« 2008年11月30日 - 2008年12月6日 | トップページ | 2008年12月14日 - 2008年12月20日 »

2008年12月13日 (土)

本日の一発ネタ ダチョウの復讐

   公式戦シーズンが終わり、筋肉トレーニング主体となったゴルドベルク中野球部だそうにございます。
   豹太が帰宅して申しますには、
   「今日は先生と組んだんだけど、先生からだが大きいから、お互いにおんぶしてダッシュするやつ、まるでダチョウに乗ったみたいに速くて視線も高くて快適だった!」

   

ダ チ ョ ウ に 乗 っ た よ う っ て。

   「いーなーおかーさんもダチョウ乗りたい!」
   先生お願いします!(無理だ!)

   それにしても、先生と組んで筋トレって、おまえやっぱり友だちいないのか……。

   「でも、自分が担ぐ番になったら先生重かった……」
   身体がバラバラになりそうな筋肉痛で、翌日豹太学校休みました(オバカ!) 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

宮尾登美子に習え!

   ごく濃い趣味の話が続いて、興味ない方はごめんなさいね。

   昨日興の乗るままに短編一本書き上げてしまったわたくしですが、2次小説の方が概して出来がよ(自分で言うな)のはなんででしょう。事前に1枚のメモも取らずに想いのまま書いて、ちゃんと起承転結があって泣かせて笑わせて。畜生。原作のキャラクターに寄りかかっておるからか。

   じゃあ、オリジナルの投稿作品も、先に一通り仕上げておいて、その2次小説を書くつもりで書いたらスピードも速くまとまったものが書けるんじゃない?(アホかーっ!)

   いやね、そうじゃなくて。原秀則が、「電車男」のコミック化の仕事を貰って、うわぁどうしよう!? って思ったってインタヴュー読んでて。オタクなネットの掲示板の描写なんてどうしたらいいんだろう!? って困っちゃって、でも、エルメスかわええ! とか、気の弱い青年が自分の部屋でうじうじしたりとか、そういう自分の作品のホームグラウンド、得意分野を原作中から見つけ出て、内容をそっちに引っ張っていって、そこからアプローチしたとか言ってました。

   そう言えば、昔量産していた頃とか、昨日書いてた話とか、気が強くって、やや変人で、自分でガンガン自分の道を行っちゃう女の子を主人公に据えて(もとの作品の主人公ではない)、物語世界に話を滑り込ませる描き方でした。その方が話を動かしやすいんですね。自分を投影できるのかな?
   宮尾登美子もそうだよね。「クレオパトラ」だろうが、「天璋院篤姫」だろうが、自伝的作品だろうが、頭が良くて気が強い、独立独歩の女性(でも育ちは結構いいよ)ばっかりが主人公(「序の舞」は未読)。宮尾さんもその方が筆が走るのかしら。え? 違うカンジのやつもある?

   そりゃあ、今時の青少年を意識して、うだうだと考えて動かない男性を主人公に据えてたら、物語がいつまでも転がらない、面白くなくて書く気が沸いてこないわけだよなあ。

   ひとつ勉強になったと言うことで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月12日 (金)

ジョジョOVA見たよ vol.7

   ジョジョ3部OVAの前半を締めくくる7巻です。
   霧の町に誘い込まれたジョースターご一行、ポルナレフがバーで女性を引っかけようとしたところで操られた死者たちが彼を襲う……というところから続き。

