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2009年7月25日 (土)

盆ダンシング!

   行って参りました、盆踊り練習会。今年の地域の盆踊り大会で、なにか仕事を受け持ってと言われて当番の種類を見たら、前日の会場設営や当日接待などに混じって「踊り手」って。
   「あのぉ、踊り手ってどんなしごとなんでしょう?」と手を挙げてみると、役員さんぱっと顔を輝かせて、
   「やっていただける!? 当日輪に加わって踊っていただくだけでいいですから! 場を華やかにするために!」
   「踊るだけでいいんですか? この辺の踊りは踊れませんけど」仙台のなんとか踊りもとうとういい加減だったよなあ。
   「練習会がありますから! 大丈夫! 疲れたら休んでいただいていいんですよ!」
   「わたし着物着られませんけど」
   盆踊りの、ご町内から出る踊り手のおばさまたちって、揃いの浴衣じゃないですか。たぶん、だれかが着せてくれるんだろうと思ったら……。
   「ええもう、洋服でもいいんですから!」おいおいそれはどうよ。揃いの浴衣ないんかい!?
   「じゃーわたしそれやります。盆踊り好きなんで」
   「ありがとうございますっ!」

   というわけで、ただ踊るだけで地区の役員さんに恩を売れるならナンボでも踊りましょう、首都圏に来たからには東京音頭踊れないと恥ずかしいし、と、指折り数えて(練習場所の地区の会館の場所を教えていただいて)、待った今日の練習日!

   結構お集まりでした。大きい大きいおねえさんばっかりでした(当然!)。いえ、若奥さんみたいな方もちらほら。
   既に浴衣をお召しの方も7,8人ほど。あら、中学生ぐらいのお嬢さんも。可愛い。
   役員さんから当日の進行について説明があった後、練習開始。
   「炭坑節から」
   これは何となくやった覚えがあります。掘って、掘って、担いで、担いで、下がって、下がって、トロッコトロッコ開いてちょちょんがちょん……でしたかね。
   やってるうちに思い出して、ご機嫌で一曲終わった後に、次の曲のイントロはなにやら聞き覚えが。
   「ズン、ズン、ズン、ズンドコ♪」キッヨッシッ! 
   きよしのズンドコ節じゃないですか。これでまた1回炭坑節を踊って、演歌ならなんでも踊れるのかなと思ってると、次のイントロはさらにスピードアップ♪
   「かわっちーうーまっれーえぇえのっ♪」河内おとこ節ですよ。
   ちょっとこれは早すぎるんじゃないかなーと思ってると、大きい大きいおねえさんたち踊ります。ニュー・ウエィヴ炭坑節です。パワフルです。やばい! 付いていけない!
   そんなバカな! こちとらつい2ヶ月前までカルミナ・ブラーナの2拍子と3拍子の混じったムチャクチャな拍子にも食いついていったんですよ? ジャパニーズ・フォークソングの裏拍にビートの効いてないタゴサク4拍子なんかに乗り切れないなんてことがあっていいもんですかっ!
   こちとらマイケル・ジャクソンは高校時代、大学入った頃に「フラッシュ・ダンス」の世代です。ジュリアナには行ったことないけど、新人類は意外と踊りが下手なんて言われたら恥ですッ!
   乗りました。見事に乗って見せました。……疲れたよう。

   「疲れたでしょう」なんて、前後で踊ってた方が声を掛けてくださって。
   「スリッパだから疲れるのよ」
   「盆踊りは後ろに下がる動きがあるからスリッパは大変なのよねー」
   「かえって脱いじゃって靴下の方がいいのよ」
   なるほど、皆さん靴下はだしになってるのはそういう意味だったんですねえ。
   いえ、わたし、ベタ足なんでスリッパもう汗で密着しちゃってその辺は大丈夫なんですけどね。公共の施設に行ってスリッパに履き替えるときは靴下を履いていきましょう。失礼しました。この季節は下駄なもので。やっぱりタビックス履いてけば良かった。

   さらにご当地の「麻生まち唄」と「川崎おどり」をやって、休憩して、最後に「麻生まち唄」と「川崎おどり」を復習して解散。
   この「川崎おどり」が「歌は都はるみですからね、上手いわよ」って、先生が仰るとおり、パンチの効いたはるみ節。うわーすごー。「踊りが好きなら寄っといで」って、好き好き!
   楽しく踊り狂いました。
   夜会巻きの奥様に、
   「あなたとっても楽しそうに踊ってらしたわね」なんて肩を叩かれて。本番が楽しみなんですが。

   嗚呼、しかし雨女

   「盆踊りなんか、全然楽しみじゃないんだからねッ!」

   中島みゆきの「明日天気になあれ」でも聞きながら浴衣を探しましょう。
   ユーチューブには、炭坑節と東京音頭をお稽古するための動画がちゃんと上がってました(ご当地2曲はなし)。さすが。これで当日までには完璧ね。

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しょくぱんまん様

しょくぱんまん様
行きつけのパン屋さん、この前の連休お客さん来なくってやけになって作ってみたって。

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変えないで

   旦那様のごひいきのケーキ屋さん、この夏からクール・デザートのカップを変えたみたいです。色鮮やかなジュレ(最近はゼリーもおフランス読み)やプリンや杏仁豆腐(我が家ではこれが目的!)が、かわいい4本の足つきカップでおしゃれ~に涼味をそそります……?

