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2011年5月25日 (水)

「マドンナ・ヴェルデ」 ― 産めば親子 ―

   堂々の大団円を迎えましたNHKのドラマ「マドンナ・ヴェルデ」。面白かったですね。最初は娘共々「もしドラ」への繋ぎで見てたんですが、もう今月に入ってからは真剣。うっかり疲労のため寝てしまったときには、
   「おかーさん、『マドンナ・ヴェルデ』始まったよ! 起きないの!?」とかなり真剣に起こしてくれました(でも起きられなかったの)。
   最初、「キモイ! ストーカーだよ、これはもう!」と二人して否定的に見ていた長塚京三の俳句の会の主宰者(もと海外駐在の記者?)が、松坂慶子扮する未亡人で娘を女医に育て上げたおっかさんの理解者となってどんどん心を寄り添わせていく様に心を打たれ、
   「最近いいよね、丸山さん」
   「おう、最初はどうしようかと思ったけどな」と二人して話し合っていて、ここで無事代理出産を終えた後はいい茶飲み友達になる、もしかして再婚? と思っていたのに。
   だって最初の頃の番組宣伝なんかで、開始1回か2回めで松坂慶子のみどりさんに、
   「あなたでなきゃだめなんです!」
   「あなたを愛してるんです!」って絶叫の告白をしていて、なにこのオッサン! とホントに鳥肌ものだったのに。
   みどりさんの懐妊にいち早く気づき、「聖母(マドンナ)のようなオーラが出ている、みどりさんだから、マドンナ・ヴェルデ(緑の聖母)」って口走ったときにはあ痛ぁ……って思いましたよ。原作者海堂さんのヨコモジ・ニックネーム好き(ジェネラル・ルージュとか、グロリアス・セブンとか)が出た! って。
   最初拒否反応が強かっただけに、誠実にそして彼女たちが挑もうとした「大罪」に冷静に対処してくれた姿に少しずつ動かされたのでした。やっぱ男は誠実さだ。

   あらすじを簡単に。
   一人娘を育て上げ、俳句の会に参加したり介護の仕事をしたりとメリーウィドウ生活を満喫していたみどりさん、その自慢の娘のりえちゃんからせっぱ詰まったお願いをされてしまいます。自分は子宮癌で子宮を取ってしまった。けれど、不妊治療中で人工授精した自分の夫との間の受精卵はかかりつけのクリニックに保存してある、いつか自分のお腹に戻して産むつもりだった受精卵が。それが、そのクリニックが廃業(今開業医も経営苦しいですからね。そこは後継者がちょっとしたトラブルで係争中なせいもあるらしい)するので、その大切な卵がこのままでは処分されてしまう! 

   「おかあさん、わたしのかわりにわたしの子を産んで」

   りえちゃんは不妊治療の最先端をいく産婦人科医だったのでした。

   ここんとこが悩ましい。けっこうな名家に嫁いで跡継ぎを切望されてるとか、お舅さんが死の床にあって安心させたいとかじゃなく、子宮を取った産婦人科医で、そのへんの医学知識は十分にあって、子供を得られない女性の苦しみを肌で感じて仕事をしてきている。チャンスがあったら新しい希望を彼女たちに見せてあげたい、よその国ではもう行われていて危険もないことは学者として判っている……。いろいろ特異な立場なんですよ。そんでもって、むかしちょっとわけがあった産婦人科医、「カイザー(帝王切開)ならこの先生」と言われる名医がすぐ身近にいて、個人的に手術はお願いできちゃうといういいご身分。

   はっきり行って、彼女のやろうとしていることはズルです。日本では、代理母による出産は認められてません。彼女の属する大学病院の講座の教授もそれを認めていません。ばれたら社会的にも医学界的にも叩かれるのに、彼女はそれをあまりママには説明せず、「わたしは自分の赤ちゃんをこの手に抱きたい」と娘として、女性としての情でだまくらかしてみどりさんにそれを承知させてしまったのでした。
   ですから、わたしは最初からりえちゃんには否定的な感情を持っていました。