   原作通り辛くも逃げるもののトイレに追い込まれ、おれってこんなのばかりと愚痴るシーンはありましたが、なんか、軽みが足りないというか。見せ場だけあって、原作では涙を零して抵抗しながらも綺麗だったんだけどなあ。ここのところの荒木画伯のバランス感覚は素晴らしい。OVAの方の凄いところは、ポルナレフが本当にナニモノカを舐めている!!(可哀相に!) そして、窮地に追い込まれたところで場面は客室へ。6巻では窓越しに霧に閉ざされた町を透かし見る花京院のカットがありましたから、また花京院かなと思うと、今度は承太郎。降りてきて、ポルナレフを探してくれます。
   原作と違うのは、エンヤが若いヴァージョンなのでチェックインの記帳ネタじゃないところです(花京院は読みを変え、承太郎はあからさまに偽名を書いている。細かいサイトによると、ジョセフは綴り字を変え、ポルナレフはイニシャルを使うことで各人それぞれ用心していたらしい)。原作のここんところはバレバレながらもハラハラしたんですけどね。OVAでも、腹の探り合いはしてました。
   結局疑いは攻撃でうやむやになり、数で襲い来る死者、オラオララッシュの一周乱れ打ちで吹っ飛ばすスタープラチナ。この動きはスカッとします。しかし、死者は倒れても倒れてもまた襲ってきて、謎の美女エンヤは全然ダメージを受けず、高笑い。
   「おまえの仲間達はどうだろうね」承太郎を捜して花京院の部屋のドアを叩いたジョセフも、襲われていたのです!
   たまらず建物の外へ逃げ出す二人、フロントに、うずくまるひとが見えます。婆さんの方のエンヤ。お年寄りに優しいところをすかさず見せる花京院、ジョセフに、
   「先に行っててください」と言うなり、エンヤ婆を負ぶうのです。
   そりゃ無防備だろうよ。
   戸外に追い出された形で集合してしまうジョースターご一行。迫り来る死者達。空の上には不気味に渦巻く霧のスタンド。
   どうするよ?

   というときに、怪鳥の叫び声! 吹き上がるオレンジの炎。これはもしかして!?
   いっとき吹き飛ぶ敵スタンド、舞い散る炎。高い塔の上に姿を現すは炎の魔術師! 

   

モ ハ メ ド ・ ア ヴ ド ゥ ル 華 麗 に 復 活 ! 「YES, I AM!」(無かったですこの名台詞)

   千両役者! しぶ~く決めてくれました。まだ戦いの最中なので、ポルナレフとの感動の再会シーンはあとで。でも、驚きに震えるポルの顔は長く映ってます……これがまた不細工で。

   該当の原作19巻は、わたくしがこれだけは手元に持っていようと思ったぐらい絵の美しい巻なのに(れいのコーラン騒動で出荷停止になり果たせませんでした)。アヴドゥルの遺族に会うことになり、真面目に反省しているポルナレフが麗しく(夢を叶えるといって深層心理に潜むそのひとの弱点を突くスタンドのせいで、再生される妹がまた美人だったり、その復活をしみじみ喜ぶポルナレフが男前だったり)、そしてまた再生を願ったそのアヴドゥルに命を狙われて苦悩する姿もまたよく、最後に実際生きてた当の本人に救われて涙を流して喜ぶシーンも渾身の力作だったと信じています。

   それがこれかよ。

   いえ、細かい炎の舞い散る効果は幻想的で美しかったんですけれども。さすがはアニメ。

   しかし、時間をおくと復活するスタンドと死者達に、対抗手段はないのかとおののくジョースター一行……ところが、主人公は違う! 黙って、煙草を箱から振り出して。
   「アヴドゥル、火をくれ」って。
   原作のここではもちろん無いし、他でも、煙草の火をアヴドゥルに点けてもらってるシーンはなかったと思いますけど。
   この危機的状況に、煙草。
   一度は聞き流したアヴドゥルさん、再度催促されて、チッと指を鳴らす、と、手元と、離れた塔の上に一人で立つ承太郎の煙草に火が点きます。
   一口ふかすと、煙が立ち上って、帽子のつばに当たって揺らめきます。

   

カ ッ コ イ イ !

   原作は、途中で荒木画伯じしんが「煙草の煙がイヤになっちゃったので、登場人物達にも順次禁煙させちゃった」とコミックスのコメント欄に書いてましたけど、途中までは承太郎をはじめ未成年も煙草吸いまくりの作品でした。時代がだんだん、喫煙に厳しいものになっていったんでしょうね。もう、不良が煙草を吸うことは少年誌では描けなくなりました(去年ドラマ化された「有閑倶楽部」も、原作は’80年代だったので、魅録や可憐は煙草をふかして粋がってました。今ではとても許されず、キャンディをくわえたドラマ版ジャニーズ魅録にが~っかりした覚えが)。大人の煙草でも、子供向け作品ではあんまり格好良いものとして描くことはできないんじゃないかしら。おとなの文化が消えてゆく。喫煙具メーカーは断腸の思いでしょうね。でも、わたし個人としては煙草の匂いは嫌い