   「これは上げ底になっている。実質値上げだ」
   旦那様ったら。
   わたくしは早い時期からご辞退申し上げている(いつもは旦那様と虎美の分だけ買ってる)ので、そんな、総量なんて覚えてないですよ。
   「このご時世、そう言うこともあるやも知れません」

   で、先週の旦那様のお誕生日、うちでゴロゴロしていておかずを少しがんばったかわりになにも買いにいけなかったので(あまつさえ、旦那様は「なんにも用意してないと寂しいから」と言ってご自分でおつまみをいろいろ調達された!)、今日発売のコミック新刊をいろいろ調達に出たついでに(ついでかい!?)、また杏仁豆腐を買い求めましたのよ。

   「ねーカップが新しくなったけど、うちの、ここの杏仁豆腐が大好きなひとが、上げ底になって中身が減ったって泣いてたんだけどどう?」
   「そんな! 同じ量お入れしてますよぉ~」
   「申し訳ありません、昨今はいろいろ厳しくてそういう感じになってしまいました」とは死んでも言うわけがないのでした。
   「好きな人は細かいのよぉ~じゃあ気のせいね、ホホホ」と帰ってきましたが、バスに乗ったところでよろめいて転んで、杏仁豆腐の上に流してあるジュレを零してしまったらしいと家に着いて、虎美が食べようと箱を開けた時まで気づかなかったんですが(いつもなら虎美はうちに帰り着くとすぐチェックするのだが、漫画の方に気を取られたらしい)、鷹揚な旦那様は本体の杏仁豆腐が無事だったということで不問に付してくださいました。

   たぶん、今まではちゃんと丸い底面で箱に置かれて安定してたのが、足つきになったら(それも華奢なやつ4本だ!)、安定が悪くなって、転がりやすくなったんだと思うんですよね。実は前にも傾けちゃって、転がらないまでも上のジュレが半分になってたことがあったんですけど(それで家に着いたら確認する癖が付いた)、まるっきり横倒しになってジュレが流れ尽くしたのは今日が始めてでした(思いっきり転んで手をついちゃってたからなあ)。

   いろいろあるのかも知れませんが、ダッキーダックさん、カップを元に戻してちょうだいよ。

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2009年7月22日 (水)

おやまきらい

   しつこく2ちゃんねるに貼り付いてトムラウシ山遭難事件の情報を集めているおかあさんです。まあ、話題はいい加減ループに入ってきて、「山をなめるな」というのと、さらには「商業化されたツアー登山に警鐘を鳴らせ」、具体的にはこの会社はもともとやばい会社、という情報まで出てたり。あとは、中高年登山を問題視するあまり特定の年齢層をやけにつるし上げてみたり。よいことよいおかあさんは深入りせず話半分に聞いておきましょう。

   あまりにもお気軽に山に登ってきて困るという話から、自分の武勇伝の披露がときどきあって、こんな薄着であんなところに行っちゃった、怒られちゃった、死にかけちゃったという話も。また、逆にこんな軽装の登山客(ハイヒールの女性というものが多い)見たよ、信じられない、という目撃談も。あとは、やや話題から逸れてますが、バイクに乗る人、貧乏旅行が趣味の人の、この季節のどこにどのレヴェルの薄着でトライしたことがある、あれはきつかった、云々。こういうのは黙って読んでると面白いです。

   じゃあ、おかあさんの武勇伝(?)こんなところにこんな格好で行っちゃったという昔話。

   東京から金沢に帰るルートは、学生時代いろいろ開拓したかなあ。
   お金があるときは、父がチケットを取ってくれて、その頃はスカイメイトという学割があったので学生はやや割引になりましたし、羽田から小松へ。片道1万円ぐらい。小松ヘは父が迎えにきてくれてて、もう箱入り。
   乗り換えがメンドクサイからあんまり使わなかったルートは、当時田舎のバスほどの本数しかなかった(1時間に3本!)上越新幹線で、長岡まで行って、あとは接続の在来線特急。
   一番よく使ったのは、上野から出る金沢止まりの特急白山。6時間半もかかりますけど、今はもうない例のアプト式の横川~軽井沢間から長野に入るルートで、さらに黒姫、妙高高原と新潟に抜け、北陸線に入ってから海に添って南下するという中山道ルートでした。一度乗ってしまえばあとは本でも読んでお昼寝して、気楽な道中でした。長野行き新幹線ができたらもうなくなっちゃいましたけどね。
   就職してお金がなくなると、急行能登。上と同じルートを、夜に走ります。寝台じゃなくって、ふつうのボックスシートに坐って、若さに任せて寝ていきました。

   って、JRを使ってるからにはたいした変わりはないんですが。あと、東海道回りで米原から福井経由ってのもありますね、ルートとしては。

   実は、もうひとつルートはあります。前置き長っ!

