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2011年7月20日 (水)

「夏目友人帳」 ― 立ち上がるヤマアラシたち ―

   虎美も真面目に学校に行って交友関係が広がると、いろんな少女漫画が回ってきておかあさん嬉しい。

   「夏目友人帳」緑川ゆき は結構前から有名な作品ですよね。

   両親を早くに亡くしている夏目貴志は親戚の間をたらい回しにされている高校生。それはせちがらいご時世のせいではなく、本人の資質に拠ります。彼は妖(あやかし)が見えてしまう体質で、それを知った魑魅魍魎どもが時間も場所も弁えずに彼を構うので、
   「変なものが見える」と言い出したり、突然叫んで暴れ出したりその場から駆け出したりする奇行子と思われているのです。これがまた、「寂しい子供なので構ってもらいたいあまりの虚言癖」と解釈されて、どこへいっても周囲の目は極寒……。
   書いてるだけでも胸が痛む設定ですが、じゃあ妖どもが自分を認識してくれる人の子である夏目君を親しい友と遇してくれるかというと、前述の通り、人の子のくせに、と脅かして喜ぶ、隙あらば喰らおうと襲ってくる、寂しい夏目君の方でよかれと思って多少の手助けをしてやっても彼らなりの論理で懐いてこない……と、かなり切ない感じです。
   そういう夏目君が、同様の体質で、さらに能力と性格が強かった祖母の遺品である「友人帳」を相続したことから物語は始まるのです。これが可愛い友人のアドレスとか記念の写真帳とかじゃなくて、妖を支配することができるそのものの「名」を書き付けた帳面なのです。真名とかそういう思想が少し入ってるんでしょうか、祖母レイコは妖と勝負して、その「名」を取り上げ、友人帳に書き付けて妖どもを支配しておったというのです。べつに、ソレを使って人助けとか妖怪退治をするでもなく、単に暇つぶしのために。たくましすぎるぞレイコ。
   それを知って震え上がった貴志:夏目君は、妖どもに名を返そうとします。っていっても、べつに深山幽谷を行脚してノートが全部白くなるまで義務を果たす感じじゃなくて、ただ今の随分ましな寄宿先でほのぼの(一部殺伐)した生活を送りながら、噂を聞きつけて訪れる妖に名を返すだけなんですが。
   だから、毎回の物語は必ずしも名前を返す話ではないです。暴れる妖を鎮める話でもないし。伏線にもならないような所(いや、立派な伏線だ)から助けが入ったりするし。
   大物の妖、斑(まだら)は招き猫に取り憑いて「ニャンコ先生」として彼が死んだ後その友人帳を受け継ぐ約束で彼を守護するのです。その辺の馴れ合わない関係が、「うしおととら」的でもあるかな。危機になるとお互い自分の身を省みず相手を庇ったり助けに行ったりしてますしね。

   ……書き出してみると、なんか積極的なアクションに乏しいなあ。草食系だ、草食系。

   しかし、親戚から虐待(主に精神的、時々は肉体的にも?)を受けて育ってきてる夏目君は、ほんの少しの善意、思いやりにも敏感で、自分から積極的に傷つけたり、支配したりしようとはしないので、そういうぬるさに呆れつつ、偉大なものを感じたりするのか、妖どもに少しずつ慕われて、夏目貴志じしんに名を握られてはいないものの、夏目貴志を助けようとする妖たちが集まってくるのでした。

   そして、類は友を呼ぶ、妖を祓うことを生業とする、ほぼ妖を敵と見なしている人間も彼の周りには集まってくるのです。妖をその身に宿し、妖を退治すべき敵と見なす名取、目的のためには使役する妖をも使い捨てる的場。
   さらに、彼ほどには能力が高くなく、なんとなく妖の気配を察する少年、田沼要、陰陽師の末裔で、ほとんどその能力はないにしても、妖への憧れと知識を持つ少女、多軌透が学校の友達として現れ、夏目君の周囲はここへ来てどんどん賑やかになっていくのでした……。

   傷付きすぎてほんの少しの優しさにも敏感な夏目君が最初は痛々しくて見ていられなかった感じですが、それゆえの、やっとできた優しい人達とのつながりを大切にしようという心がまた愛おしくてならなくなります。祓い屋の名取も、夏目君をぬるいと感じ、いろいろきついことを言いながらも彼のスタンスを認めはじめているようです、そのように、疎外感を感じてきた田沼、持って行き方の解らない憧れに身を焼いて暴走していた感じのタキ(作中こう呼ばれている)も、夏目君に出会って変わった人達でありましょう。

   そういう、特異なものをそれぞれ抱えているがために人の輪に入れないで立ち竦んでいたような若い人達が、少しずつ、自分を見つめ直し、壁を崩して他者と関わりを持とうとしはじめるところが瑞々しいと見ました。そういう能力を持たない一般人で、夏目の奇行を暢気に見守ってくれている北本や西村など、友人達も捨てがたい存在です。
   ここへ来て思い至るわけです、ものが妖怪ものだけど、これは正しきジュヴナイルであるなあと。

   能力はとくに妖怪関係でなくても、青春時代というのは自分の趣味志向がひととは違っているのでは、本当の自分を出しては弾かれるのではという恐れとの戦いのようなところがあるように思います。それを、じっと隠して出さずに表面だけ合わせているような思いに捕らわれて、青少年は閉塞感を強く感じもするのでしょう。「ヤマアラシのジレンマ」、有名な心理学用語ですが、本当は近づき合って暖を取りたい、コミュニケーションを取りたい2つの個体が、お互いのそのトゲが怖く、また、自分のトゲで傷つけてしまうのも怖くて近寄れない、そのような心理的状況のことを表わしているそうで、結局はつかず離れず、ちょうど良い距離を見定めるという結論のようですが、遠藤淑子の名作「ヤマアラシのジレンマ」においては、
   「立ち上がって抱き合えばいいのさ」というコロンブスの卵的解決法が示唆されています。
   最初はちょっと恥ずかしいかも知れませんが、勇気を出して腹を見せれば、相手も腹を見せてくれる。近寄って、抱き合えば、こわごわ距離を測っているよりずっと温かいはずという考え方。

   ほんと、これは目からウロコ。

   作中世界のヤマアラシたちも立ち上がり始めたようで、ほんと、目が離せない佳作であります。

   ……こういう先走ったことを考えると腐女子とか言われるんだろうけれど、妖の知識があり肝が据わっているタキは夏目君のパートナーにはもってこいなんだろうなあ。そうすると、ただでさえ、感じるけど見えるまで行かない能力で役立たず感、疎外感を感じている田沼君がなお仲間はずれになって可哀相だなあ。

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コメント

 「ヤマアラシノジレンマ」、あのエヴァンゲリオンでも言及されていたようで、とあるサイトでほんとにヤマアラシちゃんたちが寄り添っている画像のキャプションに使われていたら「ああ、エヴァの」って。なんでもアニメが唯一の情報入手源でそれでしか物事を計らないからオタクというのはバカにされるのだよ! それでよそで元ネタやらそこから引いた類似の概念を見ると鬼の首でも取ったようにパクリだパクリだと! 恥を知れ!

投稿: まいね | 2011年8月 7日 (日) 02時23分

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