絡めた話を描くのが苦痛だったと言っておられるのだからそういう見方をしてはいけないと言う人が出るんですよ。

   そういう、少年向けだから格闘要素をとか、少女向けだから恋愛要素をとか、そういうのから自由になって描きたい話を描きたいように描いてもらいたいもので、読者は乙女だろうがお兄さんだろうが、自由に楽しめばいいと思うんですけど。

   それにしても、男と女の間にはやっぱり深くて暗い川があるのね。

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「日本人なら知っておきたい日本文学」 ― 寄らば大樹 ―

   「日本人の知らない日本語」、新刊出ないのかな、あれっきりかな、と思っていたら、読売新聞の下の方の広告欄に広告が出ていたので、街に出るついでに買い求めました。
   「日本人なら知っておきたい日本文学」蛇蔵&海野凪子。
   清少納言が本音でズバズバ言う挑発的コマが広告に使われていて、ホントに「枕草子」でこんなこと言ってたっけ、でも言いそう、と早乙女家において掴みはバッチリ! だったわけです。
   外国人に日本の文学について尋ねられて、「ええと、どうだっけ?」とおぼろげな理解しかしていなくてちゃんと答えられなくて恥ずかしい、という漫画担当蛇蔵さんの実体験から、ある程度調べてちゃんとお答えすることにしているという凪子先生の誠実な案内による日本文学の有名人を幾人か取り上げて解説する形のコミックでした。

   やっぱり、凪子先生の解説に外れはない

   清少納言にはじまる、その人物的背景の紹介の丁寧さはたしかに国文科レヴェルです。実際の作品の中から現代でも通用する、そしてキャッチーな部分を紹介する辺りのセンスの良さ、そして今ふうの言葉選び(頼光四天王を「千年前の戦隊もの」と言い切ったのは白眉!)は蛇蔵さんのアイディアに負っているのかも知れませんが、通り一遍の歴史エッセイのように、軽薄な人、晩年は不遇だったらしいと噂があるとしたり顔に紹介して終わりでなく、現実の、身近にいるかもしれない女性として考察して「どこまでも清々しい人」とあくまで好意的に紹介しているのがいつもながら頭が下がります。ほんと、誠実。 

   おまけのヤマトタケルの項では、古事記ならではの年齢が大づかみなところとか、これが起源で名が付いたはずの草薙の剣が登場時からその名で呼ばれているパラドックスについて、「本居宣長も言っている、突っ込み禁止と」とフランクに書いてくれているあたりのセンスの良さに脱帽。あれですね、どっかのすりあわせで必要なんでしょうか、神話とかは最初の頃みんな有り得ないほど長寿ですよね。旧約聖書もアブラハムとかその辺3桁4桁の長寿ですよね。旧約読み始めてそこらで精神的に挫折というか離脱しましたわたし。
   たしか高木彬光がその辺「春秋を年齢の意味で用いるということは、春で一年、秋で一年と考えていたのではないか(要は現代の2倍)」という苦肉の策を弄してつじつま合わせしてましたね。あれは結構ナットクリョク(人を納得させるやや強引な説得力:造語)がありました。 

   ふだん漫画を読まない、若者言葉に疎い方にも解るように一般的な言い回しを心がけつつ……いやでもかなりバッサリ決めつけてるよ。ネットの有名なフレーズとかかなり意識してるし。菅原孝標が道真の書にワルノリで書き足して周囲を呆れさせた事件について「菅原氏コラボ」と表現したり。れいの孝標女が源氏物語フルセットをもらって引きこもって読みふけったあたりのことを、「ドラゴンボールを与えられた夏休みの小学生男子状態」と表わしたり。達者なコピー・ライティング能力は蛇蔵さんの魅力でしょう。

   制作中のエピソードからも、そのしみじみと慕わしい実に教師向きの心(これを蛇蔵さんは先生力と表現)が伺われる誠実な凪子先生の学術的エッセイと、センスに溢れる蛇蔵さんのコミック(絵も達者でオジさんたちが皆魅力的)が車の両輪のようになって他者に追随できないものになっています。寄らば大樹の陰、信頼できるこのお二人には是非次の企画もお願いしたいところです。3巻は冬発行予定とか。楽しみにしています。

