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2009年3月14日 (土)

やめられないとまらない

   久々に来ましたビッグウェイヴ。書いたら書いたで、その話の小ネタとして出したものが、保留中の案件の鍵になる品物の由来にうまく繋がったり、一つ書き終わって感想戦をやっておったら、そして結果的にこのような事態を招くであろう……? じゃあそれ書けば、と妄想の自転車操業。なんでこんなに出てくるやらといった具合。
   それについて調べ物をするのも楽しく、イタリアのいろいろについて調べたり、どんなものにも詳しいひとがいて感心したり、その方式はもう古いからやるなと言われていることをやっぱりやらせて生徒の体を損ねる教官があって呆れたり、楽しい。もう開き直って尽きるまで書いちゃおかな。でも、こういうのにはパターンがあって、子供返り、精神交換、記憶喪失、偽物登場、田舎から親が来た! あとは年中行事などなど。ある程度やり尽くしたらネタはなくなると思うから。ま、いろんなの書いて練習になったと思いましょう。
   おかあさん久し振りにはじけちゃってどうしましょう。さらに野望を持ったり(まだ内緒)。
   とうとう眼がかすんできました。年とはいえ、この3ヶ月は無茶したしなあ……(手の方はもう大丈夫)。
   とりあえず、アルバイトも入ったし、少しペースは落しましょう。更新ももう少し頑張ると言うことで。 

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ドラマ「Q.E.D. 証明終了」パッチワークがお上手

   とうとう終わっちゃいました。ドラマ「Q.E.D. 証明終了」。青少年向けな感じがしてたのでNHK教育で、と書いちゃったんですが、なんと総合でやってたんですね、失敬失敬。……って、あれ、NHK総合でゴールデンタイムにやるような話か!? じゃあどういう話ならいいのかって、ちょっと切り口の面白い時代劇とか、あんまり民放のドラマで取り上げられないような業種の大人の男性が主役のドラマ、必ずしも犯罪や恋愛が主眼でないドラマ、そんなとこでしょうか。
   天才少年が、ガールフレンドのお導きでいろんな人と出会って、その頭脳で推理して皆さんのトラブルを解決する話は、青少年向けにはいいとしても、大人にはどうかなと思って。大人でご覧になっていて楽しかったという方には失礼しました。たとえば、早乙女のおかあさんのような方、TVはもっぱらNHKというお年を召した主婦は、あれを見ても楽しんでいただけたかしら。うちの子は原作をもう教科書のように読み込んでおるので、一緒に見よう! といって一緒に視聴するというかたちはあるかも知れませんが。
   この原作の作品は2回に1回ぐらいのペースで、ひとの死なない話、コージーミステリがありますが、それを細かく楽しく、三谷幸喜の舞台演劇みたいにやってみるかというと、そうでもない(TVでは学園祭の話がそう)。何がやりたかったんだろう? 「探偵ガリレオ」のヒットで、とりあえず理系っぽいミステリの原作押さえとけってだけなコンセプトだと思います。原作ストックはとりあえずガリレオよりあるし。海賊さんの話(「エレファント」)とか、難しい数学の理論が出てくる話もとりあえずやってましたが。もっと深くストーリーに絡んでくるやつは昇華できなかったみたいで。理系ミステリとして取り上げたなら視聴者を置き去りにしたとしてもオイラーのあの公式の見立て殺人(Serial John doe)とかやってみろ! 志が低い!

