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2011年4月 8日 (金)

桜といったら俊成でしょおッ!

   東京では満開宣言が出たそうで、昨日の「歴史秘話ヒストリア」はタイミングバッチリだったわけで、虎美と喜んで見ました。
   中国文化の影響を強く受けていた平安初期において、花といったら梅だった雰囲気を一新した功労者として嵯峨天皇が取り上げられてました。
   これは知らなかったな。
   だってこのひとバリバリの中華文明信奉者じゃん。平安初期の明君で(イヤ明君ってほどじゃないか。明君は醍醐帝だよね)。和歌より漢詩のひとで、桃の花が盛りだよ~ここは日本の桃源郷♪ みたいな詩もつくってたんじゃなかったかしら。そういうひとだからこそ、桜もいいじゃんと転向したところが大きかったんでしょうか。
   そのあと桜を愛した歴史上の人物といえば、と秀吉の醍醐の花見に行ってました。まあ、妥当だな。
   でも、エピソード1の平安時代の花に狂う貴族のエピソードで藤原定家が桜折っちゃった話が取り上げられてましたが、かる~いノリで、そのパパたる俊成についてはスルーでした。

   

桜といったら俊成でしょおッ!?

   いや知らんから。
   なんでも、藤原俊成は桜の歌についてはすごい執着をもっていて、ひとの桜の歌にもムッチャ厳しかったそうですな。
   その彼が、自分のナンバーワン! に挙げていたのがこれ。

    面影に花のすがたを先だてて幾重越えきぬ峯の白雲

   当時流行りの幽玄調で。桜見たい桜見たいという執念、その妄想だけを胸に山を越えて来ちゃったよというエネルギーがもう怖いわ。そこまでする桜ってやっぱり吉野ですかね?

   それほどに執着を持つ彼だからこそ、薩摩守のエピソードが盛り上がるんですね。
   平忠度(清盛の弟)は俊成の弟子だったんだけど、源平争乱の頃、一門に従って京都を離れ、西国へ落ちるんですね。ところが、ひとりUターンして師匠の家を訪れる。お師匠は今、勅撰和歌集を編んでるでしょう? もし良かったら、わたしの歌を入れてくださいと忠度は自分の歌の書き付けを預けて行くんです。世が落ち着いて、千載和歌集が出るときに、俊成は忠度の歌を入れてやります。但し、朝敵となった身であるからと、詠み人知らずとして。

   それでも平家物語などで伝わっていて、作者バレバレなんですけど。
   たしか、その歌が、
   さざ波や 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな
   
桜の歌には厳しい俊成が認めた桜の歌ということで、お墨付きの秀歌ということですね。あれだ、国破れて山河あり。人の世の栄華は儚いが自然は永遠に営みを続けるってやつだ。源平争乱でぐちゃぐちゃになった京都の再生イメージも掛かってますかねえ?
 
   桜のエピソードで番組を作るならなんでこれを外すのようと切歯扼腕。

   日本史で桜の好きな有名人といったら1に太閤2に西行、34がなくて暴れん坊将軍。吉宗が飛鳥山や隅田川に桜を植えて庶民に花見をさせた話も入れて欲しかったなあ。

   西行が 願わくは花の下にて春死なむ その如月の望月の頃 と詠んだのは最後に取り上げられてました。

   文明開化で桜の木が切られまくった話は初耳で、これは見たかいがありました。文学界でも、やっぱり西洋文明に圧倒されて、花鳥風月的和歌は絶滅しかけますもんね。安吾ですか、「桜の森の満開の下」とか、桜に対するイメージを変える作品がイロイロ出たとか、近代日本文学史でやったなあ。怖いとか、気持ち悪いとか、そういうイメージを出してきて、江戸以来の美的感覚を否定する動きがあったよと。ほんとに桜も切られたのか、徹底しとるな日本人。そのときにちゃんと桜を守る人が出るところがもう胸が熱くなりました。

   そんでもって玉砕のイメージまで付けられて。また桜の印象が悪くなった戦後、なんで桜はまた復活したのか、その辺も考察してくれると良かったのに。さて、何でだろう?

  

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