« 2009年6月7日 - 2009年6月13日 | トップページ | 2009年6月21日 - 2009年6月27日 »

2009年6月17日 (水)

彼のいない日々

   

冷蔵庫の中が片付かない

      (牛乳、カニかまぼこが全然減ってない)

   もちろん御飯も残ってる。

   夜が静か。

   朝も静か(お兄ちゃんがいないと虎ちゃんも学校に行かない! しっかりしろ!)

   今日、豹太が修学旅行から帰ってきました。
   月曜の夕方、
   (お兄ちゃんの塾に行く前の腹ごしらえ用のパンをなんか調達しないと……)とパン屋の棚をぼんやり見ていて、
   「お兄ちゃん今日ちゃんと出発されました?」と店長さん(上の息子さんが駅向こうの中学で同学年、そっちも来週修学旅行だって)に聞かれるまで、彼が修学旅行に行ってること忘れてたのは内緒!

   ゴキゲンで帰ってきました。
   「暴れん坊大仏の写真撮った!」とか、修学旅行の小中生をあてこんだご当地スナックやら冗談系お土産とかの写真ばっかり撮ってきて、デジカメだからすぐ披露して。
   今週いっぱいは休養で学校休みと聞いて旦那は「納得いかん!」と言ってましたけど、明日から早速遊びに出るそうです。

   元気で帰ってきて本当に良かった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月16日 (火)

華麗に復活!

   というわけで、取り乱してしまいましたが、土曜をつぶして旦那様が必死のサルヴェイジ作業を行ってくださった結果、なんとかデータは無事残ってました。小説サイトの更新も、今週末までにはできそう。
   「脳だけはかろうじて残っていたが、内臓、心臓や腎臓はみな死んでいたようなものなんですよっ!」と状況を説明するのを横から聞いていて、
   「『武装錬金』のドクター・アレキサンドリアだね!」という娘をどうしたらいいのでしょう?

   「えーっ、おかあさんの○○の小説のシリーズもう読めないの? あれほんとうに面白かったのに!」と言ってくれたのは結構傷心を慰められたのですが。
   「もしかしたら3.5インチフロッピーに入っているかも知れない。最初の頃は自分が小説を書けたということがうれしくていちいち保存していたから」そのうち量産するようになって、そんなことやってる暇がなくなったのだな。
   「それでそのフロッピーはどこ?」
   「さあ?」

   さすがに、10年がかりでこつこつ書きためて500枚ぐらいになってた未公開(未完だから)のマサラ・ファンタジーが消えたと思ったときにはもう言葉も出なかったです。日曜に麓に降りてUSBというものを買ってきて、真っ先にデータを保全しました。ただいま順次公開中のオリジナル小説とかも、消えないうちに隠しておかなくちゃ。

   それで、パソコンが使えなくなっても、原稿用紙を引っ張り出してきてその時浮かんできていた小説を書き留めたりしていて、やっぱりまだまだ書くことが好きなんだなあとしみじみ思い返していたのでした。

   でもまあ、やっぱり油断があったわね。
   ネットにはまる前の手帳をなんとか発掘、その頃はまだパソコン通信をやっていて、パスワードはちゃんと手帳に手で書いて管理していました(その頃からパスワード変えてない!)。これで最低限ブログの更新はできると胸をなで下ろしてたりして。ニフティが丁度認証方法を変えた時期で良かったです。これをおろそかにしていちゃイカンとしみじみし、復旧なったときには小説データより先にパスワードを入れたファイルを開けてまずそれを手で手帳に写しましたです。最近いろいろ緩んできてるから、これも自分に対する警鐘と受け止めることにしました。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2009年6月15日 (月)

歌風をさがして

   腰折れは 転がり続けてゆく我の
        苔に餓(かつ)ゑる存在証明     舞音

   結構頭韻とか気を遣う方なので、

    コしおれは
    コろがり続けてゆく我の
    コけに
    カつゑる存在証明   

   と、カ行の音が並ぶのは意図的なものです。って、これもできたときからあんまりいじってない歌ですね(平成6年の作)。わりと、あまり悩まずに言葉を揃えて作ってます。

   腰折れというのは、毎度申しますが、上の句と下の句の融合が上手くいってないへたっぴな和歌のことです。「転石苔生さず」、これは苔をよいものと捉える東洋的価値観の解釈で。なにかじっくり取り組んでものになる人生、努力というものをわたしは軽んじているようでじつは自分と無縁な尊いものと思っております。

   で。

   後輩に「和歌はもうやらないの」と問われて、
   「今も詠むは詠んでいる」と、こちらでも披露した
      吾子が着ればむさ苦しかるジャージ・スーツも 
          清らに見する乙女の細腰
   をそらんじて見せますと、
   「……まいこさんの歌風じゃないですね」っって。

   おいおい、君の思う舞音風というのはどういう歌風なんだ?