   というわけで、3月からは見ないようになってしまったんですが。

   最終回と言うから12日は見ました。
   原作でもこれは最終回にふさわしい内容と言われていた「サクラサクラ」が、季節的に来るかなと思ってたんですが、裁判員制度の啓蒙のための模擬裁判に参加する話(「立証責任」)を中心に、いろいろパッチワークになってました。やっぱり、「サクラサクラ」の決めぜりふ、一つ一つではたいした意味はないが全体でみたときにきれい、花見にはそれを求めているというのが使われてたかな。やはり、自分の世界に閉じこもっていてはよくない、未知の世界のひとと触れあって新しいことを自分の身に取り込むことも大切、という原作の根底の概念を、青少年向けドラマという枠にぐっと引き寄せたつくりであったことは否定できないと思います。とりあえず、あの枠のドラマとしては間違ってない方向性であったと。間違っても、ひとが死ぬ事件をパズルのように捉え、きれいに解いてスッキリして終わり、それを期にガールフレンドとの仲が進展したとかしないとかが主眼なドラマではない、というところは外してはいなかったということで。イヤでも最終回、仲は進展しておったな……。

   不満は残るんですが、青春ドラマとしての換骨奪胎をするならする、理系ミステリとしてガリレオに負けない独自ワールドで理系ニッポンの再生に寄与してみたいなら逃げずに取り上げるということで、第2シリーズでのリターンマッチを期待しております。

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2009年3月10日 (火)

メイ曲アルバム 「カルミナ・ブラーナ」 7 Floret, silva nobilis -チャンポンなのは仕様です-

   それでは一番「カルミナ」っぽいところを。

   いろんなCMとかTVのBGMに使用されている冒頭「O Fortuna」とか、大好きな男声合唱の「In taberna」じゃなくてここを持ってくるのはなぜかというと。

   

歌詞がラテン語とドイツ語のチャンポンなんですここ
   全25曲のうち、第1曲のようにラテン語のものもあれば第10曲「イギリスの女王様が」みたいにドイツ語のものもあります、てんじゃなく、この第7曲の中でチャンポンなんですよ!!

   最初、イントロなしぶっつけ本番で「Floret,Floret,Floret, silva nobilis」と華々しく始まってシモヤナギ先生ったら、「爆発するように花咲くんだそうです。我々には解かんないですけどね」なんて仰って。解るよ、東北もそうだもん。桜もこぶしもマンサクもレンギョウも、どっかんどっかん咲いていくんだ……って、東北に15年引っ込んでいたのはわたしだけでした。ちょっと寂しくなったりして。
   ということで、歌詞の意味は「森は見事に花咲き」です。その後Bメロで女声パートがが「花よ、花よ、花よ♪」と繰り返し、そのあと「葉っぱ、葉っぱ、葉っぱ♪」と追っかけます。可愛い。
   ちょっと休憩のあとは、本題。「それで、彼はいったいどこなのよ?」いや知りません。
「彼はどこ? 彼はどこ? 彼はどこ?」春はほら、恋の季節だから。冬の間は、おうちに閉じこめられてるし。中世は基本、逢い引きはお外だし(西洋史概説の山本先生ありがとう! 20年経って役に立ったよ!)春になったらデート! デート! 
   「ああ、彼ね、馬に乗ってどっか行っちゃたよ」と弾むテノールが答えます。いけず! なんてこったい! と「ああ……」と女声の溜め息。
   もういっぺん負けずに同じメロディで「Floret, silva undique」と始まります。あれ、歌詞違うぞ。undique って「そこら中」ですか。やっぱり花咲いてます。ところが、「nah mime gesellen ist」って。いつの間にかドイツ語なんですけど? 

   歌いながら巻き戻して考えます(音楽は4次元の芸術です。時間軸を越えられます)。 floret は 花なんだからラテン語で確かでしょ!? silva だってシルバニア・ファミリーのシルバだから森を表わしてていいはずだ。 ここまではラテン語! でも、nah はたぶん nach として、 gesellen はドイツ語っぽいよ?  ist は (英語における) be 動詞、
ich bin / du bist / es ist の ist だよね? どこからドイツ語に化けたの???

   とやっているうちに曲はどんどん進んで、わたしは曲を見失っておるのでした。

   何回繰り返してもそこで落ちます。考えるな! 感じろ! 

