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2010年7月 1日 (木)

修学旅行のシーズン

   草枕たびのゆくへはひたすらに
     土産の味で選ぶ我が子よ           舞音

   いやになっちゃう!

   昨日、出がけにせっぱ詰まった声で豹太が呼びますからなにかと思って行ってみると、
   「これ! サインして! 今日までなの!」
   見ると修学旅行の行き先アンケート。アンケートっていうか、もう既にどちらを選択するかの申告票。それが、何泊何日なのか、主な目的地はどこなのか、費用はいかほどなのか、どちらが安いのかなどの資料は一切なしで! これが最後の調査で変更不可だって!

   「以下の二つよりお選び下さい。
   沖縄     台湾」

   「そんなの急に決められるかッ! なぜもっとはやく出さぬか」

   「だって、洗濯物を干すときにくると思っておれの机の上においといたのに!」
   「ここ数日は天気が怪しくて部屋干しだったから居間に干したのだ!」
   リヴィングにはエアコンがあって、ランドリーコースで強力除湿乾燥できますから。

   「この際台湾行っとけ台湾なら土下座させられることも虐殺記念館見せられることもない。海外旅行できるぞ」この先うちから海外旅行に行くことはなさそうだし、と決めつけますと、
   「だって怖いじゃない。パスポートも取らなきゃだし」って、嗚呼。
   「1回取っておけばいいではないか」
   「沖縄がいいの!」

   押し切られて沖縄にマルをして、署名捺印して持たせましたが。

   帰宅した豹太、潮垂れて申すには、
   「ごめん、台湾の方が安かったみたい。一万円だけ」
   うん、そんなこともあろうと思ってた。
   「まあ、気にするな」
   「でも、さーたーあんだーぎー食べたかったから、沖縄って見たらそれしか考えられなくて」
   「好きだったな、そういえば」
   思いっきり脱力しましたね。平和の勉強をしたいとか琉球の文化に興味がとかそういうんじゃないのか!?
   「でしょ? ちんすこう? ナニソレ、紅芋? それっておいしい? だよおれ」
   そんなことで決めたのか。
   「でも持って帰ってこられるかな? 大丈夫だよね?」
   「今は沖縄からの食べ物の持ち込みには検疫はなかったと思うが」
   「って、1年も前から考えててバカだよねーおれ」
   ええほんとうに。

   その昔、バブルの前に父が社員旅行で行ったときには、
   「台湾は昔金沢の人間が統治に行っていたから金沢弁が通じる」なんていっていて、大きなホラを吹いたものだと思ってたのですが、意外や、「おじいちゃんは話せますよ」とおっしゃる留学生の話も(ネットの)そこら中で見かけます。
   ホントに、銅像が建った金沢出身の偉人がいたそうで。
   八田技師。ダムを造る人だったそうで、おかげで水利が整備されて現地のひとにとても感謝されたとか。ショウカイセキが来てからは、日本を恋しがっちゃいかんと日本にまつわるものはみんな破棄させられたそうですが、この方の銅像だけはみんなして隠して守り通し、今、比較的日本を好きな気持ちを出して良くなったためにまた出してきておまつりしておるとか。
   ホント、ありがとうございます。

   こういう話をきくと、台湾にそこはかとない好意を感じます。いやもっと感じろ。
   だから、豹太にも是非台湾に行ってみて欲しかったんだけどなあ。
   まあ、平和の碑とやらを見てきてください。

   そして、夕方、パン屋さんに行って、
   「どーよ、どっちにした? それとも、詳しいパンフレットってもらってた?」と聞いたら、   
   「え? うちの息子はなんも言ってないっス」って。
   「あらーでも今日までって言ってたよ」
   「女房に聞いときます。でもパスポートとるのめんどいっスよね」
   「最悪一緒に沖縄行こうよ、あはは」って帰ってきたけど。
   ケンちゃん(パン屋さんちのご長男、同じ流石高一年)、ちゃんとプリントは出そうね。

