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2009年6月27日 (土)

スタンプ帳のたのしみ

   雨女 その濯がれし翌朝の
          スカイ・ブルーをせめて土産に          舞音

   今日、ちょっとした検査で診療所によびだされてたのに、手帳も文庫本も忘れていって、しょうがなくショルダーバッグを漁ってたら、入れっぱなしのスタンプ帳を発見。
   最初は新幹線の那須塩原駅のスタンプで、ああ、いつかのゴールデン・ウィークに勇んで行ったら大雨でなんにもできなかったなあということを思い出して。
   日付ぐらい入れておけば良かった。

   ソの、ススがれし、ソの朝の、サファイア・ブルーの、ソらを……と、サ行の音で揃えようかと思ったけど、一泊旅行、行きは雨で大変だったけど、帰る日になって晴れ渡った、という恨めし感を出すには「翌朝」の方が良かったかと。サ行の音で始まる青い色って、「サファイア・ブルー」が先に出たんだけど、あれはもっと濃い青だし、スカイ・ブルーだとあとで「空」という言葉を補わなくてすむのでこちらに。
   イヤホント、翌朝は凄い晴れたんだ。悔しかった。
   那須といったらそれしか覚えてないです。

   結構コドモコドモしてるので、スタンプはあると押しちゃいますね。駅とか、ホテルとか、博物館とか。このスタンプ帳を買う前は、その年その年の手帳に嬉々として押してたりして。ただ、ファンケルの「花の手帳」は細身だから、一般的なサイズのスタンプは脇が切れちゃうことがあってね。やっぱり、ちゃんとした「スタンプ帳」の方がいいかなって、キオスクで買ったんでした。

   その後は、早乙女おじいちゃんに連れてっていただいた神田時代の交通博物館とかが続いて、その後しばらく物置に放り出されていて間が空いて。引っ越しの時に見つけて持ち歩くことにして、一昨年の春西武ドームに行ったとき、丁度春のスタンプラリーをやっていたケロロ軍曹のスタンプをしっかり押してきたりとか、去年のスリランカ展の東博のスタンプとか、のらくろ記念館のとか、お正月の帰省の時の金沢駅とか、毎年恒例粟津温泉H旅館とか、行き先の傾向がばらばらなスタンプ帳になってます。

   行く先々でスタンプだけじゃなく歌も詠んで記念にしてればいいのにって、さすがにそこまで雅びじゃないんだ。いや、今後心がければいいのか?

   

おとなのスタンプラリーとしては、各お寺では、とくに何十何カ所というセットで有名なお寺でなくても、御朱印だっけ、拝観記念に一筆書いていただけるそうです。スタンプじゃないんだ、ニクヒツ。うちの母が地味にやってるらしいです。でもこれ、本来写経を納めた証らしいんで、拝観だけってのはちょっとズルかな。というわけで、わたしが持ち歩いてるようなふつうのスタンプ帳に、ケロロ軍曹の隣に、って訳にはいかないそうです。それなりの、御朱印帳ってのが売ってて(キューキョドウとか、そういう高級文具店かな?)、そこに書いていただくんだって。拝観料プラスアルファ(ちょっとググったサイトでは三〇〇円とか)ぐらいで。
   われもわれもとなると、ニクヒツだけに大変なことになりかねないので、解ってる参拝客だけへのサーヴィス。御朱印帳を出して、「御朱印をお願いします」と言ったひとだけね。なくても、シートに一枚書いてくれる場合もあったり、一ページめにソコのを入れてシンプルな新しいの一冊くれたりとか、お寺さんによっていろいろらしいです。お坊様がその御朱印帳を持って下がって、したためてくだすって、墨の乾くのを待って、戻ってこられる、それを待つ間、そのお寺のたたずまいを楽しむ。なんかいい習慣ですね。

   わたしはまだそこまで行ってないので、たまに知らない駅に降りたらそこのスタンプを押してくるぐらいの楽しみにしています。
   新横浜や小田原にはないのかしら?