   今は、「チャンポンなのは仕様!」と楽譜の余白に書いて、ここからドイツ語ですと区切れ線まで引いて、頭を切り換えるようにしております。 
   そこから先は、同内容、「彼はどこに行ったのよ?」 「馬に乗って行っちゃったよ」「じゃあ誰があたしのこと愛してくれるのよ?」となって終わり。

   なんでラテン語とドイツ語がチャンポンなのよって、そこがミソです。

   作ったおにいさんたちがバイリンガルなんだな。
   教養はあるんだ。親が頑張って大学行かせてくれたから。でも、仕事がない。真面目に坊さんやるには楽しいことを知りすぎた。今更家には帰れない、どうしよう、適当に楽しく暮らせるし、よくないけどこのままいたい……おとうさんごめんなさい。

   あ、やばい、解りすぎる
   学生の頃やったら解りすぎて大変だったかも(いや、仕事はあった。バブルありがとう)。
   酔っぱらってイイ気持ちになったら、ほとばしる真情は、そんなもんドイツ語もラテン語も一緒くたになって、勢いに任せて表わしちゃおう。それが出てるんじゃないかと。

   ホント困るんですけど、作品世界を良く表わしてると思います。
   そう考えると、前回、第2曲「運命の女神の傷を」で、トロイの王妃ヘクバが出てきたのを「韻を踏むだけに出した」と言っちゃいましたが、彼らは解ってて、そんで、この作品の中は運命の女神とか、愛の女神ヴィーナスとか、トロイにさらわれたスパルタの美女ヘレンとか、ドイツの伝説の美女ブランシュフロールとかそういう異教の(しかも大方は滅びの)美女のイメージに満たされておるので、解ってて滅びる美女の代表として出したのかも知れません。中華文化圏における楊貴妃とか西施とかのノリで。教養人怖いぜ。

   ドイツ語に限らず、バリトンソロの曲には一行おきにラテン語とフランス語で歌ってるところがあって、別にどっちが建前でどっちが本音とかそういう技巧でもなさそうで、ほんと、単にラリッてるのかなと、あんまり自分が歌うパートじゃないから聞き込んでないなりに解釈してますが、どうかな?

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2009年3月 8日 (日)

心の鏡?

   気がついたら、別々なシリーズの作品2本で立て続けに親子関係を偽る話を書いてた。

   そんなに「愛し合う二人に子供が生まれてハッピー♪」という常識にもの申したかったのかと。
   ここはじっくり自分の深層を見つめにゃならんかと背筋がひんやり

   片や、時期的に関係を持ってはいけないひとの子供なので、近親者に父親を引き受けてもらう話、片や、社会的にまともでない稼業のため、生まれた子に不利益をもたらさないように、一度は縁を切る覚悟をした子が、周囲の思惑で舞い戻って、名乗らないまま心ならずも手元で育てるという話。
   両方とも、周りがお目出度い人間ばかりなので、秘密は表面、守られながら実情はずぶずぶに普通以上の親子関係ができあがるというあり得ないハッピーエンド(のつもり)になっておって。
   それだけの強力な親子関係を結局は理想としておるのかと一応安心したりして。

   あと、血のつながりに縛られずに自由に人生を選んで欲しいというモチーフを、もう2本目の方は登場人物にまともに熱く語らせておって、おまえの言いたいことはそこかと書きながら呆れておりました。とくに、最近は娘が読むことが前提なので、力が入ること(しかしそういうのに限って豚娘は読まない)。

   じっさいの我が親戚は、たしかにとんでもねえ、できればお近づきになりたくない人間共であるわけで。旦那様のように、世に認められ、皆の尊敬を集める輝かしい親戚など1人もいないので、まったく。たしかになるたけ話題にしないようにしてきたんですけど、そこまで心の傷になっておったとは、今更ながら驚いてみたりして。

   別に暗い私小説を書いておるわけではないのに(自分の楽しみのために、人様の作品のキャラクターを勝手に動かしておる話なのに!)、自分の内面というのは書いたものに顕れるのであるなとちょっとしみじみしております。

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