   とりあえず、現実の煙草とは切り離して、男のかっこよさの象徴としてこの喫煙シーンを見ました。

   ……でも、承太郎はこの時点で17才の高校生なんですけどね。あの体格といい、顔の渋さと言い、あり得ない(精神性も)。

   とにかく、ひとり余裕の承太郎でした。

   「スタンド使いは近くにいる」と、ひょいと飛んで花京院の立つ塔へ渡ります。顔がすれすれに近づくのがもうどきどき。目的は、花京院(との相談)ではなくて、その背のエンヤ婆。ここで、序盤でカットされた対ダーク ブル ームーン戦のエピソードを使うかぁ!
   「スタンド使いは煙草の煙を吸うと鼻の頭に血管が浮き出る」と渋く決めつけるのです。やっぱり煙草ってスタンド使いの皆様にも悪影響を及ぼすのね(違います)。
   「え?」「そんな」「何を」と、それぞれ鼻に手をやるジョースターご一行。そして、花京院の背の「ホテルの女将であるところの一般人のおばあちゃん」エンヤ婆も。
   「嘘だろう」とポルナレフ、
   「ああ。だが、間抜けは見つかったようだぜ」
   エンヤ婆がスタンド本体であることがばれてしまったのです。

   

超クール!!!

   原作でもスッキリ! のエピソードをここへ持ってくる! GJGJGJ!!

   で、このままでは終わらず、原作でのスタープラチナが霧のスタンドを全部吸い込んで無力化するという結末へ。
   ……煙草を常用してると肺活量が落ちるって聞いたんですけど。承太郎さん、あの煙草の量でスタンドを吸い尽くす肺活量って……ハーフとはいえ、すごい。納得の胸囲でした(いやフィクションだから!!)。

   感動の再会に、「ポルナレフは口が軽いから内緒にしてたんだよ」とジョセフの種明かし。堤案は花京院。あんたら芝居巧すぎ。原作ではショックを受けるポルナレフが軽く明るく描かれていて、笑いながらも同情したんですけどね。まあ、少なくともエルボーの辺りではまだ花京院も、自分たちはアヴドゥルの遺骸を捨てて逃げたと思ってたと思いますよ。

   エンヤ婆が気絶して(これは、やっぱり小さくて年寄りで女性のエンヤ婆を主人公達が殴ったり蹴ったりするのは体裁が悪いというのもあったんだろうな)、スタンドが消えると町の姿が一変します。小さいけれど町並みの整っていた町は、なんと廃墟。これいはアニメならではの美しさを感じました。

   しかし、ここで事件。まだ生きていたエンヤは、DIOによる口封じ、花京院の額に植わっていたような肉の芽が急激に発達して……。

   無念のジョセフ。「DIOは誰も信じない……」と、自分もいつかはああなっていた運命、とDIOへの闘志をたぎらせる花京院でした。

   ここで第3部の前半アジア編はおしまい。先に作られていたという後半エジプト編と繋がります。

   う~む、7巻だけの評価でいくと、絵はもう慣れたし、動きは滑らか、アニメならではの表現もこなれていて美しかったし、脚本演出などは申し分なく、非常に楽しめました

   前半7本全体の評価というと……

   キャラクターの解釈の違いに大いなる忍耐力を持って見るなら、スタンド戦のイメージや音楽・効果などは非常に原作の理解度が高く作ってあると見ました。6巻に音響スタッフのコメントが付いていたのを見て感心したからほだされてるかも。

   総じて、大人(というか、中学生坊主以下は見るなという感じ)のアクション好きを想定して作ってある感じで、キャラの外見を目当てにミーハーなノリで見るものではないということかな。想定外客層で失礼しましたね。

   ということで、ほとぼりが冷めた頃また後半を借りてみるつもり。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月11日 (木)

ふと考えてみると

   この時期になって、伯母がもう3回忌だとか、先月伯父が亡くなったとかいう情報を聞くと、
   (今後は、苛められたといって母が愚痴をこぼしてウザイということがなくていいな)とか、
   (今年は年賀状先が減ってラッキー)とか思ってしまっていて、その弟妹たる自分の両親が次にはこの世の人間じゃなくなってる可能性について
    何 に も 考 え て な い 自分は真剣にやばいんじゃないかと思ってるところです。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2008年12月 8日 (月)