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2009年6月25日 (木)

恐れを知らない発言

   夜遅くTVを付けたままにして、旦那様は食後で新聞を朝刊・夕刊じっくりと読んでいて、わたくしはPCで小説読んでたりして。
   「さっきから同じようなCMが良くかかりますね。時代はご清潔なのに地球温暖化で汗臭くなって、汗対策グッズがいろいろ売れること」と、ギャッツビーのCMに眼をやって。
   また何分かするとまた同じ曲がかかって。
   「何ヴァージョンかあるんですね。さっきは歌を歌ってた」
   「ああ……」と旦那様も上の空。
   「ああ、身体拭いてるんだこれ」
   「ん~」
   さらに数分後(ホントに延々かかるんですよこのCM!)
   「もしかして、これは木村拓哉ですか?」
   「! ……そうです」
   旦那様、今そこで地味に笑ったでしょう!?
   「いいもん、おかあさん3次元の男に興味ないもん!」
   そこで朝ドラの中村梅雀じゃないので旦那様はあからさまに悲鳴を上げたりはしなかったのですが(あの朝ドラの婿養子のパパはひどい! 毎朝うんざりします。愛がなくて結婚したとか朝から連呼するなーっ! 下手なラヴシーンよりうちじゃあ空気が凍ります!)。
   せめて「芸能人に興味はない」ぐらいにしておけば良かったかな?

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2009年6月24日 (水)

PTA行事に行ってみよう

   ええと、本年度もちょっとした委員会の委員長を拝命したおかあさんですが、毎月のその委員長会議にこないだ出ましたら、ナントカ委員会の委員長さんが、今月開催のケーモーギョージへの参加が少ないと愚痴っておられました。
   予算はこれだけ貰っておっても、イマドキ平日うちにいて、そういう行事に参加できる主婦なんぞそうおらんということで、近隣小学校のご父兄も、今後お付き合いをするからということでお誘いしておるが、全然会場のキャパに満たない、中学校側からの参加者は無理矢理数を揃えるために出席させられたこの委員会の委員が9割である云々。
   こちらの委員会の方でのケーモー行事も秋に控えておって、それについても同様のことを前任の委員長さんから引き継いでおったので、同病相憐れむ、合同にして行事もリストラしたらどうかいと思っても、それがまた猫ちゃんの首に鈴、だれがそんな偉業実際やりたいものか。わたしもいやですぅ。
   とりあえずどんなしょうもない企画かと思って聞いてみたら、近年この近くにできた川崎市のアートセンターとやらのシネマサロンで、ちょっとしたおしゃれ映画を見るというもの。そう言えば去年も似たようなもんだったかな。最近は豹太も学校からの案内をとんと親に見せなくなって、気がついたらこの手の行事は参加締め切りが過ぎていて参加できなかったんですよね、毎年。
   それで、今年の映画は「『マリア・カラスの真実』を予定しています。当委員会で補助を出して、1500円のところ500円で観覧いただいて、お茶もペットボトル各1本お出しする予定です」待てーーーーッ!
   会議が終わるなりその委員長席に駆け寄って、
   「いつ!? まだ間に合う!?」
   ということで、早乙女委員長駆け込み参加と相成りました。

   で、今日、行ってきましたよ。
   いっぺん行ってみたかったんだ。きれいな建物で、中には定員100名ちょっとのいい映画ホールやコンサートホールが入っている文化っぽい建物のようです。上映演目は回覧板や区の公報なんかで公開してるんですが、あいにく今そういう余裕なくってね。とりあえず、今月は音楽映画特集みたいで、「サウンド・オブ・ミュージック」やら、「カルメン」やらをそれぞれそれなりのお値段で上映してるみたい。
   ホールの内部は、最後列は車椅子使用を意識してか席の間を広く取ってあって。この前のすみだトリフォニーホールといい、イマドキの公共の施設はみんなバリアフリー対応です。それ以外の席もゆったりとしていて、両肘を肘掛けにかけても脇が空きます。肘掛けにはペットボトルを置けるへこみがついていて、今日貰ったお茶がちゃんと置けました。前の座席との隙間も広く、あの、映画館やコンサートホールで席に着くときのイヤーなあれ、ひとの膝に脚が触れるちょっとすみませんここを通してというあれがないのです!
   これはすばらしい。
   映像や音響については、たぶんいいんだろうなとしか思いませんでしたけど(鈍い)。