   そして、中学の方のパトロール当番に行ってみれば、
   「来年の修学旅行(虎美の学年)行き先決まったって言うてたわ」
   「京都奈良。もういいって」と仰るおかあさまたちはなんとなしに上方の訛り。
   「案外子供は行ったことないかもよ」と、慌ててフォローしました。
   おかあさんがそちらのご出身でも、お子さんもバリバリにそっちで育ったとは限らない。うちだって、わたしはなまってますが虎美は自分を仙台の子だと思ってるようだし。兼六園にはさすがに行ったことあっても、尾山神社や卯辰山(地元民が遠足に行く観光地)は行ったことないぞ、たぶん。
   「学校の友達と行くのがいいんだってば」
   「そうやねーわたしもどこを回ったかなんて覚えとらんわー」
   と、今年の3年生はもう帰ってきていて、この前部活に行くと、一人1,2枚八つ橋をもらったそうです。21世紀になっても京土産は八つ橋か。偉大だなあ。

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回帰熱

   大学の恩師が退官されて、記念に同窓会報に寄稿した文やら、ちょっとした論文やらをまとめた本を出されたようで、とりあえず年賀状だけ欠かさなかったご縁で頂戴しちゃいました。イラストがきれいなので手元に置いて、ほんとに時々めくってます。

   面白かったのは、どうやら亡くなられた名誉教授の思い出を語った話。
   うちの大学の一般教養の目玉(だった)、共通のテーマに付き各分野の先生がなんとかこじつけて1コマ話してくださるという「総合コース」について。「父と子」だったら、たとえば国文なら俊成と定家、史学科ならやや拡大解釈してシーザーとオクタビアヌス、音楽科ならモーツァルトとその父、これが生物科だと野生動物に於けるオスの子育てとか、文系も理系も芸術系も家政学部もごたまぜにいろんな話が聞けるというお得コースでした。……でも、わたしが実際取ってみたらあんまり面白くなかったんだけれども。
   物理の某名誉教授はカリキュラム編成の会議でそのコースについて、「200年前」というテーマを提案され、「(当時の)200年前というのは丁度近代科学の基礎や、現代の私たちの市民生活の根底にある思想がはっきりとその姿をあらわした年である」と仰ったそうで。
   若かりし頃のわが恩師は、
   「私は1000年前のことをしている人間なので200年前の日本と言われてもピンとこない」と言っちゃったそうで……さすがわが恩師。よその学科の年上の教授に文句言うなよ……。すると、
   「それじゃあ、ショーシの頃かな」と仰ったそうで。
   以下引用。
   ― 「いえ、彰子ではなく定子です」と答えながら私は内心舌を巻いていた。だいたい「1000年前」といえば概数と考えるのが私だが、××先生はピンポイントで993年をおもいうかべるらしい。そして、一条天皇の後宮の2人のきさきのうち、道長のむすめ彰子を口になされた。物理学の方の口をついて「ショーシ」がとび出るとは思ってもみなかった。虚を突かれた。彰子の入内は少しあとなので、道隆のむすめ定子だと答えた私は「土俵際であやうく残った」といった感じだった。 ―
   引用終わり。
   理系と文系の違いをまざまざと思い知らされたりして。いやいや、××先生が碩学であられたのでありましょうか。とりあえず、追悼文としてはいいヨイショだな。センセイ、さすがです。

   とまあこんな感じで、時々感心したり、大部分は飛ばしたり。センセイすみません。

   昨日読んでたのは、古今集と後撰集はこんなに違うというネタ。これはこのセンセイのご専門。古今集は、
   「これからは和歌だって表芸だもんね! 三十一文字もこれだけ文学的に価値があるよ!」と大々的にぶち挙げた勅撰和歌集なので、歌単体で意味が取れるもの、価値のあるものに重きをなして選んで編んだ和歌集なんですね、それで、以降はだいたいこの形を踏襲して編まれてます、八代集。
   ところが、よくよく調べると、その直後の後撰集はどうもヘン、季節の歌で言うなら、初春からはじまって、年が明けた、氷が溶けた、梅が咲いた、桜を待つ、桜が咲き初める、盛り、散った、惜しむ、次は新緑……という美しい季節の流れ、四季の絵巻がどうも巧く繋がってない、順不同。
   ……これって失敗作じゃね? というのが国文学者さんたちのコンセンサスになりかけたところ、若き大塚ユキコセンセイ(仮名)が、
   「これは古今集とは違うコンセプトの和歌集なんです!」と説を立てたのでした。
   和歌単体で世界をつくっておる古今和歌に対し、当時の和歌を社交に利用する文化形態を再現し、その場、その流れにおいて乙な和歌を評価・記録する和歌集であったのではないかという学説でありました。
   目からウロコ賞!
   この話を聞いたときは、国文やってて良かったと思いましたね。
   確かに、伊勢物語、大和物語などの歌物語にその系譜は受け継がれますが、今昔とか、その他の説話集にも多少残ってたでしょうか、
   「これこれこういう貴人がおって、このようなシチュエーションでこういう和歌を詠んだ」
   「こういう和歌を詠みかけたところ、こう返してきた」
   という気の利いたやりとりの記録。いろっぽいショートショート、ちょっといい話。バブルの頃、「伊勢物語」を「ホワッツ・マイケル」(マイケルという虎猫が主人公の漫画。必ずしも同一猫物ではないマイケルを中心に小話が続く)に例えた研究者(の卵)がいましたが、あの頃のヒット作でいうと、「ハートカクテル」。長編の深い話ではないんですが、王朝の雰囲気を表わす掌編集といった感じ。なるほどなあと。