ファザコン娘の作り方

   ケーキのイチゴで思いだした。

   つかこうへいですか? 「2代目はクリスチャン」で、言ってましたが、末っ子のお嬢様は鍋が食べられないっての。解る解る。
   「はい、おあがり」と、自分の小鉢によそってもらわないと食べられないんですよね。漫画とか、コントとかで、すき焼きの肉の取り合いとかあるじゃないですか、あれは、戦後の貧しい時代のことを今もやっている、と言う意味で時代錯誤的なところを笑うネタだと思っていて。まさかそんな、お肉の取り合いなんか本気でするひとがいるとは思ってなかったです。それが、中学の修学旅行で鉄板焼きがあって。……気がついたらキャベツとタマネギをかじってました。
   大学の合宿で鍛えられましたから、もう、就職する頃には恐くも何ともなく、リクルーターの反省会と称した宴会でも、とうとうと輝かしい実績を述べる人事担当を尻目にお鍋の世話を焼いていて、
   「気持ちはわかるけど聞いてるふりぐらいしなさい!」と先輩にこづかれるぐらいになって。お奉行様には及びもないが、鍋与力ぐらいはつとまりそうな修行を致しました。

   さて。箱入りとまでは行かぬものの、父にはたっぷり目を掛けてもらって。
   鍋のときは自動的に鉢に具が追加され、ステーキをちびちび食べておれば、
   「なんだそんなしみったれた食べ方をして!」と、どんと肉が降ってくるし、
   カニと言えば、
   「おお、もうちょっと待ちなさい。いまおとうさんが食べられるようにしてあげるから」と、ミソも脚もキレイに出してもらったのがお皿に山なのをただ掻き込むだけという食生活をしておりました。さすがにお魚は自分でほぐしたかな? ……たぶん。
   新婚旅行で北海道にいって、カニの専門レストランに行って、晴れて自分の手でカニをほぐして食べましたが……あんなに手間のかかるもんだとは。
                       ……実のところ、カニはもういいです

   「郊外のケンタッキーにドライヴスルーというものができたらしい」といってはチキンを買いに連れてってくれたり、
   「親戚への挨拶回りに付いてきたら飯を奢ってやろう」といってドライヴに連れてってくれたり。それで車中でいろいろ、
   「大聖寺のあの山は戦国時代、城があって、その城が落ちたとき、お城のお女中衆がみんなそこの谷へ身を投げた。そのせいで、あの山の蛇はことごとくかんざしを挿した形の模様が付いている」とか眉唾な歴史話を聞かせてくれたんですよね。

   というような幼少期~青年期を送ると、いい年をして、
   「おとうさんと大河ドラマに突っ込みを入れるのが一番楽しい」という娘ができあがります。困ったものよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

優しい習慣

   今回結構寄り道多いかも。

   幼児雑誌・教材はもうクリスマス号は届いたでしょうか。うちの猫科の人たちが取っていたころのしまじろうには、こういうお話がありました。

   しまじろう一家がみんなでケーキを取り分けて、さあ、いただきます! と言ったときに、妹のはなちゃんがたまぎる悲鳴。ケーキの上、ひとり一つのあのイチゴを取り落としてしまったのです。まだ赤ちゃんなので(歩いて多少しゃべる程度。1才~2才?)、それはもう大泣き。おとうさんもおかあさんもおろおろ、やれやれ。
   そこでおにいちゃんたるしまじろう、少し考えます。自分のケーキにはまだイチゴが残っている。自分だって楽しみにしていたイチゴ、でも、いもうとのはなちゃんが泣いてる。ここで自分のすべきことは……。
   「えいっ!」
   しまじろうは自分のケーキのイチゴをはなちゃんのケーキの上に載せてやるのでした。
   「あ~!」
   瞬時に顔が晴れます。
   「に~た、ありやと」(このぐらいの日本語は話していたようだ)
   はなちゃんに笑顔が戻って、一同ほっとして、しまじろうの心も晴れたのでした。と言うお話。

   

親は何をやっとるんじゃ。イチゴをくれてやるならまず親がすべきだろう(当時からひねくれた母でした)。ま、ここはしまじろうのお兄ちゃんとしての成長を取り上げる教材であったろうと思われるので、親は引いていて正しいのかもですが。
   弱肉強食の性を持つしまたろうさん(父は確かこんな名前)としては、そんな貴重なものはスタートと同時に口に入れていたのかも知れませんしね。