   映画の内容は、……「世界ふしぎ発見」でやるようなネタかな? マリア・カラスの一代記を、彼女の作品のフィルムやレコード、舞台衣装なんかでたどったもの。きれいでした。あと、少女時代が満たされなかったとかいって「過食症のプリマドンナ」とか言われてたのには、なんかダイアナ元妃とか思い出して、女の子は愛情を掛けて育てないと思春期が悲惨か? とか思っちゃいました。絶頂期を過ぎた辺りでオナシスとの恋にはまり、全てを捨てて飛び込むはずがオッサン既に次の女に心を移してたってのが悲惨で。そんで、次の女ってのがジャクリーン・ケネディなんだからなあ……その辺は、昔森瑤子「美女たちの神話」を読んでたのがよかったかな。自殺未遂を図ったとかいろいろその後を知ると、オッサン(オナシス)地獄に堕ちろとか思ってしまいました。
   とくに高慢であったとか、節制を怠ったとかは挙げられていなかったのに、なんであんなに失墜が早かったのか疑問に思いました。やっぱり恋に溺れた時期にレッスンさぼったんでしょうか。努力ってのはあれですね、寂しがりやなんですね。いつも側にいてやらないとすぐ裏切る。
   あまりにも有名で印象的であったために、死後持ち物はオークションに掛けられ散逸し、記念館とかそういうのが一切残ってないとか描かれると、本当に見事な散りっぷりとか思いました。
   かんじんの歌声は、さすがにスゴかった。晩年の「復活ツアーは葬式ツアーとなった」という語りは、あまりにも衰えていたのでこれを聞いて皆見放したというような意味でしょうが、それを聴いてもたいしてヒドイと思わなかったぐらいですから。全盛期はきっともっと凄かったんでしょうねえ。

   べつに、おうちの散らかったリヴィングで娘とあれこれ蘊蓄を傾けつつ見てもいい内容でしたけど、「映画は映画館で!」という向きにはいい機会だったんじゃないかしら。

   とくにうるさい「ここで皆さん自己紹介して仲良くなりましょう」というようなこともなく、ただ粛々と集まって会費払ってお茶貰って映画見てそのまま解散で。かえって気が楽だったかな。悪くない企画でした。パート休んでまで出るほどのことはないけどさ。

   だからみんな、PTA行事に参加しようよ。

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2009年6月21日 (日)

対句を作ってみよう

   和歌というと昔は長歌というのがあって。
   日本人の軽薄短小志向ってのは奈良までさかのぼれるらしく、これは万葉集のあと、古今までかろうじて残ってたのかな? そのあとは絶滅、コゴシュゴシュキンシセンシン(八代集の覚え方、順に古今、後撰、拾遺、後拾遺、金葉、詞花、千載、新古今)と和歌と言ったら五,七,五,七,七の短歌の時代になります。

   古今東西の詩の技巧に対句というのがあって、これは解りやすい。なんでも対称形は美しいという感覚です。タージマハルの美しさの基本はこれだ。ヴェルサイユ宮殿のお庭もそんなカンジ、民族・宗教を超えてご理解いただけるらしいんですが、日本人はこの感覚が若干薄いらしいですな。うちの中世(日本文学の担当)の先生が言ってました。いわく、漢文をものしておった時代には生きていたのに、その後、さっぱりと和歌の表現技巧としては廃れてしまって、以後出てこないと。いやそんな、平家物語のイントロは対句山盛りじゃん。廃れてない! 廃れてない!

