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2008年9月30日 (火)

「殿様の通信簿」宝の山も掘るは大変

   本日はお山を降りて書店にいき、また店頭で立ったまま1/4も読み込んでしまって慌てて購入して参りました。

   「殿様の通信簿」磯田道史。加賀藩のお抱え学者のうちの家計簿を読み解いて新潮ノンフィクション賞を取ったという秀才だそうです。今度は「土芥寇讐記」(このシュウは正しくは両脇にふるとりが並ぶ異体字)という元禄期の諸大名の身上書を種にお殿様についていろいろ語り起こしてくれるそうで。

   この「土芥寇讐記」、時の公儀隠密が調べ上げたお殿様の身上書だけあって、門外不出、写本が東京は東大の史料編纂所と広島は浅野さんちにあったそうですが、なんと広島本は原爆で焼けたとか。
   原爆で焼けた史料って初めて聞いたよ。
   いや、浅野家にもイロイロ伝来の書物があったことであろう。それはもったいなかったですね。しかし、なんで公儀隠密の機密書類が外様の浅野さんちにあったのであろう、モヤモヤ。

   最初は有名人の水戸光圀公から。この辺の構成はセンセイも世慣れしてますねという感じですが、一部で有名な「水戸黄門若い頃はヤンチャ説」を紹介しながら、スキャンダルの暴露に流れず、当時のご時世、お殿様の生活の窮屈さを紹介し、実のところはこうこう、とれーせーにこーへーに解き明かして、取り上げたお殿様の名誉を守ってくれているような流れになっているところが、なんとも好ましいのでした。

   で、わたくしが釘付けになりましたのが、前田家の利家公から3代について語ったところ。利家公についてはだいたい押さえているつもりだったのですが、お犬と呼ばれた少年期から、加賀大納言と呼ばれる晩年に至るまでの彼についての耳新しくも温かい考察にはひとり微笑みが漏れてしまうのを堪えられませんでした。

   ご紹介したいのが3代利常公についてのお話。
   彼の奥方は秀忠の娘の珠姫です。絵に描いたような政略結婚で、彼女は3才の時に金沢に輿入れするんですが、それから9才の利常とほんとに仲良くして、16で第1子を産んでから年子で8人産んで、24で産後の肥立ちが悪くて死んじゃったと聞いてます。ご寵愛も過ぎると迷惑って、れいのタージ・マハルの住人(住んどらん)、ムムターズ・マハルは、14人産んで36で死んだらしいですから、わたしの中では彼女に並びますけど。「女は子供を産む道具」って言葉はこのぐらいやって、身体を使い尽くされて死んだときに使って欲しいですな。でも、彼女たちも決してそれだけが人生じゃないから、基本、前述の言葉は使って欲しくない言葉ですね。
   普通に、可愛らしい、戦国の世が終わった証拠のようなモデル夫婦と思っていましたら、彼女も必死で戦っておったそうで。
   物心つく前に金沢に来て、「とのだいすき」だけで生きてきたようなお姫様、みんなに愛されたとばかり思っておりますと、そうでもない。
   姫に付いてきたお女中衆は、戦国の心がまえを身につけたプロ女性外交官なわけで。
   姫様が素直にまっすぐ殿様に心を開いて睦ぶのが気に入らない。
   毎日日が暮れれば二人でにこにこ、そのままお床入り、起きればまた二人でにこにこ……してると、お乳母のナントカの局がキレるんです。
   「姫様なんでも殿にしゃべっちゃだめでしょオーッ!!」
   「なにがそんなに楽しいんですか、色ボケしちゃって!!」
   「前田殿は家来じゃないですか! 家来の嫁になって嬉しそうにしてちゃダメじゃないですかーっ!!」そんなこと言って、徳川家の姫なら嫁に行くのは家来のうちしかないじゃん。ま、妹は天皇家に入ってますからねえ。
   と物心ついてからずっとついてるお乳母に責められて、姫様は言葉もなく涙ぽろぽろ。
   しまいには、
   「姫様病気ですから今日はダメです!」って勝手に殿を断っちゃう。そしたら別の側室が代打に立つわけで、姫様悲しい。
   そうこうしてるうちに、ストレスで姫様はホントに寝付いてしまって。大河の篤姫ちゃんと同様、それでも殿は逢わせてもらえない。
   「そこをどかぬかーっ!」と篤姫ばりにバリケードを突破して利常公が病床に駆けつけると、時既に遅し、お珠ちゃん涙に暮れながら、殿の手を取って、
   「ここにしこりがあるの。これは、お乳母のせいでできたの。このせいでもうお相手できないの」と言い残して、息を引き取ったとか。って、見てきたように書くよこのひと!

   利常公の怒るまいことか。
   その乳母を捕まえておいて、「ヘビ捕まえてこい」と高札を立てて。百万石、当時は分家してなくて加賀能登越中三国、百二十万石フルに持ってたそうですが、ヘビが数百匹集まったところを、そのヘビを樽詰めにして、昂奮させるために酒漬けにして(細かい!)、そこに放り込むことにしたって。お乳母もさる者、隠し持った懐剣で先に自害したそうですが、それで納まらず、その樽に死骸を放り込んだ上に、釘付け、さらにその樽をヘビ入りの箱(120センチ四方!)に入れて(さらに酒漬け)、土中に埋めて去ったって。

   細川さんちの忠興君に負けないか。

   いや、彼よりは優しいと思うけど。奥方本人に暴力はふるってないし。

   その後、金沢城のトイレにお乳母の幽霊が出るようになったって後日談付。

   恐いけど、哀しい愛の話でした。やっぱり、戦国と泰平の境目にはこのような話がありそうです。 

   彼の腹違いの兄が、豊臣のご恩と徳川の威光に板挟みになって、最後には、「秀頼ぎみをお守りすると約束したのは俺個人だから」と、弟の利常に家督を譲って毒をあおって自殺したというのには寒くなりました。ここまで政治的に考え抜いた行き方をしたとは。でも、「利長公が服毒自殺をしたというのは金沢では公然の秘密」って、わたし聞いたことなかったですよ。

   その他、浅野内匠頭や大石内蔵助、池田綱政、内藤家長、本多作左衛門どれもこれも興味深く楽しく読みました。

   またいろんな古文書から面白い話を掘り出してきてくださいね。大変だと思うけど。

   芥川が「鼻」やら「羅生門」でデビューしたあと、「今昔物語集」はネタの宝庫みたいに思われて、みんなして読みあさったみたいですけど、これはなんでもただ紹介すればいいってもんじゃなくて。きっとこの本も、このセンセイのフィルターを通して読むからみんな気持ちいい話なんだと思います。

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コメント

すいません、実はわたくしこのドカイコウシュウキなる書物、偽書なんじゃないかと思って書いておったのですが、イロイロ他の書評など見ると、実在の史料なんですねえ。21世紀にもなって新しい史料が出てきてそれをちゃんと読み解いて発表できるなんて、日本って凄いなあ(いやこれはいやみじゃないのよ)。

投稿: まいね | 2009年9月 7日 (月) 01時40分

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