« 興奮の東京ドーム | トップページ | 東京へはもう何度も行きましたね♪ »

2006年8月19日 (土)

三題噺「埴輪、肉まん、アステカ文明」

   本日は三題噺。まずは、埴輪と肉まんの共通点、判ります?
   その昔、え~と、豹太もこの春やってた古墳時代。今は仁徳天皇陵って言わないんですってね、中に入ってる人が確かじゃないから。大なんとか山古墳。最初は死後の世界のお供に、生きた人間を埋めてた。それが、生き埋めだったから死にきるまでなんとも言えない哀しい声が辺りに響いてすさまじい環境を作ってたものだから、誰だっけ、野見宿禰の建議で土で作った人形のようなもので代替することにしたという。コレが埴輪の起こりだって。史学では眉唾とされてるそうですが、雑学レヴェルではかなり有名ですよね。死ぬまで泣き叫びって、敬愛する大王のために従容と死に赴く忠臣はおらんかったのか。そこまで文化が熟していなかったのか。奴隷だったからか。なんかフクザツですがとりあえず古墳時代の日本人はそこで人命を尊重する心を生み出せたと。
   肉まんの方は、かなり眉唾度が上がりますが、登場事物はもっとメジャー。かの諸葛孔明(諸葛孔明も出ないATOK逝ってよし! 別の日本語日本語入力ソフトに切り替えたら一発! ……おかあさんも浮気はやめましょう)が、洪水を鎮めるために毎年人柱を捧げていたという川に出くわして、それは人の命がもったいないからこれで、と羊の肉を使った饅頭(マントウ)をこしらえて、これで代用しなさいといったのが肉まんの起こりじゃなかったでしたっけ? 中国史はケッコー人肉食とかの話も出てきて(孔子の弟子がニンゲンシオカラにされたとか、周の文王が我が子の肉のハンバーグを食わされたとか、劉備がとあるうちの奥さんの肉でもてなされたとか)、おなかが空いたら見境無いカンジもしますが、このように人間を生け贄にすることを忌む感覚はちゃんとはやめに(つってもこのお話しの元ネタは宋代の本だそうで)あったんですねと。
   というわけで、共通点は「人間を生け贄にするのヨクナイ!」という観念による代替物であるということ。
   ところがもう一つのお題、アステカでは、やってたそうですな、人間の生け贄。はい、「C.M.B.」3巻読んで書いてます。
   四季の移り変わりにつれて力強い季節と弱い季節を繰り返す太陽を神とあがめ、弱った太陽に活力を取り戻してもらいたいと願い、生け贄を捧げる、ここまでは判らないでもない感覚です。一陽来復、冬至もクリスマスも、ここが底、あとは春へ向けて太陽のパワーが復活してゆく区切りの日という意味の祭りの日だそうですから。しかし、その復活のための最高の生け贄が人間の心臓ってのは……ま、もっとも貴重なものって意味では貴重だけど。また、アステカ人はさらに文明神ケツァルコアトルという神をも祭っており、こちらは人の生け贄を嫌っていたそうで。とある年にケツァルコアトルが来て、太陽神を追い出すであろうとう予言さえあったとか。これが禍して、丁度その年に現れたスペイン人が見慣れぬ動物に乗りあやしげな武器を携え、生け贄を嫌ったもので、こいつらがケツァルコアトルと信じられてしまって、やすやすとアステカ人は滅ぼされてしまったのだそうで。
   この話はよくスペイン人の暴挙の証拠、運命の皮肉といった風に使われていて、わたくしもまた今までそう思ってきたんですが。
   ちがうんでないかい?
   アステカ人の中の、気の弱いノミノスクネが、ショカツコウメイが、このままじゃイカン、人命尊重! と思うようになって、でも何千年(?)続いた儀式をひとりでひっくり返す能わず、伝説のように種を蒔いたんじゃないのかと。誰か、生け贄を使う儀式を終わらせておくれ、こんな太陽神はいかんと思ってくれと祈りつつ、「ケツァルコアトルが来るぞ」と言い出したんじゃないかと。そして、当のその「葦の年」にはスペイン人という外圧を巧く使って、新しい歴史を作り出していって欲しかったのではないかと。
   作り出すどころか滅びちゃったわけですが。
   やっぱ、伝統を守るだけじゃだめで、時代に合わせて変えていかにゃならんのよ、何事も。

|

« 興奮の東京ドーム | トップページ | 東京へはもう何度も行きましたね♪ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/138427/11508428

この記事へのトラックバック一覧です: 三題噺「埴輪、肉まん、アステカ文明」:

« 興奮の東京ドーム | トップページ | 東京へはもう何度も行きましたね♪ »