   あとがきで、蛇蔵さんはご自分は漫画家ではなくコピーライターであると言ってますが、そこでおかあさんは膝を打ちましたね。……「漫画家」じゃないからそんなに自分の描いたものに過剰な思い入れがなくて、そんでもしかして業界にしがらみがあってあのひどいドラマ化を拒否できなかったのかなあって。漫画家なら、公開され、ヒットして作者の手を離れた作品は読者のものでもあるというのが解っていて、読者を裏切る(悲しませる)ようなクオリティのドラマ化には反対してくれるんじゃないかと思うんですけど。うがちすぎかな。いやそれにしてもあのドラマは酷かったと思いますよ。

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昔を今になすよしもがな

   この3月を期に更新のなくなったブロガーさんがけっこういらして、密かに気になっていると書いたのは「せめて烽火を」の項だったと思いますが。
   そろそろまた趣味のイヴェントの季節になって(このイヴェントは平板アクセントすなわち一般の辞書的意味とは違うある一定の意味合いを持っています。つまり、同人誌即売会のこと)、さて今回は誰がどんな新しい本を出展するのかなといろいろ調べておりましたら。

   この春頃、いろんなリンクをたどって、あ、この方絵がシャープで、原作のこういうところを活かして独自の展開で世界を創ってらして面白い! としばらく見に行っていた方、そういえば最近活動が停滞してるのね、と絵だけじゃなく、管理人さんの近況欄を見に行ったら。

   「被災しました。実家は原発の近く、もう家へは帰れず今は友人宅に身を寄せています」って。

   ああいう活動をされている方でほんとにそのレヴェルで被災された方を初めて知りました(おかあさん世界が狭すぎ)。

   やっと手に入れたパソコンも、いつも使っていたマシンとは違うので今まで通りのクオリティの絵を発表することはできないとか、更新もそう度々はできない云々綴ってありました。そりゃあ、生きていくのがぎりぎりの状態では、趣味とか言ってられないでしょうしねえ。1時間が限度、自家用車に積めるだけ、とかでうちから持ち出すなら、ふつう衣類や身の回りのもの、思い出の写真や金目のもので、幾ら愛していてもワンピース全巻とか、ベルばら愛蔵版(おかあさんたとえが古い!)とか、置いてけっておとうさんに言われちゃうよね。

   不景気とかなんとか言ってますが、日本って豊かだったんですねえ。物質的なことじゃなく(いや、パソコン上で一定のクオリティの絵を描いてそれをネット上で発表するだけのインフラをふつうのお嬢さんが持ってるってのは豊かでしょうよ)、ちょっと漫画を深く愛した素人のファンが、自分たちで絵や小説を書いて発表してそれがメディアや市場として成立するんだから。

   そういう草の根の芸術というかB級の芸術の層が厚かったのだと今更に思い知らされています。うん、物質文明だけとはちがうよ。

   これから、そういうことも許されない生活が待っているのでしょうか。その管理人さんには、広く公開することはなくても、どうか少しでも絵を描いて気散じになりますよう、絵を描く術や時間がなくても、自分で物語を思い描いて、心の慰めになりますよう祈ってやみません。そして、できうることなら彼女の作品に、またどこかで出会えますように

   そして、そういう遠くの、見も知らないお嬢さんと、ひとときある作品を通じて繋がっていられたということに儚い幸せを感じずにいられないのでした。原作者の荒木飛呂彦先生、ありがとうございました。これからも偉大な作品を描き続けてください。

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2011年9月 5日 (月)

本日の一発ネタ 「8個入り娘」

   ニュースを見ながら猫科の人達と歓談。
   「こんなときになんだけど、お屋根の上ってのぼってみたいかも、夏目友人帳のオープニング映像みたいにさ」と、虎美。
   「おれはある」と、豹太。
   「ああ、母もあるなあ」と応じていると、やや焦ったのか、
   「いいもん! あたし、はっこいりだからッ!」と虎美ムキになりました。

   「……ああ、公済病院で買ってきたんだもんな。そうか、8個も入ってたか」
   「残り7個とは生き別れか。探しに行けよ」おにいちゃんも切り返しが巧くなってッ。

   妙にツボに入って、3人ともしばらく笑い転げましたとさ。

   注: (豹太と違って)虎美はわたしに似ていないので、「東北公済病院ですり替えてきた」というのがうちでの持ちネタになっています。

   そういえば、日曜日、虎美を連れてスーパーに入ったら、気安い店員さんが、
   「こちらは早乙女さんの娘さんですか!? 
   おかあさんに似ず美人ですねえ~」と言いやがりました。
   「ダーリンがハンサムだから~♪」と返しておきましたが、くやしいぃぃッ!

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