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2009年5月20日 (水)

「カルミナ・ブラーナ」3 Vere leta facies 春の愉しい容貌が 豪傑訳

      やばい!

   6月なんてまだまだ先と思ってたら、もう5月も下旬じゃないですか!
   まだ覚えてない曲があるんですよ!

   ……大きな声では言えませんが、冒頭、一番有名な「おお、運命の女神よ」がすんで、2番、結構最初の方に豪傑訳を付けた「運命の女神の傷を」もなんとかこなした後、大きいⅡの章に入った最初の曲が全然できてません。

   ……こういうゆっくりした歌い上げる曲苦手なんだ。アニソンはスロー・バラードも好きとか言っといて。第九でも、中盤の「Seit umshlungen Millionen」のところ、できれば飛ばしたいと思ってるし。どちらかというと、息が切れても歌詞の舌が回らなくても、忙しく激しく歌いこむところの方が好きです。あ、その後、同じ歌詞でアルトから始まる大フーガもありますが、こっちの方がナンボか好きですね。落ちても、声が嗄れても。

   これも、アルトとベースの低声2パートが歌い始めると、ソプラノ、テノールの高声パートが引き継いでア~と締める、というパターンを3回繰り返して終わります。緩やかな上昇音型、またしてもうすぎぬを振るようにふわりとメロディがうねって、それを引き継ぐ。この曲のパターンかも知れませんが(別の局面ではフルートの間奏だったり、ソプラノ独唱だったり)、ここんとこはそれを合唱が受け持っているみたい。

   この期に及んで好き嫌い言ってられないので、無理矢理付けます。豪傑訳。

   3 Vere leta facies 春の愉しい容貌が

   愉し春のかんばせ この世に差しいだされ
   冬の厳しさは 破れ消え去りゆく       (:アルト&ベース)

   絢(あや)なる衣にて フェブス(太陽神)しろしめたる 
   森の甘き調べ 春の女神を賞(め)づ ああ   (:ソプラノ&テノール)

   フロラ(花の女神)に抱かれて フェブス改まりて
   微笑ます 今や ぐるり花に囲まれ     (:アルト&ベース)

   西風 ネクタル(神酒)の香りを撒き散らし
   愛を勝ち取らんと 我らは競い合わん  ああ  (:ソプラノ&テノール)

   小夜啼鳥鳴きて 甘き調べ奏でつ
   様々な花もて 今や牧場の笑う       (:アルト&ベース)

   小鳥は飛び交う 森中楽しげに
   乙女の群れあれば 万(よろず)の悦びと見ん ああ (:ソプラノ&テノール)

   てなカンジ。春の悦びを歌ったとか言ってますが、要するに春の景物を並べただけで哲学的内容とかはなくどーでもいい歌詞とわたしは見ます(それで覚えられないんだろうか?)。 10曲目の、「イギリスの女王様のためなら領土捨てちゃう!」って歌詞の方がよっぽど好きじゃわい。  
   
   あ、あるぞ内容! 結局乙女(virginum)が目当てってとこだ!
 なにげにこの曲全体の中心概念ではあったな。

   あと、原語では milena 、「千の」悦びといってますが、 日本語で数量を超えた「たくさん」を表わす概念はふつう千じゃなく万だな、と思って「よろず」を使いました。こーゆーの、許せないひとっています? ここが豪傑訳の醍醐味。

   でも、あんまり豪傑訳頑張りすぎて、原文との乖離が激しくなっちゃうと、いくら訳文を覚えて歌っても、もとの歌詞と結びつかなくて歌詞が出てこなくなっちゃうんだなあ。
   「運命の女神の傷を」の1番でそれやっちゃって、原文は格調高く持って回って
   「本で読んだことは本当であった。幸運には前髪があるが、ほとんどの場合、はげた機会が後に続くのだ」って言ってるもんだから、その素晴らしい高尚な単語が出てこなくて、今 singing しながら呻吟しています。この「ほとんどの場合 = plerumque」が出て来なくってねえ。

   さて、後残ってるのはなにかな?

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コメント

milena (<mille) を千でなく万 (よろず) と訳すのは適訳と思います.こういうのは数値として合わせる話じゃないですよね.百貨店と八百屋とどっちが品数が多い(笑)
古典ラテン語には万,十万,百万に当たる単語がなかったですよね,たぶん.ヨーロッパにmillionなどの語が現れるのはもっと後のこと.日本の方が昔から大きな数を示す語があります,なぜか.

"Seid umschlungen, Millionen!" も別に百万人と訳さなくても構わないと思ってます.

投稿: 三ねんせい | 2009年5月20日 (水) 18時38分

 あ、恐縮です。百貨店と八百屋の喩えには脱帽。たしかにそうだ!
 日本と印欧語では位取りが違うというのもあって、結構大きい数字は訳出に困ることがありますよね。そうそう、第九、「抱きあえよ百万の人々」と、よく訳されるそこです。「百万長者」も999万円以上のお金持ちを包含してないんじゃなく、milion で勘定される間、つまり999,999,999円までを表わしているんだと言われた覚えがあります。
 昔は大きな数を表わす言葉がなかったって、いかようにして明らかになったので? そういう方向からの文献の検証とかも数学の分野なんでしょうか??? ローマとか、人口の把握のためには大きい数字も必要じゃないですかね? それ以前の話? その概念を示す単語がないということはその概念もないということですよね。大きい数は必要じゃなかったのかな? メソポタミアは占星術とかの関係上数学は発達してた印象がありますが、さて、ローマはどうなのかな? billion,trillion という言葉の作り方 (「2」/「3」 + 「llion」と推察)は巧いと思ってたんですが。後々つくったのかぁ。
  そういえば、ラテン語では月の何日を表わす言葉も特定の日数日分しかなくて、(朔日とか、切りのいい日)、あとはその日の何日後とかいう表現をしたとかいうべらぼうな話をラテン語の時間に聞いて呆れた覚えがあります。数字に無頓着な民族だったのかな? まあ、その世界で生きてる分にはとくに不自由を感じないのかも知れません。西暦を知る前の日本人も、コロコロ変わる元号をものともせず年を勘定していたのですから。
 