   あとは、六歌仙のころの詠みっぷりの特徴は、序詞にあると。

   ほととぎす鳴くや五月のあやめ草 あやめも知らぬ恋もするかな

   古今集の「恋」の部はこれから始まるそうで。この歌、上の句は内容に影響ありません。和歌の解釈の気持ち悪いパターン、「……の……ではないが」ってやつ。下の句のオチに繋がる雰囲気づくりパートです。
   「ああ、時鳥が鳴いているよ、もう5月だ。あやめの咲く季節。そのあやめではないが、ものごとのあやめも判らぬ盲目的な恋をしている自分であるよ」という意味ですね(あえてくどく解釈しました)。
   序詞は、修辞技巧としては万葉調の特徴とされています。まだ、ジョーチョーな頃ね。これが洗練されてくると、全然関係ない景物・言葉から恋や哀傷などのホントに訴えたい内容に持ってくる掛詞に変わってきて、より日本独自のコンパクトで重層的な表現技巧に変わります。

   音にのみきくの白露よるはおきて 昼はおもひにあえずけぬべし

   表は、菊に夜間、白露が置く、昼には日光を浴びて消える、という自然を描きつつ、裏では夜は(恋の悩みに)起きていて、昼は思いに耐えきれず、もう死にそう、と伝えているわけで、高度なテクニックです。こんなのが二番打者で出たらもうノックアウトですね。唸るしかない。素性法師だそうです。六歌仙パネエ。
   その後、古今集撰者の時代になると、また序詞チックが揺り戻すそうですが。その、「前半自然、後半心情」という構造にはなんか見覚えが。

   これだよ! 「ポリドーラ」!

   ブラームスの、リーベスリーダー・ヴァルツァー(「愛の歌」)の元ネタ。ほんの2行か4行の詩に曲を付けて18曲の連作歌曲集にした作品ですが、ほんと、こういう形式の歌詞ばっかりで意味不明で困りました。

   いちど「お月見」でご紹介したと思いますが、第14曲だとこんな感じ。

   見よ、波がなんと清らかなことか 水底に月が輝いている
   きみはぼくの愛そのものだ もう一度愛しておくれ

   ね? 前半と後半の内容に関係全くないじゃないですか。月が水底に映ってるとどうして恋人がもう一度愛してくれるの?
   とりあえず豪傑訳では、

   見よ、波も澄み渡り 水底に月
   我が心の君 戻れこの手に

   とやっちゃいました。諍いのあと、冷静になった反省の弁と見て。

   鏡なる 水の面に月見れば
   昔の人のしのばるるなり 

   てなもんよ。ストレートすぎてアレですが。もっとひねれ。
   直訳内容的には「いまひとたびのあふこともがな」なんですが、この句は有名だし、もうちょっとアレンジしないと使えないですね。
   水の底に月が映るってのは、映像的には判りますが、日本の表現の伝統にはないですね、「水面が鏡になる」というのが伝統じゃないかなあ?

