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2006年7月28日 (金)

人の目がみていなくても

   ♪夏が来れば思い出すぅ~ 日本の唱歌の名作もですが、わたくしが懐かしく思い出すのは別な歌です。木下牧子作曲の合唱組曲「ティオの夜の旅」、第4曲ローラ・ビーチ。この組曲というのは任意の日本の詩人の詩集などから詩を取ってきて(抜粋や省略も可、らしい)作曲家が曲をつけたものです。この形式は日本の作曲家が編み出したものだそうで。アマチュア合唱が盛んでキリスト教国じゃない(賛美歌やミサ曲に抵抗がある)日本ならではのもんですな。http://www.geocities.co.jp/MusicHall/6654/rorabitibiti.htm
   「人の目が見ていなくても 風景はあるものだろうか」という冒頭の言葉、これがソプラノのパートソロで、他3パートはハミングしてふしぎにハモっています。
   「貝の螺旋 月蝕ごとに珊瑚が育つ 魚の側線 暴風の暗夜」ととろぴかるな風物がとりとめもなく紡がれ
   「誰も 誰も見ていない 光が勝手に溢れているだけ 一日」
   「人の耳がきかなくても 風は椰子の葉を鳴らす」と夢のように終わるんですが。   詩はええと、「塩の道」池澤夏樹です。最近は小説も書いてるようで。
   もう、歌詞もメロディもモロ南洋。無人島リゾートないいカンジです。独唱用にアレンジして(スローバラードって言うんでしょうか)「涙そうそう」のひとや「ジュピター」のひとに(ちゃんと名前を出せ)歌ってもらいたいぐらいです。

   さて、禅の公案(チョットこれについて考えてごらんという座禅に当たっての例題?)に似たようなのがあるそうで。
   「人跡未踏の深い森の中で木が倒れたら、その時音はするのか?」って。
   するっしょ、そりゃ。
   音は人間が聞いたかどうかで存在するのではなく、事象が発生したときに空気を振動させて起きるものだもん、おかあさんはそう答えますが、それはエセ科学的なひと。
   そうではなくて、どんな事象も、自分が知覚し認識しなくては存在するものとは認められない。全ての存在を疑ってかかることも肝要、というのが模範解答? ほら、「我思う、故に我在り」というのもこの系列じゃないですか。疑った末に、今それを考えている自分は存在する、ゆえに自分の知覚しているこの世界もまた存在する、よかったねという思想。わたしは若い頃「生きててごめんなさい。わたしを見ないで、ブスでスイマセン」という考えになってたので、自分があって、世界があるという考えは画期的でした。
   でも、この詩は「人の目が見ていなくても世界はある」というのですから。
   人間は勝手にやればいい。わたしも。
   大自然はそれとは別にしっかりと存在している。
   なんだかまた楽になったのです。

   「人の目が見ていなくても風景はあるものだろうか
   心理テストとまでは行きませんが、暇なとき、お友達にご意見を伺ってみてください。

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コメント

旦那様にお尋ねしたところ、「(あんたのブログの)ながい物は読んでない」と。「じゃ、コレコレこういうワケで、人跡未踏の森の中で……」と申しましたら「音というものを定義しなくては話し合えない」と。……旦那様は理屈っぽい系。感動してくれると思ったのに。

投稿: まいね | 2006年7月29日 (土) 20時28分

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