 そういうの、「数の博物誌」という本に詳しいと書評欄で見て、勇んで買ってみたらかなり難しかったです(10年ほど前)。息子が数学でレポートを出さなきゃならないというので掘り出してみたけれど、彼にも難しかったらしく部屋で埃を被ってました。

投稿: まいね | 2009年5月21日 (木) 00時33分

数学史とその他諸々との境界領域で,難しいです.本気で調べようと思ったらラテン語の原典をいっぱい読まなくちゃならない.
万に当たる数詞のないことは decem milia 「十千」という表現からわかります.
ローマ数字も普通に使われるのは I, V, X, L, C, D, M だけで,千より上の位がないです.尤も C を逆さにしたのと C とを合わせたような数字でもっと上の位を表すのはあります.
数詞のないことが概念までないことを意味しません.「千の千倍のそのまた千倍」とか言えば概念として理解するだろうと思えます.
日付の言い方もややこしいですよね,calendaeの何日前とか何日あととか,覚えきれない.しかしローマ人が1から30まで数えられないはずはないんで,月初めからの日数で言わないのは何か特別な理由があるんでしょう.

投稿: 三ねんせい | 2009年5月22日 (金) 00時58分

江戸時代の人は日付を書くのに干支をよく使ってます.元号で何年とも書くけれど,いまと違って元号が変わってもそのことはすぐには世の中に伝わらないんで,元号であり得ない年が書いてあることもあるそうです.
従って「大正16年」みたいな日付の入った古文書はガセとは限らないんだと教えられました.

投稿: 三ねんせい | 2009年5月22日 (金) 01時02分

 理系の学問も、~史となるととたんに面白く思えます。一般教養の化学も、様々な元素がいかに発見され、いかに疑似元素が排除されてきたかというのをちらりとやってくれて、そういうのだったら興味を持って聞いていられたのになあと思った覚えがありました。いわく、有名な出版社の辞書でも、まだ「エーテル」を大気中に存在する物質とか語釈を付けてたり、「ヘリウム」のことを、「太陽に存在すると言われる架空の物質」と平気で書いてたとかあげつらってたのには驚きました(「さすがに最近訂正が入った」と言ってました)。
 そうか、モノがないのは運用でカヴァーか、「千の千倍」、確かにそれでいけました。失敬!
 「元号が変わったのを知らない」というのはなるほど、あり得る状況。昭和の頃には逆にすっぱ抜き事件も起きてるし。
 平成に変わる際のあの正月は、かえって記念になるだろうと敢えて年賀状に昭和64年と書いたものでした。平成と書いた紙を捧げた小渕官房長官(当時)の映像も、あの時代を表わしていたのですね。コインには昭和64年製造と入ったものもあるとか。松の内から大蔵省造幣局は動いてたんですねえ。偉いなあ。ああ、仕事始めはすんでたのか。僅か3日で何枚作ったんだろう……。

投稿: まいね | 2009年5月23日 (土) 01時46分

 こっそり直そうと思ったけど、やっぱ正々堂々行きましょう。
 仮定形なら「あらば」となるところ。最後の連は、
   乙女の群れ「あらば」 万の悦びと見ん 
 に訂正します。
 日頃触れてないと文語文の活用は忘れると言うことです。情けない。

投稿: まいね | 2009年5月28日 (木) 11時24分

教育勅語にも同じ間違いがあるのだから気にしない,気にしない.

投稿: 三ねんせい | 2009年5月28日 (木) 19時05分

 教育勅語に活用の誤りがッ!?
 それは、戦前の時点では突っ込んで良かったんですか? うちの伯父どもは嬉々として突っ込みそうだなあ(そして意気揚々と殴られてきそうだ)

投稿: まいね | 2009年5月28日 (木) 23時11分

 はーい、見てきました。ウィキペディアに項目立ってました(スゴイネ)。
 既に大宅壮一が在学中に突っ込んだそうです(偉いな)。
 しかしながら、近世から既に已然形に「ば」をつけて順接の条件節をつくるある意味「誤用」は生まれてきていたという研究成果もあり、明治においてはもう通用していたとみるのが通例の模様。ふーん。やっぱ、誤用が通用するのって戦後に限らなかったのね。
 うちの虎美は「『全然』は否定の言葉と呼応しないとダメじゃない!」と中学生らしい細かさを発揮しておりますが、そんなんもう言っても無駄と申しておきましょうか。

投稿: まいね | 2009年5月28日 (木) 23時18分

ウィキペディアに出てるんですね,びっくり.大宅壮一は諭されただけで殴られなかったのかなあ.
国民学校三年のときには教育勅語を暗唱できたけど文語文法を知らず,文語文法を学んだ高校生のときには勅語のことなどすっかり忘れていて,文法誤りを知ったのはかなり後です.
誤りじゃないって説を唱えてるのは国語学者じゃなくて倫理学者だから,どこまで信じてよいのやら…

投稿: 三ねんせい | 2009年5月30日 (土) 10時08分

 なるほど現役世代はそうなのですね。

投稿: まいね | 2009年5月31日 (日) 04時58分

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