   ちょっと、嬉しかったですけどね。
   たしかに、多分に浪漫的なのを意図的に出してましたから。解ってくれるひともいたのかと。
        夜桜のおぼろの影を焼きつけて 
            散りてのよすがに見むこの白壁

        陽は落ちぬ 照れる真昼に識らざりし 
            香をきく刻(とき)ぞ くちなしは夜

        冴え返る瑠璃の撥もて氷柱を 
            うち鳴らさんや木琴のごと

   四十路を迎えてまだこんな歌風だとちょっと恥ずかしいかな。

   木琴のようにつららを叩いてみたいというのは北国に住んでいたからこそのイメージなんですが、曲はやっぱりグリーグのあの有名なピアノコンチェルトでしょうね。チャーン! チャララン、チャララン……と始まるやつ。これは南の国でのんびり育ったやつの曲じゃないと思いました。

   ピアノはあれで打楽器のうちにはいるので(鍵盤楽器という範疇もありますが)、叩いて出す音が神経に障るときもあります。ヴァイオリンなんて最悪、あれ、引っ掻いて出す音ですもん、黒板に爪が触れたってのと原理は違いませんよ?(弦楽器の好きな方ゴメンなさい)
   どういう楽器がいいかというと、やっぱ、木管が、息の使いとかが声楽に通じるものがあるので好きですね。ああ、この前の「カルミナ・ブラーナ」フルート・ソロよかったぁ(ピピピッ! と高音を短く鳴らされるとそれはそれで神経に障るときもあるだろうけど)。
   じゃあ、フルートを詠んでみると。

   紡がれる吐息のリボンたなびきて
       ホールに広がるフルートのソロ     舞音

   これも、PTAの用事で今朝学校に向かいながらほんの1ブロックで詠んだんだけど、帰ってきてノートに書こうとしたら突っ込みどころが2,3見つかって、今直したところです。
   「紡ぐ」から縁語で「糸」だったんだけど、何度もここで言っているように、新体操のリボンの演技のように、フレーズがふんわりと宙に広がってたなびくイメージがあったので、糸じゃなくリボンに変えたりとか。「風に漂う」って、ホールの中に風が吹くかいって、実際は空調が効いてますから少しは空気の流れもありましょうが、やはりちょっとヘンかなととりあえず「風」は削ってみたりとか。実際作歌にはいってからは1ブロックだけど、「フルートのフレーズが新体操のリボンのようだった」というイメージはここで何度も披露してるようにもとから持っていたので、歌に組み立てるのが素早かったというだけかもしれません。

   まあ、後輩に限らず、こういう傾向の歌を毎号当てにして読んでくださるひとがいたのなら、和歌も続けていくといいかも知れません。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2009年6月14日 (日)

みそひともじの消息

みそひともじの消息
   あじさいの色づきおるにおどろけば 
       暦ははやに水無月なりけり        舞音

   舞音を歌人だと思っているひとはわたしが思ってるより多いみたいで。このまえの合唱団のもりちゃんも、
   「もう和歌はやってないんですか」なんて聞いてきてこっちがびっくり。同窓会報に本名出して投稿してましたからね。まあそういう「私は元気!」という通信欄がわりにしていたので。
   歩き始めて百メートルでまとめるようなのはこんな歌。ただ景物を詠んだだけの万葉のいもねえちゃんレヴェル。もっとイメージを重層的に絡めるとかしないと古今以降の王朝風にはなりません。子規ぐらいならありがたがってくれるかな。

   「おどろく」というのは古文の「ある時点になってはっとある事実に気づく」という「おどろく」なんだけど、現代語の「サプライズ」と同義にとってもらってもいいかなもう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2009年6月7日 - 2009年6月13日 | トップページ | 2009年6月21日 - 2009年6月27日 »