   ここんとこが巧いのは、教授の方が、革新的で、なんでもやったらいいじゃない、その技術があって、それを望む患者様がいるのなら、医者としてベストを尽くさないのはおかしいという論理で今現在の法を乗り越えようという立場ではなかったことです。そういう医局の雰囲気で乗り越えてしまった、多少の先陣争い、功名心なんかに踊らされたという描き方もあったでしょうに、それを慎重に排除したところが優れていると思いました。

   医者としての彼女が代理母による出産を認めるべきだと思うなら、法制度を整えてから臨むべきであったと思うし、華岡清洲じゃあるまいし、自分の母をその犠牲にするのもおかしいと思いました。まあ、他人様のお母様にお願いするよりはナンボかましですが。子供を与える技術はあるのにという常日頃のフラストレーションが、自分が子宮を失い、出産能力がなくなったと実感したことで爆発して、医師として越えるべきでない塀を乗り越えてしまったんでしょうね。みどりさんがお産で命を落としていたら、あなたは自分の母を犠牲に産まれてきた自分の娘を、このさき誰も頼ることができない人生の中(彼女は4才で父を亡くしている。夫は研究熱心な学者で、別居生活が長いので妊娠が判明した後離婚して切り捨てている。兄弟もいない)愛することができるのか、わたしはそれを問いたかったです。代理出産を公表しても大丈夫、わたしがこの子を守る、実の親子なんだから絶対絆は固いはずと言い張るりえちゃんに、実の親子であるあなたたちはこの子のせいで既に壊れているではないかと指摘した医院の院長先生は偉かったと思います。

   そういう、同世代以降のがんばってる女性にありがちだなあ、なんて感じさせるりえちゃんに対し、みどりさんはおおらかです。神キャスティング。腹をくくって赤ちゃんを引き受けたら、30ウン年振りの妊娠も楽しんで、丸山さんを迷惑がりながら少しずつ受け入れてちゃっかり利用して、娘と、娘婿と、孫と、みんなの幸せのためによく考えて慎重に行動します。
   そんでもって、イマドキの若い娘、無軌道な生活の末に妊娠して、中絶のために同じ医院に通っていたユミちゃんにもおせっかいして。

   おおらかで誠実で優しい、ほんと聖母のようなみどりさんのおかげで、様々なトラブルはなんとか解決し、今日の最終回の出産シーンにこぎつけたんですが。
   クリニックから、不測の事態に備えて搬送の予約というかお願いを受けた教授が、帝王切開を引き受けた医師に向かって言った台詞が秀逸でした。
   「うちの大学は代理母を認めていない、ということは、もしこの患者さんが非常事態になったとしても受け入れて出産させるわけにはいかない。……だからベストを尽くしてそちらのクリニックでちゃんと身二つにしてあげなさい」(大意)という論理には目からウロコ。いい親分って言うのはこういう落としどころを知ってるひとのことを言うんでしょうね。そんで、海堂作品はどうしようもない医師がよく出てきますが、こういう大物なセンセイも確実に出てるんだ。こういうバランス感覚好きです。

   ……まあ、NHK公式で、みどりさんとユミちゃんが赤ちゃん抱っこしてる画像が出ていたので、2人とも無事出産できたことは判ってたんですけどね。
   最後の最後で、絶叫。虎美は泣いちゃってました。
   そういえば、先週? 丸山さんが産まれてきた赤ちゃんが代理母出産だと公表するかどうかでりえちゃんと揉めたときに心臓発作起こしてましたが。
   手術前に、みどりさんと穏やかでほんとにお似合いな時間を過ごしてて、おお、これで退院後は楽しい茶飲み友達ライフが待ってるぞとは思ったんですが。
   「フラグがいろいろ立ってると思ったんだ」って虎美も言ってましたが。

   ここで丸山氏急逝。面倒掛けるばっかりで。こら、そこの母娘反省しろ。
   でも彼は彼で楽しかっただろうと思いますけどね。秘密を知ったことで、密かに片想いしていたマダムとこんなにお近づきになれたんですから。
   りえちゃんはここへきてやっと、
   「どうしたらいいの?」と不安を口にします。これまで、「シッターさんを雇って、あたしがちゃんと育てる、大丈夫」とむやみに張り切っていたのに。
   それでも、みどりさんは言うのです。大丈夫。
   「わたしがあなたにしたようにすればいいの。(中略)いっぱい愛しただけ」