   さらに「前半分は序詞」説を採ったらもっと判りやすくなるかなと。

   じゃあ、第10曲はどうよ? これは昔から解釈というか訳出が難しくて。

   おお、なんと柔らかく泉水の野を流れることか
   おお、かくも麗しきか 恋がその姿を現しし刻は

   と、かなり意訳してこのレヴェル。柔らかく流れるってどうよ? ホント意味不明。

   あしびきの山路に汲める石清水
   見ずともひとを恋ひそめにけり

   いやちょっとこれはニュアンス違うぞ。水から見ずへと強引に持ってきたけれども。前半はなんかお水、もしかして、「奇跡の人」の「WATER!」的オドロキがあるのかしら(時代違います)? 後半は、「このもやもやってもしかして恋なわけ? びっくり! でもスッキリ!」を表わしてるんだと思いますが。それって、和歌では黄金パターンの「ものや思ふと人の問ふまで」ですかね? いや、人にばれるんじゃなく、自分が自覚するんだから違うか、なんにせよ、違う媒体に変換するのは面白いけど難しいわ。

  てなことを、ここ数日楽しんでいます。またしっくりいくようになったらご披露します。

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2010年6月29日 (火)

「戦国BASARA」本筋にあらず

   虎美がお友達から「戦国BASARA」を借りてきました。噂の、「歴女」の入り口と目されておる戦国武将が出てくるゲームのコミカライズだそうで。是非にというので読んでみましたが。

   ……うーむ。
   本能寺の変で信長が討たれてから始まって、「戦国再臨」だそうで。
   出てくる有名武将がどれもこれもイケメンで若くてみんな武勇に秀でていてそれぞれが因縁を持って一騎打ちをするという趣向。訳の解らぬ必殺技の名を唱えつつ武を示してみせるところは、
   「ジャンプ漫画か!?」
   「ね~っ?」
   わたくしは呆れておるのですが、娘の声は弾んでおります。
   伊達政宗なんか、怪しげな英語を叫んでおります。間違ってるんだか今時の威勢のいいアンチャン英語なのかおかあさんの文部省イングリッシュの学力では判りません。ま、要は「ついていけない」。

   だって、総イケメン化はしょうがないにしても(TVの時代劇だってそうだ!)、みんな時代考証を無視して若いんだもの。本能寺の変が終わってるのに信玄も謙信も浅井長政もみんなぴちぴちに生きてるんだもの。
   野暮を言うな。
   もっと言うなら、前田利益が「慶次郎」じゃなく「慶次」と呼ばれてるのはジャンプの先行漫画のオリジナル設定をそのまま引いてます。まあしょうがないか、立川文庫ありて真田信繁が幸村となったように、「花の慶次」ありて前田利益が慶次となったとここは温かく見守ることにしよう。
   これで歴史と人間に興味を持ってくれればよし。

   くっれっぐっれっもこれを史実と思って歴史の授業に臨まないようにッ!

   たぶんこれは、自分がそれぞれの武将を操って闘わせて楽しむゲームであろうと思われるので、キャラクターが適当にそれぞれ魅力的で、それぞれ1対1で永遠に勝ったり負けたりの「試合」をやってればいい世界観なのだと思うんですよ。1回1回ちょっと会話をして、ライヴァルとして心が通じ合ったり、逆に闘志をかき立てられたりというエピソードを挟んでは、「ここは借りておく!」ととかなんとか刀を引いて去る、そういう話の作りになっているのだと思いますが。

   おかあさんは、同じ歴史上の人物をつかって大胆にフィクションに遊ぶなら、「ぼんたん」みたいに、伊達政宗をお姫様にしちゃって、史実とフィクションをどう融合させるかにドキドキする方が好きだなあ。バトルよりストーリー。

   まあ、日本の文学・芸能は歌舞伎どころか語り物・謡曲ぐらいから、史実に題を取ってかなりフィクションにしてしまうのがならいだし。
   「おれそんな性格じゃーねーよ」と偉人の皆さんが草葉の陰で泣いていようとも、しょうがないんでしょうねえ。

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古典的なアレ

   「向こうのスーパーにルーフができたってねえ」
   「やーねー」(実話)

   やーねーじゃないッ! よくやったッ! これからの季節、雨もイヤだし、直射日光も困ります! 今まで雨の日は特売の箱入りペットボトル(お茶とかコーヒーとかミネラルウォーターとか)がパラソルの下で湿気ていて、ちょっとイヤだなあと思っていただけに、リーリエマートよくやった! 

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死んでもいい。

   今日、生まれて初めて、
   「ああ! 『舞音秘密』のまいねさんですか!? いつも読んでます!」って言われた。

   もう、 死 ん で も い い (まだ死ぬな)。

   ……とりあえずお弁当の仕込みして寝よう。

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