   わたしはお育ちがいいのか? ケーキのイチゴは最後ですねえ。とられるような相手はいなかったし、ヘタすると父が自分のをくれてましたもん(箱入り?)。それでも、ま、チョコのプレートぐらいになるともしかして最初にかじるかもですが。あんまり最初にうきうき食べるなんてことはしないと思いますよ。プライド? それで、はなちゃんのようないとけない子供がびゃ~びゃ~泣いたら……供出しますかねえ? やっぱり。

   ケーキのイチゴだと、等しく誰にも貴重かもですが、これがクリスマスケーキのサンタさんとか、チョコレートケーキの上のプレートなんかだと、微妙。これが無くては意味がない! と思い定める方もいそうだし、別にいーよ、欲しいなら上げる、という方もそりゃいそうです。
   そういうの、どうします?
   父の場合は、親として当たり前というのもありましょうが(いやしかしものが自分の好物の和菓子類だったら絶対しないであろう! あのひとは!)、自分がひとにものを与えられる立場というのをしみじみ楽しんでおったのやも知れません。彼の苦労した半生を思いますとね。
   自分が好意を持つ相手の場合、好意を示すためにはすぐさま譲ることでしょう。まあ、そのつもりがあってもなにか屈託があってできなくてあとで鬱々するというのもまた面白いですけどね。
   別に自分は執着を感じないが、自分のものである以上は、相手が口に出して言わない限り自分からは何もしない、ということも考えられますが……あんまりわたしはそういうの好きじゃないな。出過ぎないと言う意味ではありなのかな、これも。
   相手が欲しがっていると解ったら意地でもやりたくない、たとえ自分が好きでない、食べてはいけないものであってもやりたくない、というひとについては。
   わたしはこういう考えをするひとを理解できません。それを見聞きするのも不愉快に思うことでしょう。
   でもいるんだろうな。そして、それも人間としてはあり得る心情なんだろうな。

   さて。
   わたしは歯が丈夫で。それで、結構若い頃苦労した父のいうことを結構真に受けて育ってきてますので、エ ビ の 尻 尾 は 残 し ま せ ん
   どんなきどった天ぷらやでエビ天を頂いても、最後はバリバリやってます。ちゃんとしたとこは、尻尾の先を切ってあるから食べやすいです。ソケットのようになってる付け根部分にすこぅし身が残ってるのが楽しみでね。嗚呼、B級。
   お寿司やお刺身についてるエビの尻尾まで食べちゃうもんだから、いっぺんひどい目に遭いましたけど(割り勘でひとつを分け合ったとき、エビを先に盗って喰って証拠隠滅を図っように言われた)。
   ……最近は、場の雰囲気によっては残すようにしてます。

   旦那様は、お育ちがいいのと、そこまで歯が強くないのとで、エビの尻尾は残されます。で、わたくしが「要らないの?」とあんまり尋ねたものだから、もうはやそれはわたくしに下さるものになってしまったようで。
   お弁当なんかでも、食べ終わった後、魚の骨が奥の角にまとめてあるのに、エビの尻尾はそれとは別方向によけてあるんですよね。
   「そら、やるぞ」とは言わないけれど。
   食器を下げるときに、ラッキー♪ と摘んでます

   ものがケーキの上のイチゴだと、幼児でも、つきあい始めの高校生でも可愛らしいですが、もういい年のおじいちゃんおばあちゃんでも可愛いかも。

   「チッ、いやしい女だなあ。わかったよくれてやるよ!」
   「なによ、これくらいで恩に着せないでよ」とかギャーギャー言ってた恋人時代から50年ぐらい経過して、もういい年になって、犬も食わない夫婦喧嘩をやりながら、お茶の時間になって、孫に呼ばれて喧嘩しながら席について、そういうときでも長年の癖で、おじいさん、イチゴをとるなりおばあさんのお皿へポイ。
   「前から気になってたんだけど……?」と孫にその訳を聞かれて、二人その意味を今更考えて赤面、どちらからともなく仲直り、というのもまた、良くないですかね?

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2008年11月30日 - 2008年12月6日 | トップページ | 2008年12月14日 - 2008年12月20日 »