   そりゃ先生、日本人が対称美を理解しないんじゃなくて、三十一文字の限られた字数の中で同じようなこと二つ揃えてる余裕がないんでしょう。対句が消えるのと、前述の、長歌の消えるのと、タイミングはほぼ一緒です。それで、その比較的長さの自由な万葉朝の長歌において、対句をやってるかっていうと、ちゃんとやってます。

   長歌っていうと、教科書で紹介されるのはまず山部赤人(やまべのあかひと)のこれでしょ。暗唱させられました。

   天地の 分かれし時ゆ 神さびて高く貴き

   駿河なる 布士の高嶺を 天の原 振りさけ見れば

   渡る日の 影も隠らひ 照る月の 光も見えず 

   白雲も い行きはばかり 時じくそ 雪は降りける

   語り継ぎ 言ひ継ぎ行かむ 不尽の高嶺は       (万葉集 317)

   見事に対句で進んでます。で、結局最後の「富士山のすばらしさを語り継いでいこう」(ここんとこも「語り継ぎ、言い継ぎ」が小さく対句だ)がオチなワケで。そういえば、長歌には最後その内容を要約・補足する短歌を付けるのがお作法だったとか習ったような気がしますが。反歌っていうやつやね。

   田子の浦ゆ打ち出て見れば真白にぞ
          富士の高嶺に雪は降りける  
                                      (万葉集 318)

   これこれ。新古今調にアレンジしたやつが百人一首にも採られてますね。
   いろいろ作ってくうちに結局じゃーこの反歌だけでいいじゃん、となって長歌は廃れたんだと思いますね。連歌も結局最初の発句だけになっちゃったし。日本人ってホント削っていくのね。

   そんで、対句が嫌いかというと、そうでもない。
   漢詩が流行りまくった奈良朝から平安初期、フルに韻を揃えて漢詩をモノするのとは別に、対句だけ作って楽しむゲームも流行ったらしいです。五言とか、七言とかで対句の片っぽが出題されて、それにふさわしいもう一句を考えて付けるの。これは、気軽にできる知的遊戯だったんじゃないですかね。なんで見たんだっけかな? カイフーソー?(「懐風藻」奈良時代に編まれた日本の漢詩集)

   さて、学生時代の、地下鉄の駅に張り出されていたポスター。当時から、いいちこは雰囲気のある広告を出してました。真っ青な空に、そのお酒の瓶をちょっと配して。

   「碧 海 青 空 夜 々 心」というコピーを白いシンプルな字体で。読みは「へきかいせいくうよよのこころ」でいいですかね?

   季節は夏だったかも知れません。

   丁度、中国文学史なんかやっていて。四六駢儷体(その昔流行った対句中心の華麗な文体)とか、習ったところだったまいちゃん@女子大生は思った!

   「これは対句にしなきゃ据わりが悪いだろ!」

   さて、頭をひねった!
   季節は夏、海に空とくれば、対になるのは白い砂浜。けれどもう一つ白いものはなんだろう……? ああ、今となってはヨットの帆なんてのも浮かびましたが。碧、青と来たからには白に近い色をもう一つ配するべきだけど、どうにも浮かばなくって。

   「白砂片雲日々歓」 はくさへんうんひびのたのしみ

   で、どーだッ!?

   もとが海→空なのでちゃんと砂浜→ちぎれ雲とやってみたのですが、最後の一字、心に対応するものを敢えて変えてみたのが苦心のあと。ホントの対句は文法的なところまでまったく揃えるものみたいですけどね。踊り字のところはどうするのがお作法かも、ちょっと調べてないですけど。まあ、通学の車中の頭の体操ですから。

   夏休みが近づいて、海を感じさせるコマーシャルが増えるとしみじみ思い出すのであります。それで、この句には典拠などあるのでしょうか? 正しかるべきペアの相手がいるのでしょうか? もしご存じでしたら、ご教授賜りたくここに恥をさらしてみたわけです。って、なんでも答えがあると思ってるところが共通一次世代の弱点とか言われそうだな。

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