「歴史に気候を読む」基礎は慎重に
とむ影さんに貸して頂いちゃいました。
気候条件の歴史に与えた影響なんかを調べてみるお話。よく、××世紀はプチ氷河期だったから作物が取れなくて人心が荒廃して政治不安となり結果××体制の崩壊を呼んだ、とかまことしやかに言ったりしますけど、ホント? って。あんまりその辺の大きなホラはなくって、どちらかというと、先行のその説はこういってるけど科学的根拠なかったですね、とか、この説だと人類の歴史たかだか4千年に1200年周期の気候変動って大きすぎませんか、とか突っ込んでるスタンスでした。
最初は古代中国において気候をどんな風に捉えていたかを甲骨文から探し出そうとしていて。ホントに基礎の基礎、気候という物の定義から押さえようとしてるカンジがうっとおしくも好感を呼びます。そうよ、土台が間違ってるとトンデモな学説になっちゃうわよね。昔読んだ「ワニと龍」という本でも、甲骨文や昔の文献から中国にワニがいたのでは? というコーコ学的生物のアプローチをしている先生がいて、今や理系と文系に垣根はないのかもと思ってしまいます。
その他、日本の暇な貴族連中が毎年の花見の宴会の日付を日記にメモっていてそれを何十年分集めて見ると、当時の京都の平均気温が透けて見える、という御苦労な話。そういう話を若い頃にも聞いていたんで、自分のあほくさい日記も後世の史料になるかとマジメに日記を付けてたんだったなあ(遠い目)。新歓コンパをいつやったかとか、女の子の会費はいくらだったかとか、そんなもんが史料になるのかよ。
タワラヤソータツの風神雷神図がどこの木像をモデルに描かれていて、それはどこそこの曼荼羅にルーツがあって、それは元をたどればガンダーラ……、さらに逆にソータツを参考にオガタコーリンも描いていて、とそれぞれの特色と影響関係を表にしてくれてたのは面白かったです。下手に美術史的に美辞麗句を連ねられるより解りやすかったカモ。
とりあえず興味深かったのは、北半球はヨーロッパもアジアも7~10世紀が温暖でいい時期だったことにまちがいはなくて、それゆえ文化も栄えたというところ。
そういえば、わたくしの中高生だったころはエルニーニョとか暖冬異変とかセントへレンズ火山噴火とかでいつも天候不順だった気がします。そんで、なんか景気も悪~で世相も暗~かったような。気候温暖化な新世紀はなんだかんだ言いながらぬるま湯な好景気でグローバルに文化的にはいいカンジになってゆくのでありましょうか。
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