   

中央線から大糸線経由。糸魚川に出て、あとは北陸線で以下同文。かつての「塩の道」だそうです。

   父からは「こういうのもあるんだよ~まいちゃんも試してみたらどうかな」なんて言われてて、学生時代はうっかり忘れてて、就職してからのある年の夏の帰省で、気まぐれで乗ってみました。時刻表の見方にも慣れたしね。もう自分で稼いでる大人だし、ある程度のトラブルには自分で対処……って。

   新宿から、「わー『8時丁度のあずさ2号』だ(昔そう言う歌があったんです)」なんてうきうきしながら急行に乗って。乗る前からなんだか回りに山男さん多いなって思ってたんですけどね、まいちゃんもう少し地図見てから乗れば良かったですね。松本から向こうはアルプスですね。槍とか穂高とかアタックする人が乗る電車だったんですね。
   ……どんどんなんだか車内が冷えていって、回りはホントに大きなリュックの山男さんたちばっかりになって、それもいなくなって、がらんとした車中で、ひらひらのスーツ姿で震えてました。網棚の新聞紙もう外聞もはばからず拾ってお腹に巻きました!
   鉄道路線図には標高書いてないですから! こんなに寒いところに行くと思ってなかったんです!(普通に考えれば解るだろう!)だって軽井沢とか妙高とかそんなに寒くなかった!(白山は特急なのでエアコン効いてたんです!)
   それも、白山ばっかり乗ってたから気がつかなかったんですが、そのころもうJRは分割民営化してたかな? 分割してなくっても、網の目のように繋がってるように見えても切りのいいところで○○車掌区はここまで、とかいって引き渡しをするんですよね。このルートも、お山を越えて金沢まで連れてってくれるんじゃなくて、南小谷という駅で終点、そこから先は、新潟側からお迎えに来た電車に乗り換えて糸魚川に出るんだったんです! 
   お昼過ぎにその南小谷に到着、まいちゃん@ひらひらスーツサンダル履きは小雨にけぶる白馬山麓に放り出されてしまったのでした。

   

寒かったよう。

   接続の電車までは30分ばかりあったでしょうかね。

   ちょっと先にラーメン屋さんを見つけ、なんとかひと心地つきましたけど。
   そういえば、新婚旅行で雨に降られた洞爺湖畔で食べたのもラーメンだったなあ。

   旅先の雨にラーメンはよく似合う……。そういえば御柱見に行ったときも豪雨だったよ(雨女! あめおんな!) 。

   なんとかお迎えの接続電車に乗れ、山を下りるとそれはもう日本海側の夏、ごうごうと熱風が吹き付けてあったまり、糸魚川からは勝手知ったる北陸線、日本海を右手に見つめながらとろとろとお昼寝しつつ家路をたどったのでありました。
   糸魚川ではちゃんと翡翠をおみやげに買いましたし。話のネタができたからまあいい経験だったんですけどね。

   

やっぱりお山はイヤッ!(自業自得)

   寒いし、お天気悪かったし。どこへ連れてかれるかわかんない漠然とした不安は堪らないものがありました。雨女だからこう思うのかしら。

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日蝕見ましたか……KY親娘篇

   今日はカウンセリングで学校へ。やばい、3,4分遅れたぜと思いつつカウンセリング・ルームに駆け込むと「え~? 部活があるからその時間は」とか言ってた娘が既に席に着いてたりしてもうおかあさん恥ずかしい!

