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2009年6月29日 (月)

破門皇帝フェデリコ2世の試み

   初期の「花とゆめ」の看板シリーズ「はみだしっこ」(三原順)は、かなり親子関係などに深い考察が見られる台詞があって、往時のちょっと内省的な少女は熱狂したもんでしたが。オトナの都合に振りまわされて深く傷付き、世間から「はみだした」少年達が寄り添って生きるというお話。若くしてデビューした女性の小説家が、その物語世界に深く傾倒し、文学を志すものとしてその珠玉の台詞をノートに書き留めておったとしてもまったく違和感を感じないわたくしでありますが。手前の小説にそのまんま引いちゃまずかろうと。またそれをいちいち解る濃い読者ってのはいるもんだねやっぱり。天網恢々疎にして漏らさずの実例。今はやりの、オマージュのつもりがパクリってことにされちゃったってやつなのかなそれとも。
   この件はおかあさんネットでさらっと読んだだけだから、これ以上のことは語れません。例によって眉唾でどうぞ。公正な情報をお知りになりたければ、目の前の箱をどうか活用なさって。

   さて、その珠玉の台詞の中に、母に捨てられた美少年アンジーの長い独白がありまして。いわく、「昔、どこかの国の王様が実験をした。赤ん坊を集めて、その子に十分乳を与えよ。抱いてやるのも構わぬ。しかし、一言もその子に声を掛けてはならぬ。そうして王は待った。なにも言葉を与えられない人間が、最初に話す言葉は何語なのかと」
   なかなか科学的な王様です。こういう実験、アメリカとかでもやりそうですね。わたしも興味あります。ところが、続く台詞は……忘れちゃった、大意を書くと、
   「母さま、赤ん坊は死んだって。一言の愛情も、ひとたびの笑顔も注がれなかった子供は生きていられなかったんだって」
   重いですね。
   「わたしの天使(アンジュ)」と、都合の良いときだけ優しい声を掛けられて育った彼は、その言葉から「アンジー」と名乗っているのですが、その彼の独白だけに真に迫ってました。

   で、これをわたくしはよくできた創作エピソードだと思っておったわけですが。

   本日別件でちょっとユニークな王様を調べていたら、引っかかりました。ウィキペディアありがとう。
   東西文化の融合する中世シチリアで育って、かなーりイスラム社会にご理解もあって、十字軍派遣しろよと言う教皇に逆らって遅延行為を働いて破門された王様がいたそうです。神聖ローマ皇帝だよ! 中世で、教皇から破門されるって、おまえは人間じゃない宣言だよ! 次の日から、家来は言うこと聞かないんだよ! 死んでもお葬式して貰えないんだよ!
   なかなか骨太な王様であります、フリードリヒ2世。イタリア読みでフェデリコね。1194年生まれってことは鎌倉時代のひとであります。どっちにしても中世だなあ。

   この5カ国語を操りスルタンの使節とアラビア語でアツく語り合ったという王様が、前述の実験をやったそうです。そして、みんなホントに死んじゃったそうです。

   いやそんな、死なねえって。わたしもやったもん。
   豹太が生まれたばかりの時、この子はお上品に育てないと! と思いすぎて、でも、きれいな奥様言葉(美智子様みたいな!)がとっさには出ず、TVに子守させちゃいかんのだったよね、と大学の発達心理かなんかの講義思い出して、ただただ無言で抱っこしておむつ替えておっぱいを与えていました。ベビーカーを押す腕力がないのでおんぶ紐で背負い、後ろ手に脚をぷにぷに握って遊びながらどこへでも歩いていって。
   首が据わるのもお坐りもはいはいも早かったのに、そこで油断したせいか、ソコから先はまったく進まず、ただ黙って転がって泣いているまま月齢を重ねました。3才になってもほんの二言三言しか語らず、保健所に呼び出されました。って、やっぱだめなんじゃん。

   えーと、間違ってても、お品が悪くても、とりあえず子供には言葉と眼をかけて育てよう。

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コメント

「はみだしっ子」と聞くだけで、あの頃の、頭や心をぐるぐるさせながら読んでた自分を思い出します。
件の本、絶版にはなっているとのことですが、図書館には入っていましたので、昨日借りてきました。いや、そのためにわざわざ行ったわけではなくて、もともと昨日行く予定だったので、ついでです。
ちなみに本来の目的はクリスティですが。

投稿: とむ影 | 2009年7月 3日 (金) 13時17分

 おお、さすがフットワークが軽い。
 後でこっそり、どう見てもやばいレヴェルだったのか、ディープなファンじゃないと気づかないレヴェルだったのか、ご感想をきかせてください。

投稿: まいね | 2009年7月 3日 (金) 18時40分

読み終わりましたよ!
つっこまれないようにぼかしてコメント書いておきますね。

言葉の細かいところは、ああ、そう言われればそうよねえ、とか、たまたま同じ表現になっちゃうことあるんじゃない?ととってもいいと思います。
でも、私が気づいた所で、エピソード一つほとんど同じものを使っているところがありました。ここはちょっとどうかと思うわねえ。お葬式に関するエピソードですが。
作者本人が口をつぐんでいるので、想像でしかありませんが、たまたま似たエピソードを思いついた、にしては似すぎてます。じゃあ知っててやった、オマージュのつもりだったのか、というと、私が読んではオマージュには読めなかったです。このエピソードを、はみだしっこから持ってきて使う必然性が感じられない。もちろん、ほんとにたまたま似ちゃったんだ、とか、オマージュだよ、読み取れないのはおまえの読みが浅いんだよ、と言われればそれまでですが。

投稿: とむ影 | 2009年7月13日 (月) 13時40分

 あー、そりゃ、いかんわ。
 よく作家さんについていうところの抽出がいっぱいあるってのは、そうならないためのそれこそ地力とか余裕とかのことなんでしょうかねえ。年若くてデビューすると、注目もあるだけにそういう事態になったときの目も厳しかろう。やっぱりいろんなものを見た経験あっての業界なんでしょうかねえ。

投稿: まいね | 2009年7月14日 (火) 15時22分

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