   その昔、大学で、近世文学史の教授が言っておられましたが。
   「諺のパロディを作れという課題を出したが、あまり良い物はできなかった。
   『しゃけはあけぼの』っていうのと、
   『産めば親子』っていうのがそのうちでもまあ、見られる方で」って。いや、「春はあけぼの」は諺じゃないな、今にして思えば。

   産みたくないとか、こんなわたしが産んじゃいけないとか、これは許されないことだとか、お腹にいる間どれだけ悩んでも、産んでしまえば、親子、今そこにあるのは、あなたが保護してやらねば消えてしまう命なのである事よ。そして、かけた愛情には、子供はきっと応えてくれる。そういう太い、原始的と言ってもいい確信が見えました。

   クライマックスということで、その医院にかかっていた妊婦さんがみんな一気に産気づいて、トリプルお産。れいのカイザーの帝王は2件建て続けに帝王切開の手術をこなし、病気で引退まぎわの院長はきりりと現場復帰してユミちゃんの自然分娩を仕切ってました。そういう現場のお医者様にたいする尊敬もちゃんとあって、ほんと、海堂作品はよくできてる。

   ユミちゃんが「イタイイタイもう帰る!」と盛大に泣きを入れていたので見ている虎美がびびって、
   「こんなに痛いの?ホント? あたし絶対イヤ!」と悲鳴を上げていました。
   「ホントだよ。お兄ちゃんの時にはゴールデンウィーク三連休ずっと転がり回っておった」
   「あたしは?」
   「比較的つるんと出たが、早すぎてその辺の筋肉が全部逝ってしまった(具体的にどうなったかについては語りたくありません)」
   「ごめんなさいッ!」
   お年頃の娘と見てほんとに意義があった作品でした。

   「それでおまえはどうしてわたしを母と認識しておるのだね?」
   「刷り込みかな? おにいちゃんがおかあさんと呼んでるのだからわたしもおかあさんと呼ぼうと」
   愛情を注がれたとは意地でもいわない虎美でありました。
   「ふむ。まあそうだよな、おっぱい飲んだ記憶があったら怖い。公済病院からわざわざ攫ってここまで育てた甲斐があったというものよ」って、おかあさんこんなときまでホラを吹かない!
   素直じゃない親娘でした。

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コメント

> おにいちゃんがおかあさんと呼んでるのだからわたしもおかあさんと呼ぼうと」

 意外なところに真実は顕れていたのかも。
 虎美にとってはわたしは「お兄ちゃんのおかあさん」なのだなあ。泣いて嫌がるのをお稽古ごとに連れて行ったのも、隔離病棟に放り込まれたのに付き添ったのも、夜泣きに自分も泣く思いで子守歌を歌い続けたのも救急車で仙台中の(オオゲサ)病院に乗り付けたのも思えば豹太のときだけだった。だからって親らしいことをしていないと思っているとは……手のかからない子って地雷だわ。

投稿: まいね | 2011年5月27日 (金) 04時48分

なかなか最後まで引きつけましたね。重いテーマだったけど。松坂慶子の力が大きいと思う。娘婿の兄ちゃんは邪魔だなあ。生物学上の父として必須なのはわかるが。

原作は読まなくていいか、と思わせるのが、海堂作品のいいところ(^_^;)。

投稿: アマサイ@科学の星 | 2011年5月28日 (土) 19時48分

 アマサイちゃんいらっしゃい。
 いやいや、わたし一応探しましたよブックオフで。「ジーン・ワルツ」しかなかったな。
 りえちゃんのだーりんは……やっぱ妻が不妊治療にはまると夫は引いちゃうのかなと感じさせる要員かなあ。そうでないご主人も出ておられましたが(でもやっぱり怖じ気づいてたと思う)。「人間が育てたばっかりに繁殖期が来ても子育てできない動物園の動物」をホーフツとさせるものがあって、ああ、この夫あってのりえちゃんの暴走、という傍証と感じました。ほんと、海堂作品はようできとる。
 それよりブックオフには「もしドラ」も、元祖「マネジメント」もなくって。新古書店ってのは店員さんに目指す本を言っても探してもらえるものなんですかね?

投稿: まいね | 2011年5月31日 (火) 14時35分

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