   で、優しい感じのおばあちゃま先生といろいろ経過など話していると、校内放送。
   「ただいま校舎の真上に日蝕で三日月型になった太陽がでています! 皆さん見てみましょう」って。太陽は直接見ちゃだめなんじゃなかったのかなとか思ってると、
   「うわー日蝕ーーーーっ!」と歓声を上げながら廊下を駆け抜ける声が。うちの子もこれぐらい無邪気だと良かったのに。
   「日蝕、ご覧になりませんか?」とカウンセラーの先生が水を向けても、
   「興味ありません」と虎美。あちゃーはっきり言うわこのコ。と肝を冷やしていると、
   「お母様は?」と先生がにこやかにこっちへ。
   「NHKがきっとニュースの時間に早送りで見せてくれると思うんで」と、ドライなのは親譲りってか。カイキじゃないけど若い頃いっぺん三日月状態までは見た覚えがあるんだな。もっと天気が良かったときに。今は、なんだか来る途中小雨がぱらついてたから無駄だと思うし、だって、カウンセラーに来てるんでしょ、時間がもったいない。

   てなことをいろいろ考えての答えだったんですけどね。
   「まあ、そうなの」と仰って、話はまた虎美の心の問題へ入っていったのですが。

   帰ってきてふと考えるに、先生ご自身が見たかったんじゃ? わたしどもはまだ人生半分以上残ってますけど(日本女性の平均寿命また延びたらしゅうございますね)、先生はせいぜいあと20年(まあ、それでも結構あるなあ。いや、とりあえずハレー彗星をもう一度は無理だろう)だし。悪いコトしちゃったなあ、この辺が空気読めない親娘と思われたかしら。空気読めないはともかく、あんまり雰囲気に負けないいやなマイペース家族であることは容易に知れたことでしょう。参った参った。

   でも、夕刊にちゃんと指輪のようになった黒い太陽の写真載ってましたから。変に目を痛めるよりはこれでいいかなと。

   しかし、歴史物なんかでときどきある、日蝕で空一面闇に閉ざされ、恐ろしい風が吹いてきて、集まった敵は思わぬ天変地異にパニックに陥る、味方は天文を知る軍師かなんかのおかげであらかじめ眼を閉じていたので心を乱さず、その機を逃さず攻め立てた……なんてのは、すごい偶然でもなければあり得ない気がしてきました。今までいろいろ日蝕とかあったけど、見事に晴れててそれをちゃんと拝めたことってない気がします。2,3年前の夏休み終盤の月蝕も、曇っちゃって観察どころじゃなくて、空気読め! とかここに書いた気がするし。

   ちゃんと見られた方いらっしゃいますか? どうでした? 人生観変わりました?

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2009年7月19日 (日)

人の心は変わるもの

   あれですな、「愛」の人直江兼継君のウリは有名人にケンカを売って生き残ったところにありますな。天下人寸前の家康をおちょくり倒した直江状も有名ですが、伊達政宗に対して切った啖呵が「あんたのことなんて、日頃、退却する後ろ姿しか見たことないから」って、かっこよすぎる。

   ご主君の上杉君まで、幕府が開かれてみんな江戸城に集まる時分には、「おい、あれが大御所と唯一カンカ(干戈が一発変換できないATOKはオバカ仕様と言うことでよいですか?)を交えた生き残り大名の上杉どのだ」といって、もうはや飼い犬と化した戦国大名のジュニアたちが入れ替わり立ち替わり覗きに来るもんだから、控え室で手前のまわりに屏風を立てることを許されたとか。

   10年ひと昔っていうけど、江戸時代の初期でさえ、戦国大名のジュニアというご身分でさえ、平和になったらもう手前と同じ大名を見せ物扱いに、珍しいから一目見てみたいとか思って臆面もなく行動できるようになるんですねえ。いやしくも大名の当主なら、人を立てて茶会に呼ぶなりしてお話を一度伺ってみたいとか言ってみろ。江戸城の待合室(家格によって別れてたそうです。上級は何とかの間、雑魚になると廊下)を覗きに行くなんて、相手の迷惑を考えろ

   この前、いつも覗きに行ってる投稿サイトで、東南アジアのナントカ言う詩人の詩だといって、
   「昔の日本人はコーケツだった、いやな軍人もいたはいたけど、だいたいの日本人は、われわれのことも同胞だと思って一緒に考えて一緒に働いてくれた。それなのに、お金持ちになった日本人は我々を貧乏で遅れた国と言って見下すようになった。いつの間に日本人はこうなってしまったのだろう
   というような日本を憂えたものが上がっていたのですが(まあ、本当にそういう詩人がいてそう言う詩が実在するか、眉唾といえば眉唾)。
   意外や、「何様?」「そんなことおまえに言われたくない」「こういうことを書いて世論を動かそうとする人いるよね」というコメントが大勢を占めていて、ええ、ここでもそういう反応なの? とちょっと意外に思ったんですけど。素直に反省しようよ。とりあえず昔の日本人は偉かったと思ってくれてたことを嬉しく思うとかさ。

   江戸時代でさえ、平和になったらふぬけになるんだから、日本人が変わったというなら、それも時代の趨勢なのかと。ま、それはそれで別方向に才能を発揮するひとが出てきたりもしてるのかもだけど……「売り家と唐様で書く3代目」状態? どうなるんでしょうねえ、まったく。

   

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